映画「フットルース」のDVDを十月下旬に見ました。
1984年の映画で、監督はハーバート・ロス、脚本はディーン・ピッチフォード、主演はケヴィン・ベーコンです。
ダンスの禁止された町で、ダンスの好きな青年がダンスパーティーを開くまでの物語です。軽いノリの中に、一ヶ所だけ非常にドキッとする痛烈な風刺が織り込まれている作品でした。
けっこう面白かったです。
● 80年代青春映画
この映画を一言で語るなら、80年代青春映画に尽きると思います。
ロックとダンスと若者たち。そして、開放的で陽性な空気感。世の中は発展し続けるという無邪気な活気。そういったものがこの映画にもよく出ています。
そういった膨張し、未来に向かう空気を体現したシカゴ育ちの少年が、時代の流れを堰き止めるような田舎町に転校してきたことで、物語は始まります。
● ダンスとロックの禁じられた町
主人公が転校して町は、ダンスとロックが禁じられた町です。この町でロックを聞いたり、踊ったりした人は、警察に逮捕されます。
そういった閉塞感の中で、若者たちは開放を求めています。
この映画は、そういった状況から、解放に至る過程を描いた映画です。そして、登場人物のそれぞれが、物語の中での役割を担っています。
● 登場人物の配置
以下、登場人物と、その役割です。
・主人公:前進し膨張する時代を体現。若者の象徴。
・牧師:時代を堰き止める対立存在。前世代の人間の象徴。
・ヒロイン:牧師の娘で抑圧を受けている。解放されるべき存在。
また、その周囲にも、色々な意味合いを持ったキャラクターがいました。
その中でも面白かったのは、主人公の友人と、牧師の妻です。
主人公の友人は、ダンスが踊れません。彼は主人公にダンスを習い、踊れるようになります。ヒロインとは違う意味での導かれる存在です。
また牧師の妻は、主人公の対立存在である牧師の妻でありながら、若者も牧師も許容している人物です。
彼女がいることで、牧師は単なる対立存在ではなく、和解可能な存在(和解することで映画が解決する)ということが暗示されます。
実はこの牧師の奥さんが、かなり魅力的な存在でした。外見的には別に美人でもないのですが、旦那さんを見守る包容力が非常によかったです。
あと、どうでもいいですが、牧師役の人(ジョン・リスゴー)が、「ガープの世界」(1982年)でロバータ(性転換した元フットボール選手)役の人でした。
● 焚書
この映画ですが、終盤近くに非常にドキッとするシーンがあります。
それは、焚書のシーンです。
主人公たちはダンスパーティーの開催を求めて、町議会で演説を行ないます。
この映画の面白いところは、若者たちが、自分たちの目的のために、無法をするのではなく、既存の社会の手続きを踏んで訴えることです。
そして、大人たち側の理論や価値感できちんと理論武装して、問題点を訴え、解決に導こうとします。
そういった働きかけに対して、大人たちが取る行動は焚書です。
自分たちの価値観には合わない本を、図書館から引っ張り出して焼き始めるのです。
このシーンはかなり衝撃的でした。
そして、このシーンの重要さが、対立存在であった牧師には分かってしまうというのが痛烈でした。
自分たちが言っていたことや、行っていたことが、人間の価値を破壊する行為に繋がるのだと、大人たちの中で、先導者であった牧師にだけ分かってしまうのです。
このシーンがなければ、この映画は単なる青春映画で終わったと思います、しかし、このシーンがあるために、非常に痛烈な風刺を宿した映画になっていました。
文化の統制は、焚書や禁書に向かう。
それがどういった意味なのか分からない大人たちがほとんどである。
そのことの恐ろしさを、見せ付けてくれる映画でした。
● 粗筋
以下、粗筋です(大雑把な流れで、ラストまで書いています)。
主人公はシカゴの学生。彼は、父親の蒸発により、母親とともに伯父の住む町に越すことになる。
その町ではダンスやロックが禁止されていた。理由は、その町の牧師の息子が、ダンスやロックの果てに死んだからである。主人公は、その禁止令に反発する。
主人公は、学校で徐々に人気を獲得していき、牧師の娘と仲良くなる。牧師の娘は、完成豊かな少女で、抑圧から解放されたがっていた。
主人公は、学生仲間たちとともにダンスパーティーを企画する。そして、町議会で演説を行い、その許可を大人たちに求める。
しかし、大人たちは彼らの話に耳を貸さず、弾圧に乗り出す。
その様子を見た牧師は、このままでは駄目だということを悟る。そして、主人公との和解を選ぶ。
主人公たちは、法を犯さずに目的を達するために、町の境界線の外にある倉庫を借りて、ダンスパーティーを開く。