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2010年09月23日 03:36:31
私の中のあなた
 映画「私の中のあなた」のDVDを、七月中旬に見ました。

 2009年の作品で、監督はニック・カサヴェテス、脚本はジェレミー・レヴェンとニック・カサヴェテス、原作はジョディ・ピコー。主役の女の子アナを演じるのはアビゲイル・ブレスリン。母親サラを演じるのはキャメロン・ディアスです。

 考えさせられることが多い、よくできた映画でした。なかなか面白かったです。あと、原作の力が大きな映画だなと思いました。



● 移植のために遺伝子選別された子供

 この映画の、話の核はこれです。主人公のアナには、姉と兄がいます。この姉は白血病で、彼女を救うために、妹のアナは「移植のために遺伝子選別された子供」として生まれてきました。

 彼女達の父親は消防士です。母親は元弁護士です。この母親は、娘を救うために、キャリアを投げ打って家庭に入り、付きっ切りで娘を看病し、娘を救うために妹を作りました。

 白血病の姉を救うとはどういうことなのか?

 妹のアナは、幼い頃から、移植用の骨髄の抽出など、何度も手術台にあげられ、そのたびに体を切り刻まれてきました。

 そして、姉のケイトの腎臓がとうとう駄目になったところで映画は始まります。母親は妹に、姉のために腎臓移植をするようにと言います。しかし、たとえ腎臓を移植したとしても、姉の余命は長くはないであろうことは、子供の目にも明らかです。

 兄は、妹に貯金を渡します。妹のアナは、テレビで評判の敏腕弁護士のところに行き、自分の身を守るために、母親を訴える裁判を起こします。そこが映画のオープニングです。



 もう何と言うか、この設定の時点で、この映画は勝ったも同然です。

 そして映画中では、アナが受けてきた医療(姉のための医療で、妹のための医療ではない)が、いかに過酷だったかが、徐々に明らかになっていきます。

 しかし、この妹は家族や姉を恨んでいるわけではありません。人一倍愛しています。

 その彼女が、なぜ母親と対峙する決断をしたのか? その部分が、映画ではミステリーになっています。そして、時間を遡りながら、家族の履歴を明らかにしていきます。



 実際問題として、移植のために遺伝子選別された子供を作るというアイデアは、現状を打破する一つの解決方法でしょう。しかしこの方法は、当事者(生まれる側)の感情を無視した、かなり乱暴なやり方であることは否めません。

 こういった行為は、倫理的な問題も伴うでしょう。しかし、この映画を見て浮き彫りになったのは、そういった倫理面の問題ではありません。「母親の視野が物凄く狭くなる」という問題が生じるという点が、映画の中心になっていました。

 母親は、弁護士をしていたぐらいの人なので、知的レベルはそれなりに高いです。

 しかし、ギャンブルの賭け金を高くした際に、思考の選択肢が急速に狭まるのと同様に、「家族」という共同体を丸ごとベットするようなこの行為は、当事者(選択した側)の精神を大きく疲弊させるのだということがよく分かりました。

 現代の私たちには、まだこういったトリッキーな医療を受け入れる土壌がないのだなと感じました。それは、その家族単体の素養ではなく、そういった特殊な家族になることによる、社会との相互作用の問題でもあります。

 今回の映画では、家族の外側(そういった選択をした家族に対する世間との軋轢)はほとんど描かれていませんでした。

 これは、母親が娘のために引きこもりに近いような状態で、付きっ切りだったということも背景としてあります。

 この「外側との軋轢」の描写は、娘が治療で禿頭になった際に、娘の嘆きを払拭しようとして、母親も髪を全部落とすところに象徴されていると思います。

 通常の価値観を保ったままでは、こういった特殊な選択を維持することは難しいのだということを、このシーンは表しているのだと思います。

 高度な医療というのものが、その技術的背景とともに、受け入れる側の価値感の改変も必要とするものだということを、この映画を見てひしひしと感じました。



● 生命と医療

 この100〜200年ほど、人類の医療は非常に高度に発展して、本来なら成人しないような人も、死ぬことなく生きることができるようになりました。

 医療にはいくつかのレベルがあって、完治させられるものもあれば、延命(10年単位から数ヶ月単位)させることができるというものまで、千差万別です。

 実際に選択はできるけど、その是非が問われる思うのは、成人の可能性が低い子供に対する、生存見込みのあまり高くない延命治療です。

 これは、昔であれば、成長の途中で淘汰されていた人に対する医療行為です。



 こういったことを書くと、非倫理的だとか、感情がないなどと言われかねないのですが、社会的なリソースや、家族といった集団のリソースを考えると、枝打ちとしての若年層の死は必要です。

 人類は、元々十人ぐらいの子供を産む動物でしたが、近年の生活形態の変化と、社会的に必要とされる教育を受けるまでの成長時間の増加により、一〜二人程度しか子供を作らないようになりました。

 つまり、子供一人当たりの消費リソース(全人生における投資リソースの比率)が大幅に増加したわけです。

 そして、子供一人当たりの賭け金の増加に伴い、ゲームから降りる(子供の死を受け入れる)ことが、心理的に難しくなってきました。

 昔であれば、十人ぐらい子供を作り、あまりリソースをかけずに、その内の何人かが成長すればOKという賭けをやっていたのが、一人にコストを集中させて、失敗すれば終わりという、ハイリスクな賭けに変わってきました。

