映画「宇宙からのメッセージ」のDVDを七月上旬に見ました。
1978年の作品で、監督は深作欣二、原案は石森章太郎、野田昌宏、深作欣二、松田寛夫、脚本は松田寛夫。出演は真田広之他。
なるほど、このシーンが、後のデススターの破壊に繋がったのかと思いました。
● 便乗企画で終わらなかった便乗企画
元々この映画は、「スター・ウォーズ」(1977年)の米国でのヒットを受けて作られた便乗企画だったそうです。
しかし、便乗企画の枠に収まらずにヒットしたそうです。
実際、当時としては特撮にもお金を掛けており、その後の撮影技術や特撮技術に影響を与えたとのことでした。
でも、個人的には「スター・ウォーズ」の方がよく見えます。特に、風景シーンの印象の違いが大きいです。
「スター・ウォーズ」の世界は、本当にありそうな雰囲気を持っているのですが、この映画の世界は、テレビ特撮の風景というように感じました。
これは撮影手法の違いなのか、撮影場所の違いなのか、何が原因なのだろうかと思いました。
● 南総里見八犬伝
この映画は、南総里見八犬伝を題材にとっています。
八つの実に導かれた勇者が、姫を助けて世界を救うという話です。
これは物語の骨格としてはありなのかもしれませんが、どうしても御伽噺風にしかならないという欠点を持っていると思いました。
まず、八つの実が勇者の許に行く因果関係が分かりません。
これは二時間という短い時間で描いているということもあるのでしょうが、それ以前に、世界観と設定が合っていないという問題があるように思えます。
元ネタの南総里見八犬伝は、呪詛的な因果で成り立っている世界観です。そのため、八つの玉を持つことにも、世界観的な破綻がありません。
しかしこの映画は、科学文明が発達した世界での話です。そこに超科学的な八つの実が出てきます。その実は一惑星の伝説でしかなく、それが銀河レベルの話に結び付く因果関係がありません。ここには大きな矛盾があります。
そういったこともあり、世界観と設定の融和は大切だと思いました。この映画では、その部分が上手くいっていないと感じました。
● 宇宙刑事的展開
この映画を見ていて一番思ったのは、宇宙刑事的世界観だということです。
銀河の遠く向こうから、地球征服を目論む帝国がやって来て、人類の一部の人が、他の惑星の人間と協力して、その敵と戦うという話は、どこか宇宙刑事を彷彿とさせます。
映画の製作面での想像ですが「全面戦争にすると予算がどれだけあっても足りない」というのと「主人公のパーソナルな戦いにしなければ物語が描き難い」というのがあったと思います。
ただ、前述したように、風景がテレビ特撮のように見えてしまう問題と合わせて、そのように感じてしまいました。
● 世界の広がりのなさ
話は銀河の存亡に関わるような話ですが、実際に登場するシーン(舞台)はかなり限られています。
何より感じたのは、世界の広がりのなさです。登場した惑星以外に、多数の居住地があるようには感じられませんでした。
これは「スター・ウォーズ」が、登場しない場面を含めて、世界に広がりを感じることに対して、特に強く思いました。
こうやって書いていくと、どうしても「スター・ウォーズ」に対しての比較が多くなってしまうのですが、制作理由が元々上述のような経緯なので、こういった比べられ方をしてしまうのは仕方がないだろうと思いました。
● 粗筋
以下、粗筋です(終盤の直前ぐらいまで書いています)。
平和な惑星は、拡大路線の帝国に占領されて、基地化されてしまった。その惑星の長老は伝説の八つの実を持つ勇者を探すことを、自分の娘と戦士に託す。
娘と戦士は長い旅の末、地球人類と出会う。
彼らが出会ったのは、宇宙暴走族の男二人と、チンピラ、そして金持ちのオテンバ娘だった。また、かつて将軍だった男と、彼の従者であるロボットにも出会う。
宇宙暴走族の男とチンピラは、伝説の実を手に入れる。また将軍だった男も実を持っていた。しかし、娘の語る伝説に彼らは耳を傾けず、巨大な帝国に立ち向かおうともしなかった。
チンピラは、娘を売り飛ばしてお金を得る計画を立てる。宇宙暴走族の男二人もその話に乗る。
だがその直後、帝国の戦闘艇がやって来て、姫をさらっていった。
男たちは自分たちがしたことを後悔する。オテンバ娘は彼らを責める。
そして、彼らは立ち上がる。残りの伝説の実を持つ者たちを探して、立ち向かおうとする。
その頃、帝国は地球の近くまでやって来ていた、その圧倒的な軍事力の前に、地球の首脳部は何もできない。そして、元将軍を呼び寄せ、全権大使として交渉の任に就かせた。