映画「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」のDVDを八月上旬に見ました。
2007年の作品で、監督・脚本はジョージ・A・ロメロ。出演はミシェル・モーガン、ジョシュ・クローズ他。
フェイクドキュメンタリーの作品です。いや、うーん、私が見たいロメロはこういう方向性ではない。そう思う映画でした。
● ゾンビ発生時点を現代視点で描く
ロメロのゾンビ・シリーズは、最も古いものは1968年です。それからこの映画までに、三十九年が経っています。つまり、時代背景は大きく変わっています。
本作では、現代的バックグラウンドを元に、ゾンビ発生時点の話を描いています。
どこが「現代的」かというと、「ネットワークによる情報供給」がキーになっているところです。
この映画では、マスメディアの崩壊が描かれます。ゾンビの発生と共に、マスのメディアが機能しなくなり、個人の動画アップロードが情報共有の手段になります。
世界各地の人間は、現状や対策方法を伝えるために、自ら情報発信者となって、記録を残し、アップロードし、情報公開を行います。
その様子が、実に現代的です。
その昔、クトゥルフ物の小説などで、殺されゆく人間が、最後の瞬間まで日記を書く描写がありました。
そういった「死の瞬間の記録」が、明確な目的意識と、次に続く人たちへのパスとして、「意味を持った行為」として成立していきます。
これは、ちょっと面白かったです。
ゾンビに襲われた人たちが「逃げる」のではなく、警鐘のために「記録」する。これはネットワークの発達以前には考えられなかった「パニック描写」です。
そういった点では、ちょっと面白い切り口だなあと思いました。
● 主観映像によるフェイクドキュメンタリー
この映画は、主観映像によるフェイクドキュメンタリーです。
ただ、そんなに怖くないし、映画の内容を盛り上げる上で有効に機能しているとは思えません。
なぜ怖くないのかと考えてみたんですが、フェイクドキュメンタリーの怖さって「分からなさ」だからだと思います。
見えない、画面に入らない、暗い、ぶれるなど、「対象が分からない怖さ」が、この手法の肝です。
でも、この映画はゾンビ映画です。何が起こるのかみんな分かっています。だから、主観映像にしても怖くない。
画面に次に何が来るのか分かっていたら、主観映像の意味がありません。
なので、この映画で、フェイクドキュメンタリーは効果を上げていないのだろうなあと思いました。
● 大学の映像の先生
何者? という感じです。
ただの飲んだくれの先生かと思ったら、どうも軍隊経験者らしくて、武闘派で、行く先々で武器を入手してはゾンビを迎撃します。
他の登場人物の学生たちはしょぼいのに、この先生一人だけ強かったです。
● 粗筋
以下、粗筋です(最後まで書いています。あまりネタバレは関係ないと思います)。
主人公たちは、大学で映像を専攻している。彼らは実習としてホラー映画を撮っていた。
その頃、町でゾンビが発生する。主人公たちは、メディアからその情報を得る。
そして主人公の一人が、今後ビデオを回し続けて映像を記録すると言い出す。彼はドキュメンタリー作家を目指していた。
メディアからの情報が徐々に途絶えだす。仲間が死に、ゾンビに成り出す。彼らは、徐々に荒れていく世界を体験する。
そして、メディアからの情報に代わり、個人が投稿した映像が世界に溢れ出す。それは世界中での同時多発的ゾンビ発生を告げていた。しかしそこには何の文脈もなく、解決方法もなかった。
主人公たちは、邸宅に住む友人の家に行く。だがそこもゾンビに犯され始めていた。主人公の一人はその屋敷に閉じこもり、記録としての映像を編集する。