映画「バーディ」のDVDを十月下旬に見ました。
1984年の映画で、監督はアラン・パーカー。脚本は、サンディ・クルーフとジャック・ベアー。原作はウィリアム・ワートン。主演はニコラス・ケイジです。
何というか、ニコラス・ケイジの独り舞台みたいな映画でした。なかなかよく出来ていたのですが、疑問が残る点もある映画でした。
● ニコラス・ケイジの独り舞台
この映画を一言で言うならば、「ニコラス・ケイジの独り舞台」映画です。
この映画は、ベトナム帰還兵の主人公が、同じく帰還兵で心を完全に閉ざしている親友のために、過去を語りながら色々と接触していき、心を開こうとする話です。
映画は、過去の回想と病室でのシーンで進むのですが、この両方でニコラス・ケイジが出ずっぱりです。
また、相方となる青年は、無表情でじっと黙り続けています。そのため、ニコラス・ケイジの、ほとんど独演状態になっています。
演技力のある俳優でなければ、できない役だなと思いました。
● 他人を救済することによる自己の救済
この映画の構造は、映画の中で医師によって語られています。
心を閉ざした青年に、同じように戦争で心に傷を負った主人公をぶつけることで、双方によい効果が得られるのではないかというものです。
主人公は、完全に塞ぎこんだ親友の心を解きほぐそうとすることで、自身の強張った心を和らげていきます。
それは映画の終盤に、主人公の感情が高ぶり、頂点を迎えることで、精神の解放に至ります。
なるほどなと思ったのは、主人公の心の傷を、肉体的な表現で示していることです。
内面に負った傷というのは、外観からは判断がつきません。主人公は、大きな怪我を顔に負っているという設定です。このため、見た目として傷ついていることが分かります。
こういった、内面と外面の照応は、物語を分かりやすくするために有効だと思いました。
● 鳥を夢見る青年
この映画を特徴的にしているのは、主人公が救おうとするバーディーという青年です。
彼は、鳥に取り憑かれており、自身も鳥になりたいと願っています。
このバーディーの「世間とは全く違う価値感」と、その間に立つ主人公の立場を描くことで、この映画では、現実と夢の狭間のような状態を主人公に与えています。
こういった物語を描く上で重要なことは、主人公の立ち位置をどこに持ってくるかです。
主人公自身をバーディーの視点に持ってくると、観客は感情移入することが難しくなります。
幻想に近い位置にいるけれど、現実の側に立っている青年。そういった位置に主人公が置かれているために、かなりファンタジーな雰囲気のある映画なのですが、現実の枠内に本作はなっていました。
● 少佐の医師
さて、以下は疑問点です。
映画の舞台となる精神病院には、少佐の医師がいます。彼は権威による敵対者の位置づけで登場するのですが、このキャラクターが有効に働いていないように思えました。
なぜならば、この少佐は、主人公に対して何度か激高して反発するのですが、映画が終わるまでに、一度も彼の背景が語られないからです。
そのため、なぜ怒っているのか、何の説明もないまま映画が終わってしまいます。
この映画は、原作付きの作品なので、そちらでは何かが語られていたのかもしれません。
どちらにしろ、疑問の残る部分でした。
● 粗筋
以下、粗筋です(終盤、ラスト直前まで書いています)。
主人公はベトナム戦争で顔面に傷を負い、アメリカに戻ってきた。彼は、ある精神病院に呼び出される。そこには、彼の親友が収容されていた。
親友は、主人公と同じようにベトナム戦争に行っていた。そして、完全に心を閉ざして、無表情で無言のまま、日々を過ごすようになっていた。
主人公は、自身のリハビリがてら、親友の心を開く役を与えられる。
主人公と親友は、学生時代からの友達だった。その親友は変わったところがあった。それは、鳥をこよなく愛していたことである。
鳥を捕まえて飼うだけでなく、自身も鳥になろうとしていた。彼は高所から飛び降りたり、飛行装置を作ったりしていた。
主人公は、そんな夢の住人である親友と馬が合い、行動を共にしていた。
主人公は、病棟で親友に語りかけながら、自身と親友の過去を思い出していく。そして、戦争で強張っていた心を、徐々に解きほぐしていく。しかし親友は心を閉ざしたままだった。
主人公は、親友を担当する医師から、お役御免を告げられる。そのことに反発した主人公は、親友の病室に侵入して、彼を救い出そうとする……。