映画「グロリアの憂鬱」のDVDを九月中旬に見ました。
1984年のスペイン映画で、監督・脚本はペドロ・アルモドバルです。主演はカルメン・マウラ。
見始めた時は、どうでもいい感じのB級(C級?)映画かと思っていたのですが、終わってみれば、味があって、なかなか面白い映画でした。
● 剣道場のシーン
映画が始まった時に、B級映画かと思った理由が、剣道場のシーンです。ここだけ、非常にレベルが低く見えるのにはいくつかの理由があります。
まず、スペイン映画に出てくる、日本の剣道場ということで、アメリカ映画の日本描写のような薄っぺらさがあります。
また、この場所で、主人公の女性が不倫をして、男性とエッチをするのですが、そういった一連の流れを含めて、非常に中身がなさそうに見えます。
この映画は、このシーンで、だいぶ損をしているなと思うのですが、日本以外の国の人から見ると、オープンニングに相応しい、奇抜で目を引くシーンなのだろうと思いました。
なんだか、複雑な気分になります。
● 崩壊していく家族、指の間からこぼれていく生活
この映画の主人公の家庭は、底辺ではないですが、中流未満と感じさせられるものです。
「現代の日本人の目から見て」という条件が付くので、当時のスペイン国内の経済によっては、割と普通の家庭である可能性もあります。
その家庭が、徐々にボロボロと崩れていきます。セックス、ドラッグ、暴力で。それは破滅的なものではなく、どれも微量なのですが、積み重なり、侵食するようにして、家庭を綻ばせていきます。
こう書くと、悲惨な事実を描いて、教訓めいた映画のように見えますが、そういった雰囲気は一切ありません。
どちらかというと、起こっていることは、全てコメディみたいな、ギャグにしかならないようなことばかりです。
内容自体はコメディで、それをシリアスな味付けにしたような、不思議な映画です。
この感覚は、矢口史靖の「裸足のピクニック」(1993)に近いところがあります。
本人は至って真面目で、映画の描き方も真面目一辺倒なのに、起こっていることは全てギャグとしか言いようのないことばかり。そして、主人公がどんどん不幸になっていく。
ラストに一片の爽やかさが添えられている辺りも髣髴とさせます。
感想を書くのが難しい、「見るしかない」という感じの映画なので、作品としては成功しているのではないかと思います。
他の言葉で代替できるものは、わざわざそのメディアを使い、作品として作る価値がないとも言えますので。
● 悲惨の中の逞しさ
この映画に出てくる登場人物は、いずれも厳しい境遇にあるのですが、誰もが生活面でのたくましさを持っています。
主人公の息子は、麻薬を密売して稼いだお金を、銀行に預けてきちんと貯金していたり、おばあさんは適当に生きているように見えて、主人公の息子と友人のように話して行動する若さを持っていたり。
脇に出てくる人々も、娼婦だけど逞しかったり、贋作の本で一山当てようとしていたり、それぞれの人生を力強く生きています。
そのおかげで、この映画は不幸なことが起こる割には、かなり陽性な明るさを持っています。
そういった意味で、陰と陽といった対立する要素がカオスに混じり合っている、独特の雰囲気を持った映画になっていました。
● 粗筋
以下、粗筋です(ラストまで書いています。粗筋の書き難い作品なので、かなり端折って書いています)。
スペインの団地。主人公は、旦那と二人の子供がいる団地妻。隣家は娼婦で、主人公は経済的に恵まれていない。彼女は清掃婦の仕事をしては、その仕事先で不倫をするような生活を送っている。
家計は苦しく、夫婦の喧嘩は耐えないが、息子や夫の祖母は、それぞれ気楽に暮らしている。彼女は、息子の一人を養子に出すが、家族はそのことに気付かない。
旦那はタクシー運転手をしており、そこで知り合った相手から、贋作の本の協力を依頼される。その依頼をしてきた作家の家に、主人公は娼婦の紹介で掃除に行く。
ある日、主人公は口論の末、旦那を突き飛ばして殺してしまう。警察が来て捜査を始めるが、彼女はずっとしらを切り続ける。
一家の養い手がいなくなり、家庭は崩壊する。主人公の息子は、貯めた金で、祖母とともに田舎に行く。
主人公の許には、養子に出した息子が帰ってくる。彼女は、団地での生活を続ける。