映画「ハードキャンディ」のDVDを七月下旬に見ました。
2005年の映画で、監督はデヴィッド・スレイド、脚本はブライアン・ネルソン、主演はエレン・ペイジです。
サスペンス・ホラーとして、またエレン・ペイジの出世作として知られる作品です。評価も高いようですが、私は失敗作だと思いました。その理由を書きます。
● 凄い演技
演技は凄いと思います。特に、ほとんど一人でしゃべりまくるエレン・ペイジの演技は卓越しています。これは異論がないです。
ただ、脚本には疑問が残ります。特にラストについては構造的な欠陥があるように思えました。
● 題材
この映画は、日本で起きたオヤジ狩り事件にヒントを得たそうです。
「オヤジ狩り」というのは本来、事件に何の因果関係もないものです。そういったものが本作の脚本に影響を与えているのかなと思いました。
以下、ネタバレありの感想を書きます。
● 駄目な脚本
さて、この映画の脚本が駄目だと思う部分を書いていきます。
映画は、前半三分の二は痛みで引っ張り、後半は動機が希薄なまま進み、ラストは「そんな選択しないだろう」という結末になります。
「前半三分の二は痛みで引っ張る」という部分については、好みの問題が大きいと思います。
映画の三分の二ぐらいをかけて、金玉責めをされるのが、痛くて見ていられないというのが私の感想です。だって、本当に痛そうなんだもの。
そして、そこに、面白いと思える余地がありません。「痛そう」が先に来て、「どうなるのだろう」とは思えません。「痛い」以上の何物でもないので。
しかし、世の中には「金玉責め! わくわくする!」という人もいるのでしょう。だから、この部分は好みの問題だと思います。
次に、映画のラスト側三分の一です。こちらは構造的な欠陥を持っていると思います。
映画の前半三分の二は、頭のおかしそうな少女に追い詰められる男性側の視点で描いています。男性は少女に拘束されて、金玉責めをされ続けます。
観客は男性側の視点に立ち、「少女怖い」「金玉かわいそう」と感情移入します。
しかし、映画の終盤三分の一では、視点がぼやけます。主人公が少女との対決に及び、互いに相手を追う展開になります。
この時は、どちらもが追われる側になるので視点がぼやけます。
人間は、善悪関係なく、襲われる側に感情移入するという心理的な特性を持っています。
これは、ヒッチコックも語っていることで、そういった影響で感情移入ポイントが変わることは、映画監督は上手くコントロールする必要があります。
またこの映画では、明確な動機や行動原理を示していないために、観客は倫理的にも論理的にも、どちらを視点に選べばよいのか分かりません。
この映画では、そういった「混乱を招く展開」になってしまっています。
映画によっては、こういった手法はありです。しかし、この映画では間違っています。
この「終盤の混乱を招く展開」の何がいけないかと言うと、この映画のラストの展開に悪影響を与えているからです。
映画のラストで男性は、少女に精神的に追い詰められて自殺します。
でも、映画の終盤で感情移入のポイントが男性側に設定されていないために、男性側が追い詰められているという状況を、覚めた目で見てしまい「それはあり得ない決断だろう」と感じてしまいます。
つまり、こういったラストにしたいならば、その直前で、観客の視点や感情移入点を男性側に固定して、「うわあ、俺も追い詰められた」と感じさせなければなりません。
そういったことができていないので、この映画は脚本に構造的な欠陥を抱えていると思いました。
また、こういった「うわー、ないわー、この展開」と思うラストを持ってくることに、脚本家や監督のナルシストの臭いを感じました。
「どう、俺って、みんながしない、奇抜なことをするだろう?」という、地獄のミサワのキャラのような雰囲気です。
この脚本は、きっちっりと詰めると、終盤の展開を変えるか、ラストの展開を変えるか、どちらかの手術が必要だと思います。
そういったことをしていない辺りに「奇抜なものを作っている」という作り手側のエゴを感じました。
● 粗筋
以下、粗筋です(中盤ぐらいまで書いています)。
写真家の男性が、ネットで少女と出会った。男性は出会い系マニアで、少女はメンヘラっぽかった。
少女は男性の家に行く。少女は男性がロリコンだと挑発する。そして二人で酒を飲み、男性は昏倒する。少女が睡眠薬を盛っていたからだ。
男性が目を覚ますと縛られていた。少女は、男性の付き合った少女の遍歴を探ろうとする。そして、主人公には去勢が必要だからと、金玉を切除しようとする。
男性は必死にやり取りしながら、少女から逃れようする。
少女は男性とのやり取りから、徐々に男性の女性遍歴を暴いていく……。