映画「突然炎のごとく」のDVDを、六月下旬に見ました。
1962年の映画で、監督・脚本はフランソワ・トリュフォーです。原作はアンリ=ピエール・ロシェ。主演はジャンヌ・モロー(カトリーヌ役)。脇を固めるのは、オスカー・ウェルナー(ジュール役)と、アンリ・セール(ジム役)です。
率直な感想は、「フランスの大人の恋愛には、恋愛偏差値の低い私のような人間は付いていけない」です。
興味深い映画ではありましたが、共感はちょっと無理でした。
● フランスの大人の恋愛
もう、何と言うか、奔放過ぎて私には付いていけません。
この映画の主要登場人物は三人です。
・同時期に何人とも寝る恋愛に奔放な女性主人公
・愛する女性を親友に譲ってでも、身近に置いておこうとする男性
・主人公と結婚を考えながら、他の女性と暮らす男性
誰一人として、共感できるというか、近い恋愛感を持てる人間がいませんでした。そういった意味で、感情移入の入り口がないために、ポカーンとするしかない映画でした。
フランス恐るべし。
でもこの映画は、女性解放運動と時期が一致したせいで、「カトリーヌ(主人公)はわたしです」という意味の手紙が、世界中の女性から届いたそうです。
時代の空気という奴でしょうか。
現代でも、共感できる人はいると思いますが、多数派ではないと思います。
それでは、以下、主要人物三人について、簡単に説明しながら、感想を書いていこうと思います。
● 同時期に何人とも寝る恋愛に奔放な女性主人公
男性に縛られない女性、結婚に縛られない女性、子供に縛られない女性を体現している登場人物です。
結婚していようが、子供がいようが、寝たい相手と寝ます。そして、男性に飽きたら、次の男性に行こうとします。
今付き合っている男性と、新しく付き合っている男性と一緒に暮らしても、何の葛藤も抱きません。
自由な女性ですが、ちょっと付いていけないなあと思いました。あまりにもフリーダムで。
● 愛する女性を親友に譲ってでも、身近に置いておこうとする男性
主人公を取り囲む二人の男性の内の一人です。
主人公と結婚して暮らしていますが、彼女が自分に飽きてきていることを理解しています。そして、彼女を引き受けて、一緒に暮らしてくれる親友と、彼女を結婚させようとします。
つまり、主人公と親友が結婚して、その家に自分も住んで、主人公の身近にいようとしているわけです。
もう、何かくらくらきます。
そこまで自分を卑下しなくてもいいじゃないかと思いました。恋は盲目と言いますが、盲目過ぎるなあと思いました。
● 主人公と結婚を考えながら、他の女性と暮らす男性
主人公を取り囲む二人の男性の内の一人です。
親友の進めで、主人公とセックスして、三人で共同生活を送ります。そして、主人公との結婚を考えます。
その共同生活の場は田舎で、彼はパリに普段は住んでいます。そこには他の女性がいます。そして彼はパリに戻ってくると、その恋人と生活しながら、主人公と結婚するかどうか考えます。
よく分からないです。
「日曜日が待ち遠しい!」(1982)でもそうでしたが、フランスの人間は、だいたい二人以上と付き合うものなのでしょうか?
謎です。
ともかく、文化が違うのか、それともトリュフォーの周りだけなのか、と悩みました。
● 影響力のある映画
私への影響力はともかくとして、映画史的には影響力のある映画のようです。
Wikipediaには、「影響」という項目があり、いくつかの例が書いてありました。
□Wikipedia - 突然炎のごとく - 影響
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA...
● 粗筋
以下、粗筋です(ネタバレあり。終盤まで書いています。ラストは書いていません)。
主人公は奔放な女性。親友関係にある二人の男性が彼女を愛し、その一方が彼女と結婚して、子供を儲ける。ある日、もう一人の男性が親友に呼ばれて、彼らの住む田舎の家に行く。
そこで男性は、二人の夫婦関係が終わりを迎えつつあることに気付く。彼女は、一所に留まるタイプではなく、近くに来ている音楽家の許に行こうとしている。
夫は親友に、彼女を繋ぎとめるために、一緒になって欲しいという。そして親友は彼女と寝る。三人は、奇妙な共同生活を始める。
パリに戻った親友は、手紙で連絡を取りながら、彼女と結婚するかどうか考える。子供が出来たという話を聞いて、結婚しようと考えるが、その子供は流産したという。
二人の関係は終わったかに見えた。しかし、彼女は親友に執着を見せ、驚くべき行動に出る……。
以下、ラストのネタバレありの感想です。
● 衝撃のラスト
ラスト、主人公は、元夫の親友を車に誘います。
そして、元夫の見ている前で、その車を運転して、橋からダイブします。
二人は死に、元夫は取り残されます。
ポカーンとするラストでした。
何と言うか、恋愛も含めて、私の斜め上を行く映画で、共感は不可能でした。
でもまあ、一定の時代の、特定の層の女性からは、「自由の体現者」として共感を得るかもしれないなとも思いました。
トリュフォー自身は、そういった文脈で撮った映画ではないようですが。