映画エレファント・マンのDVDを、六月下旬に見ました。
1980年制作のアメリカ・イギリス合作映画で、監督はデヴィッド・リンチ。脚本はクリストファー・デヴォア、エリック・バーグレン、デヴィッド・リンチ。原作はフレデリック・トリーブス、アシュリー・モンダギュー。主演はジョン・ハート(ジョン・メリック = エレファント・マン)、助演はアンソニー・ホプキンス(フレデリック・トリーブス = 医師)です。
これはよい映画です。映像は「イレイザーヘッド」(1975)を彷彿とさせる白黒ですが、内容は遥かにしっかりとしていますし、きちんと話も筋が通っていて、人間に対する感動を覚えることができます。
最優秀作品賞を含めアカデミー賞八部門にノミネートされたのも理解できます。そして、この次に「砂の惑星」(1984)の大予算が投下されたのも分かります。「砂の惑星」は、個人的には好きなのですが、興行的には失敗したのが残念です。
● 映画の物語
舞台は19世紀のロンドン。主役はエレファント・マンです。エレファント・マンと言えば、奇形で見世物小屋の代名詞のような存在です。
マイケル・ジャクソンは、ショートフィルム「リーブ・ミー・アローン」で、このエレファント・マンと自分を同一視しています。彼はエレファント・マンを、「自由もなく、見世物小屋の中で見世物にされる人間」として定義しています。
この映画は、そういった「エレファント・マン」を扱った映画です。
□オプラによるマイケル・ジャクソンのインタビュー エレファント・マンの骨について
http://homepage3.nifty.com/mana/michael-opra-elephant.html
DVDには映像特典が付いていて、専門家による解説が入っていました。映画は、当時をかなり忠実に再現しているそうです。
しかし、物語の時系列は変えてあり、実際のジョン・メリック = エレファント・マンからはだいぶ改変を加えているとのことでした。そして、人間の心に訴える感動の物語にしていると、肯定的に説明していました。
この映画では、エレファント・マンはその容姿(象のような皮膚と、歪んだ骨格)により、見世物小屋に囚われて過酷な生活を送ります。そして外科医でえあるフレデリック・トリーブスに拾われて、人間としての尊厳を取り戻していきます。
対して実際のジョン・メリックは、元々営業畑の人間だったけど、その容姿の悪化のせいで商売にならなくなり、自分の容姿を商売にすることを思いついて、興行師に売り込みをかけたそうです。囚われの人間というよりも、けっこうしたたかな人間だったような言われ方をしていました。
あと、ジョン・メリックは、本名はジョゼフ・メリックというそうです。ジョンというのは、トリーブス医師の回想録に出ている名前で、映像特典の専門家の意見では「匿名的な意味で、わざと名前を変えて書いたのでは?」とのことでした。
というわけで、この映画は、フレデリック・トリーブスの視点で、ジョン・メリックを見つけ出し、病院に引き取り、人としての生活を取り戻させていく過程を描いていました。
● 見世物
この映画は、冒頭はエレファント・マンの姿を見せません。そして、期待だけを煽ります。
これはそのまま、見世物小屋の前で期待を煽られる観客と同じです。映画の観客は、怖いもの見たさで、奇形の人間の登場を待ちます。
この展開は、人権が取り沙汰される現代でも、人間の本質は見世物を好むということを、否応なく教えてくれます。
映画的な演出なのでしょうが、けっこう鋭く、人間の心の機微に切り込んできます。
ジョゼフ・メリックの容姿については、以下に写真があります。
□Wikipedia - ジョゼフ・メリック
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82...
