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2011年01月14日 15:11:22
 クリス・アンダーソンが「Free」という本を上梓したのが2009年。この本の登場時期に、色々と喧々諤々の論争があったのを覚えています。

 その論争を見て思ったのは、「クリス・アンダーソンは、別に全てを無料にしろと言っているわけではない」ということです。

 この本に関しては、「フリー」という言葉のインパクトが強くて、この言葉だけが先走りしてしまった印象があります。

 私が受け取った解釈では、彼が言いたかったのは、「無料を織り込んだビジネスには色々とある」ということです。そして「ネットとデジタルの登場で、大量の無料会員と一部の有料会員というビジネスモデル(フリー+プレミアム=フリーミアム)が成立するようになった」ということだと思います。

「前提が変わって、ルールが変わったから、経済活動のバランスが変わりつつあるよ」

 それがメッセージなのかなと思っています。

 さて、なぜいきなりこんなことを書いたかと言うと、今日は少し「フリー」と「経済」について、私見を書いてみようと思ったからです。



 私は、デジタル・コンテンツで、飯を食っています。そして、そのデジタル・コンテンツを主戦場として選んでいます。

 そういうわけで、私は自ら望んでこのビジネスの場にいる人間です。そして、そこからの収入がなくなれば飢え死にするという立場で生活しています。

 こういった私ですが、デジタル・コンテンツは、早晩限りなく無料に近くなると考えています。

 つまり、デジタル・コンテンツ自身の対価によっては、収入を得ることができなくなると思っているわけです。

 デジタルに変換されたコンテンツは、99.9%は無料でコピペされるようになると私は考えています。そしてその流れは止められないと思っています。

 「デジタル・コンテンツで食っているのに、何だその言い草は」と突っ込まれるかもしれません。しかし、そう考えるのには私自身の思考の背景があります。



 話を先に進める前に、私が大学一年生の時に体験したことを書きたいと思います。

 私は「生物科学科」というところに在籍していました。そしてそこでは、実験が多くありました。

 大学一年の初期の頃、実験で、教科書とはかなり異なったデータが出ました。そして、そのデータを先生のところに持って行った時のことです。そこで、私は先生にこう言いました。

「データが教科書と違うので、たぶん実験の仕方を間違っていたのだと思います」

 そう言うと、先生に怒られました。

「データを見て、教科書と異なっていたら教科書を疑え。高校生までは、教科書から学ぶのが仕事だった。大学生からは、教科書を書き換えるのが仕事だ。君たちは、そういう場所で勉強を始めたのだ」

 盲を啓かれるような思いでした。それ以降、まず「前提」というものを疑う習慣が付きました。

 今回の話の前提は「経済」というものです。



「コンテンツを製作する人間は、コンテンツの対価として収入を得なければならない」

 これは前提です。

 しかし、この前提は、実は脆い前提です。

 現在の経済の原則は、基本的には貨幣経済の成立以降のものです。もっと幅を広げても、農業によって生産を蓄積できるようになってからのものです。

 実はこの期間というのは、人類の歴史から言うと非常に短いものです。そのことを知っていると、上記の前提は、疑問の余地が残るものになってきます。



 デジタル・データとインターネットの登場は、それ以前の「商業コンテンツ」というものを劇的に変えました。

 流通のコストを劇的に減らしたということがよく取り沙汰されますが、実は生産コストを劇的に減らしたという効果も大きいと思っています。

 「一部の人しか流通できなかった」のと同様に、「一部の人しか作れなかった」コンテンツを、誰もが短時間で作れるようになりました。

 つまり、コピペしなくても、コンテンツの単価は劇的に下がっているわけです。流通の問題以前に、「商業コンテンツ」というものが、商業成立以前の「自由なコンテンツ」に、圧迫されている現状があります。

