映画「キング・オブ・コメディ」のDVDを七月の下旬に見ました。
1983年の映画で、監督はマーティン・スコセッシ、脚本はポール・D・ジマーマン、主演はロバート・デ・ニーロです。
複雑な気分になる映画でした。
● 痛いけど、他人事ではない
この映画は「痛いけど、他人事ではない」に尽きます。
自分で物を作ったり、それを売り込んだりしている人間にとって、この映画は身につまされます。
この映画の主人公は、コメディアンを目指しています。でも、舞台には立たずに、家で練習をしているだけです。彼は自分を売り込むために、正規のルートをたどるのではなく、一発逆転を狙って、既に成功しているコメディアンに接触します。
はっきり言うと、妄想狂で、自信過剰で、空気が読めず、社会的な落伍者なのですが、だからと言って彼のことを否定できない自分がいます。
なぜならば、そういった風に、自信過剰で、空気を読まずに、へこたれずに社会に対してアタックする人間でないと、芽が出るチャンスは一切ないからです。
自分自身も、空気を読まずに、自分でもアホかと思うように執拗に、世間に対して挑み続けています。なのでまあ、この映画を見て、主人公に対して「おかしな奴」として笑えない自分がいます。
程度の大小があっても、あのスクリーンに映っているのは自分自身だと分かるからです。
作っている人たちが、監督や俳優といった、同じように「空気を読まない」ことで自分の地位を手繰り寄せて来た人たちなので、「分かってやっている」ことは重々承知できます。究極の自虐映画です。
しかしまあ「痛いなあ」というのが正直な感想でした。
まあ、私も同じように、満身創痍になりながら、空気を読まない戦いを続けているのですが。
というわけで、この映画は、映画の出来も、映画の構造も関係なく、ただただ「複雑な気分になる映画」として、私の心に刻まれました。
かなりの鬱映画だと思います。
● 粗筋
以下、粗筋です(終盤のちょっと前ぐらいまで書いています。少しネタバレがあります)。
主人公は、まだ駆け出していない自称コメディアン。彼は家で練習するだけで、実際の舞台に上がったことは一度もない。
彼はテレビで売れているコメディアンに無理やり接触して、自分のことを認めてもらおうとする。しかし、そんな海のものとも山のものとも分からない人間は相手にされない。
彼はそのコメディアンに、自作のテープを持って行き、聞いてもらおうとする。しかし、取次ぎの相手に、ていよくあしらわれてしまう。
彼は、そのコメディアンのストーカーと手を組む。そして、二人で、コメディアンの誘拐計画を立てる。コメディアンを人質にして、自分をテレビ出演させるように、テレビ局と交渉するためだ。
二人は計画を進め、コメディアンの拉致を実行に移す……。
以下、ネタバレありの感想です。
● 逆転劇
結局主人公は、誘拐の罪で逮捕されます。しかし、その人生を賭けたチャレンジに注目が集まり、彼は時の人になります。
彼は、誘拐を犯してまでのテレビ出演を切っ掛けに、コメディアンへの道を開きます。
世の中は、チャレンジしなければ成功しません。しかし、多くのチャレンジは、周囲から見れば「愚かで痛いこと」です。そのことを、この映画を見てしみじみと思いました。
私も学生時代(今でもたぶんそうでしょうが)、そういう目で見られていたので、この映画は身につまされるものがありました。