● 知性がないと成立しない設定
そして、エレファント・マンの姿が現れます。奇怪な姿に、怯えた目の男です。そしてしばらく経ち、彼が読み書きができることが分かります。彼は生れ落ちてからずっと見世物の世界にいた人間ではないことが判明します。そこから、人間として、彼が尊厳を取り戻していく物語が始まります。
この下りを見た時、私の心に、小さなトゲが刺さりました。
映画的な「感動の物語」ですが、これはエレファント・マン(個人ではなく、彼に象徴される存在)が、「人間としての知性」を持っているから「人間なのだ」という話だと感じました。
知性を持っている人間とは、教育を受けた人間ということです。
人間は、人間として生れ落ちたから人間なのではなく、教育を受けて、人間として成長したからこそ人間だとなります。
読み書きができるということは、そういうことだと感じました。
そこまでうがった見方をする必要はないと思いますが、ちょっとその部分が気になりました。
● 悪夢の描写
映画の途中、エレファント・マンは、外科医に引き取られます。しかしそれは、興行師から無理やり引き剥がしての病院への収容でした。そのおかげで、エレファント・マンは人並み以上の生活を手に入れます。
しかし、金のなる木を失った興行師は、エレファント・マンの奪取を考えます。また、病院の下働きの男は、町の貧民たちを病室に招き入れることで、小銭を得ることを画策します。
そして、下働きの男はエレファント・マンの病室に人々を招き入れ、暴虐を尽くします。その混乱に乗じて、かつての興行師はエレファント・マンをさらいます。
この病室の描写が、悪夢的で、デヴィッド・リンチの真骨頂だなと感じました。醜悪で、人の悪意がむき出しで、おぞましかったです。
● 小道具 = 聖堂
映画の中盤以降、病室で自我を見せ始めた主人公が、窓から一部だけ見える聖堂の全貌を想像して、ミニチュアの聖堂を作り始めます。
これが非常に精巧でよく出来ています。
この聖堂は、そのまま主人公の魂の救済の過程を暗示させ、その完成がそのまま人間としての尊厳を取り戻す時期と一致するようになっています。
こういった小道具の登場は、象徴的で、物語を分かりやすくするから重要だなと思いました。
● 感動の物語
映画のラストでは、主人公は人間の尊厳を取り戻します。そのことを、一つの行動で示します。
彼は、特異な肉体を持っているために、ベッドで普通に寝ると呼吸困難を起こしかねません。そのため、座った状態で寝ます。
そんな彼が、人間らしく満ち足りるために、ベッドで横になります。
たったこれだけのことなのですが、そこから映画のラストまでは感動的です。
彼にとって人間らしさとは、特別なことをするのではなく、普通の人と同じようにすることなのだと暗示してくれるからです。
というわけで、なかなかよくできた映画でした。
● アンソニー・ホプキンスの演技
この映画は、エレファント・マンの圧倒的な存在感と、監督による映像の作り込みが凄い映画なのですが、アンソニー・ホプキンスの演技も光っていました。
エレファント・マンを人間へ回帰させるという役どころなのですが、ともすると偽善的になりやすいこの役どころを、控えめな演技で、見事に中立の人間として描いていました。
派手な仕事ではないけど、演技力が要求される役だなと思いました。
● 粗筋
以下、粗筋です(映画は外科医視点なので、外科医を主人公として書きます。ネタバレあり。終盤のラスト近くまで書いています)。
十九世紀のロンドン。主人公は外科医。彼は見世物小屋でエレファント・マンと呼ばれる男に出会う。そして、興行師に金を渡して、病院に一時的に収容する。彼は収容した男性を、大学に連れて行き、その病例を発表する。
外科医は、主人公を病院に置くために、しゃべれるように言葉を教える。学長はエレファント・マンを見に来る。しかし、教えられた言葉を繰り返すだけで、学長は彼に知性がないと判断する。そして、病院には置けないと外科医に告げる。
外科医と学長が廊下に出たあと、エレファント・マンが聖書の一節を朗読している言葉が流れてくる。彼はかつて教育を受けていて、読み書きができる人間だと判明する。学長は彼を病院に置くことに同意する。
外科医は、エレファント・マンを人間として扱い、彼の尊厳を取り戻すように行動していく。そんな彼の許に、社交界の人々もやってくるようになる。しかしそれは、新たな見世物ではないのかと、外科医は婦長に詰め寄られる。
エレファント・マン自身は、そういった状況を楽しんでいた。そして、彼は病院に終身でいられる権利を手に入れる。
だが彼には悩みもあった。夜になるとやって来る、病院の下働きの男だ。彼は小銭を稼ぐためと、自分の権勢を誇るために、酒場の人々を連れてきて、彼を見世物にしていた。
そして、その一行に紛れ込んで、かつての興行師がやって来た。興行師は、外科医に拒絶されて、エレファント・マンを奪われていた。彼はエレファント・マンを連れて国外に行き、見世物稼業を再開する。
エレファント・マンは、再び過酷な環境に置かれる。そして、どんどん衰弱していく。
そんな彼を見て、見世物小屋の人間たちは、脱出の手はずを整えてくれる。エレファント・マンは、ここを出て、再び病院に戻れば日の当たる世界に戻れる。そんなチャンスを手に入れた人間を支援しようと、彼らは渡航の費用まで用意する。
エレファント・マンはロンドンに上陸して、病院を目指す。しかし、その怪異な姿のせいで、人々に追い詰められる。だが、すんでのところで警察に保護される。彼は再び病院に帰還する……。