 昔の人が、焚き火を囲んで歌を歌っていたような感覚で、現在の新しい世代の人たちは、ニコニコ動画で「才能の無駄遣い」と言われるコンテンツを楽しんでいるわけです。



 そもそも経済というものは、格差によって発生した水力発電のようなものです。

 ある地点の「物の価値」と、ある地点の「物の価値」が違う場合に、その格差を仲立ちすることで、差分を得るというのが非常にシンプルな経済のモデルです。

 これは、水力発電所が、貯めた水の「位置エネルギー」によって水車を回すようなものです。

 ダムの内側に水があり、外側には水がない。その差がタービンを回すわけです。そして、その「格差」によって、経済は利益を生み出しているわけです。

 この仕組みで「一部の人が巨大な利益を生み出すことができる社会」が成立したのは、人類の歴史から言うと、ごくごく最近です。

 そして、人類の歴史全体から言うと、年表の中の棘のような短い時間でしかありません。

 つまり、この状況は「かなり特殊な状態」なわけです。そして、それが未来永劫続くという保証はどこにもありません。



 そういった「経済が成立しなければならない」という前提を取り除いてみれば、コンテンツは過去の「通常の状態」に、揺り戻される可能性があるわけです。

 それ以前に「経済」という枷がない人間にとっては、「コンテンツを対価に変換しなければならない」という前提がそもそもありません。

 こういった「あるジャンルで儲けなければならない」という前提が、いかに脆弱なものなのかは、Googleの躍進によって、私は痛感しました。



 Googleが私に痛烈に見せた世界というものは、こういうものでした。

・あるジャンルで圧倒的な収益がある会社は、そのジャンルで収益を上げ続けられるならば、他のジャンルに無料の商品を採算度外視で投入できる。

 Googleは「広告」という分野で利益が上げられる限り、ありとあらゆるサービスを無料で提供しようとしています。

 アドセンスとアドワードで、「損益分岐点」という言葉が霧散霧消するような利益をたたき出したGoogleは、ありとあらゆる分野に、そのジャンルの採算を無視したコンテンツを送り込むようになりました。

 そのせいで、経済的に成り立たずに撤退した企業は数知れません。



 実はこのGoogleがやっていることは、規模は違いますが、「他に収入源を持っていて」「ネットに作品を発表している」人たちと同じことだったりします。

 ニコ動で「才能の無駄遣い」と言われている人たちは、実は「ミニGoogle」な活動をしている人たちなわけです。

「しかし、プロとアマチュアの作った作品は違う」

 という人もいるかもしれません。この「プロ」と「アマチュア」という言葉は、実はかなり危ういものです。

 ここで言われる「プロ」は、専業で「今」食っている人たちです。

 単純な話ですが、引退して、他の収入源を持った人は「アマチュア」にカテゴライズされます。また、その分野の才能を持っていて、その分野で食おうとしなかった人たちは全て「アマチュア」に分類されます。