 人間は、賭け金が上がれば上がるほど、そのコストを回収しようとして、ゲームから降りるのをためらいます。

 また、現代の社会は、人権意識が向上したために、子供の廃棄リスクが法的に高くなりました。法と倫理観は、人の意識を方向付ける両輪でもあるために、家族は、一度生まれた子供に、多大なリソースを注ぎ込まざるを得ない、社会的な背景が形成されてきました。

 そういったことが、この映画のように、「一度生まれた子供を守るために、もう一人子供を作って、そのリソースを最初の子供に注ぐ」という、ゲームとしては誤った答えを導き出すことになっているのだと思います。

 この場合、単純にリソース管理という観点から見れば、リソースを注ぐ対象としては、後で生まれた子供が正解です。家族という単位でのリソース管理で考えれば、姉に執着するのは異常です。



 しかし、当事者になると、その選択が難しいというのも分かります。なぜならば、人はある日突然、この状況に放り込まれて、結論だけを選ぶわけではないからです。

 事態は徐々に進行して、気付くとそういう状況になっています。そして、当人は俯瞰的に自分の状況を見るチャンスはなく、気付くと視野狭窄に陥っています。この映画は、そのことを如実に語ってくれます。

 この映画は「娘がなぜ母親を訴えたのか?」というミステリーとともに、「この母親は、視野狭窄の呪縛から逃れることができるのか?」というストーリーにもなっています。

 いびつになった家族の状況をデフラグして、正常な状態に戻せるのかどうか?

 そういった争点が、この映画の大きな部分を占めていると思いました。



● 対立による、本質の炙り出し

 この映画は、そういった問題点を、娘と母親の対決によって炙り出しています。

 戦いは、家庭から法廷に持ち込まれて、背景や問題点が観客の目にも明らかになるように提示されていきます。

 そういった意味で、「法廷」というのは、問題の本質や争点を嫌味なく観客に説明できる、よくできた装置だなと思いました。

 また、対立構造があって初めて、問題と言うのは輪郭がくっきりするのだなとも思いました。



● 助力者としての弁護士

 映画中、主人公の妹が依頼に行く弁護士がけっこうよかったです。

「テレビで宣伝している敏腕弁護士」というと、非常にアコギな感じがあるのですが、依頼料が低い主人公の依頼を快く引き受けます。

 それならば、売名行為かと言うと、実はそうでもありません。

 理由は「彼も持病を持っているから」です。

 病気と、それが家族に引き起こす問題について、彼は看過できなかったのだろうというのが、映画で描かれる彼の様子から分かります。

 この弁護士がバックに付くことで、娘は母親(元弁護士)と、対等に戦える立場になります。ここらへんも、構造的によく出来ているなと思いました。

 あと、どうでもいいですが、この弁護士の役者さん(アレック・ボールドウィン)は、ジョン・トラボルタを太らせたみたいな容姿をしていました。



● 動物の本能としての恋

 映画中、白血病の姉は、単なる病人として描かれるわけではありません。病院内で、同じ白血病の男の子と恋に落ち、交際を進めていきます。

 彼女は、彼女なりに、人生をめいっぱい生きているのが、その描写から分かります。人生が短くても、それは人生であり、そこには人格があり、感情もあるということを伝えたいのだなというのが、その流れからよく分かります。

 先に、リソース管理という観点からの「家族」について書きましたが、それでは割り切れないものがあるのはこの描写からよく分かります。

 実際問題としては、正解がない問題なので、こういった状況の当事者になった人は大変だなと思います。



● 俳優

 アナ役のアビゲイル・ブレスリンが可愛かったのですが、この子は、「リトル・ミス・サンシャイン」(2006)の、へちゃむくれの太った女の子なのですね。えらい成長したな。

 順調に可愛く育っているようなので、このまま成長して欲しいなと思いました。



● 粗筋

 以下、粗筋です(序盤から中盤にかけてです。あまりネタバレはありません)。

 主人公は学校に通う若い女の子。彼女の姉は白血病で、母親は、その姉に移植をするために、遺伝子選別して彼女を生んだ。

 姉の病状は次第に悪化して、腎臓が駄目になった。母親は主人公の腎臓を姉に移植するようにと言う。しかし、腎臓を片方取り出すと、その後の人生ではほとんど無理ができなくなり、運動などもずっと控えなければならなくなる。これまでの移植とは違い、それは不可逆的な損失である。

 兄は妹にお金を渡す。そのお金で主人公は、弁護士事務所に行き、自分の保護を依頼する。そして、弁護士は裁判所に訴えを起こし、主人公は自分の身を守るために母親と対立することになる。

 母親は、娘の治療のために、妹が協力するのは当然だと言う。そして、妹にはまだ自分での判断能力がないことを根拠にその訴えを退けようとする。

 しかし弁護士は、依頼人が責任能力のある、自己の判断ができる個人であり、自分の身の保全を要求してしかるべきだと反論する。そして、彼女が受けてきた数々の過酷な治療の実体を法廷で明らかにしていく。

 旗色は、母親にとって好ましくない状況となる。そんな母親とは別に、子供たちは互いに連絡を取り合い、密かな作戦を進めていた。



 以下、ネタバレありの感想です。



● 救い

 この映画の救いは「子供たちの判断」なのですが、現実問題としての最大の救いは、姉の死と、主人公が切り刻まれる前に結論が出ることです。

 この順番が逆だと、目も当てられない結果となります。

 妹が切り刻まれて腎臓を失い、姉はその移植に関わらず死に、母親は発狂して、家族は完全に崩壊します。

 そうならなかったことが、この映画の後味をよくしていますが、現実にこういった問題が起これば、目も当てられない結果になる可能性も相当程度に高いなと思いました。

 何にせよ、多くのことを考えさせられる、よい映画でした。
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