映画「ゲーム」のDVDを八月上旬に見ました。
1997年の映画で、監督はデヴィッド・フィンチャー、脚本はジョン・ブランカトー他。主演はマイケル・ダグラス、客演はショーン・ペン、デボラ・カーラ・アンガー他。
デヴィッド・フィンチャーの未見の監督作を埋めるために見ました。面白いことは面白かったのですが、ラストで「それはないなあ」と思うなど、脚本の緻密性に欠けるなと思いました。
● 人格改造RPG
この映画を一言で言うならば「人格改造RPG」です。自己啓発セミナー的な人生否定+ロールプレイ。そういったことを、リアル・ゲームとして行う話です。
主人公は超堅物の富豪で、弟からの誕生日プレゼントとして、富豪向けのリアル・ゲーム会社に登録します。
そして、それがゲームなのか、詐欺なのか分からないという状態に置かれ、大変なことになります。
雰囲気は非常によいのですが、こういった話は、脚本が難しいなあと思いました。そのことについて以下書きます。
● シナリオの必然性
この手の「疑惑」を中心とした話は、物語の中での「ルール」に一貫性があり、そのルールの中で観客を「納得」させなければなりません。
この「ルール」が現実社会に実際に存在する内容であるほど、納得度は高く、シナリオに共感できる可能性は高くなります。
たとえば、スポーツ(野球やアメフト)のスキャンダルといった「疑惑」や、証券取引のインサイダーといった「疑惑」は、納得度が高いです。
そこには、一般的なルールが存在して、その線に乗っているかどうかで、観客は納得度を測ることができるからです。
しかし、現実に存在しない職業やファンタジー世界の中で「疑惑」を中心とした話を作る場合は注意が必要になります。
作り手側が提示した「ルール」を観客が「正しい」と思って受け入れるかどうかで、まず躓きがあり、さらにそのルールの上での「正解」を、正解と感じるかどうかでさらに躓きがあります。
そのため、慎重さに慎重さを重ね、さらにルールに明快さと繰り返し提示が必要になります。
この映画では、その「ルール」設定が曖昧です。そもそも「ルール」が正しいのかどうかのところに「疑惑」を持って来ています。
そのため、映画の終盤まで「正解がどちらか分からない」という疑惑を演出しているのですが、ラストが「どっちでもよかったのでは」と観客に思われてしまう躓きを生じさせています。
こういった作品を作る場合は、ちょっと難しいなと思いました。
以下、ネタバレありの感想です。
● ラストで「ないなあ」と思ったこと
ラストで主人公が、ビルから飛び降り自殺をしたら、その下にマットがあって助かってハッピーエンドとなるのですが、演出的には派手で、絵作りも面白いのですが、それはないだろうと思いました。
なぜそう思ったかというと、ビルの高さに対して、的となるマットが小さく、さらに、その的に落ちる場所から主人公が飛び降りるかどうかは、不確定要素が大きすぎるからです。
正直言って「それはありえない」と思いました。興ざめでした。
● デヴィッド・フィンチャー
これでようやく、「エイリアン3」(1992年)から、「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)までの監督作品を全部見ました。
独特のサスペンス系映画が多いので、新しい作品を見るのが楽しみな監督です。
● 粗筋
以下、粗筋です(ミステリ系なので序盤だけ書いています。大きなネタバレはなし)。
主人公は超堅物の富豪。彼は父親から受け継いだ資産を投資で運用して暮らしている。彼はかつて結婚していたがその結婚生活は破綻し、終止符が打たれている。
ある日彼は弟からプレゼントして、あるゲーム会社のゲームへの参加権をもらう。そのゲームはリアル社会でのゲームで、登録すると、日常生活にゲームがやって来るという。
主人公はその会社に行き、厳しい検査を受ける。そして不合格を告げられる。
落胆しつつも主人公は日常生活に戻る。だが、その直後から奇妙なことが起き始める。不合格になったはずのゲームに、主人公は参加し始めたようなのだ。
そして、そのゲームは、大掛かりな詐欺のように進んでいく。主人公はゲーム会社を調べに行くが、そこに会社はなかった。
主人公は奇妙な「ゲーム」に巻き込まれて、徐々に生活を侵食されていく……。