「しかし、アマチュアがプロのような作品を完成させるのには、非常に長い時間がかかる」

 という人もいるかもしれません。しかし、一人のアマチュアが一生に一作品しか発表できないとしても、そういう人たちが百万人いると、その前提がひっくり返ります。

 時代は既にここまで来ています。



 そういった中で、「デジタル・コンテンツ」で「食っている」私は何を考えているのかを書きます。

 実は私も、全てのコンテンツを、制作過程やソース込みで、無料で配布したいと考えています。

 そう考えている理由は二つあります。

 一つ目は、「自分の作った作品に、より多くの人に触れてもらいたい」からです。

 「儲けなければならない」という前提を取り払えば、自分が作った作品が、より多くの人に届き、その人たちの考え方や生活様式を変える。これほど楽しいことはないからです。

 二つ目は、「先人のパスを後人に受け渡したい」からです。

 私は「何かのジャンルから利益を受けた」場合は、それが金銭的なものであれ、精神的なものであれ、もらいっぱなしではいけないと考えています。

 そこに新たな価値感や仕事を付け加えて、同じジャンルに入ってくる後人のために、受け渡さなければならないと考えています。

 それが、あるジャンルに「文化」として参画する人間の、最低限の義務だと考えているからです。

 そのため、私がこれまで関わってきた趣味の分野では、積極的にアウトプットを行い、全ての人が共有できる形で公開するようにしています。



 さて、経済的な制約がないならば「可能な限りコンテンツをオープンに、フリーにしたい」と考えている私ですが、それをしない理由もあります。

 理由は二つです。

 まず一つ目は、「霞を食っては生きていけないから」です。身も蓋もないですが、現代の社会では、経済活動を行わなければ、早晩飢え死にます。

 そのため、「公開しないことで利益を受けることができる」ならば、「公開しない」という選択肢が出てきます。

 二つ目は、「公開にもコストがかかる」ということです。

 オープンでフリーな形で、コンテンツを公開しようとした場合に、ただ情報を公開すればよいというわけではありません。

 「他人がアクセスしやすく」「利用しやすい」形に整えなければ、そのコンテンツやデータは、ただのゴミとして扱われます。

 なので、実は「フリー」とは、提供者側にとっては、「フリー」ではなく「マイナス」の公開の仕方だったりします。

 「フリーで公開する」のにも、コンテンツ制作とは別のコストがかかってくるからです。



 それでは、「早晩食えなくなる」ことを自覚している私が、どういう方針で仕事をしてきたかを書いておこうと思います。

 2002年に会社を設立して九年が経ちました。この期間、どうにかこうにか食えてきたわけです。

 たぶん、私の仕事のやり方は、かなり特殊だと思います。そして、誰もが成立するやり方ではないと思います。

 しかし、上記のようなことを考えて、「コンテンツは限りなく無料化する」ということを想定しながら仕事をしてきた私のやり方は、何らかの参考になるのではないかと思います。

 以下、私の仕事のやり方を箇条書きにします。

・自分のコンテンツで食う。そのために、可能な限り受注仕事はしない。

・収益とは関係なく、どんどんコンテンツを作る。

・作ったコンテンツは、アクセスしやすい形で公開する。

・そのコンテンツを見て、私とビジネスをしたいと思った人に会う。

・会った人と契約を結び、自分のコンテンツの現金化を任せる。

・その際、可能な限り、ライセンス契約にする。

・ライセンス契約で余った時間で、収益と関係なく、コンテンツを作り続ける。

 現金化は、広告モデルの場合もあります。そして、こういったサイクルを繰り返すことで、九年間を過ごしてきました。

 そもそも、私が会社を作る前提としてあったのは、「私は放っておいてもコンテンツを作り続ける」というものです。

 世の中には、何の対価もなく、コンテンツを作り続ける人間がいるのです。

 そして、そのコンテンツを「現金化して生活に繋げる」ために、法人を設立しました。

 だから、そもそもの目的が「儲けること」ではなく「私のコンテンツ制作活動を円滑に回すこと」なわけです。ここは、この九年間、一切ぶれていません。



 こういった私の活動は、「ミニGoogle」的で「暇人の余暇活動」的な世界が来るだろうという前提の振る舞いです。

 たぶん、そういった前提で社会人をしている人は、ほとんどいないと思うので、私の仕事の仕方はかなり特殊だと思います。

 幸いなことに、毎年何組か、公開された私のコンテンツを見て、「私と仕事をしよう」という人が現れてくれて収益に結びついています。

 こういった仕事の仕方を、私は「分散パトロン制」と呼んでいます。

 誰かに直接物を売るのではなく、「私のコンテンツに興味を持つ人」や、「私に仕事をさせてみたいと思う人」に、経済的に支えられることで成立しているからです。

 そういうわけで、世間一般の「会社」とは、私の方針はだいぶ違っています。

 たぶん、海外のデザイナーとか、アーティストとか、そういった人たちに近いような仕事の仕方ではないのかなあと勝手に思っています。

 とはいえ、私は横文字職業があまり好きではないので、そういった呼称は使わないのですが。



 ここ十年ぐらいで、「コンテンツの価格の下落」が、よくコンテンツ制作者側からの嘆きとして語られます。

 しかし、「既存の商業コンテンツ」といった前提は、崩れるだろうなというのが、個人的な実感だったりします。

 少なくとも、過去数十年と同じ形態では維持できないだろうと思っています。ソーシャルゲームなどでは、コンテンツは既に撒き餌になっていますし。

 とりあえず、会社を初めて来期で十期目。十年ぐらいは持ちそうな雰囲気になってきました。

 これから十年がどうなるのか分かりませんが、「コンテンツ制作」と「食うための経済活動」の両立を考えながら、これからも仕事をしていきたいと思います。
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