映画「幻影師アイゼンハイム」のDVDを、十月下旬に見ました。
2006年のアメリカ、チェコの映画です。監督・脚本はニール・バーガー、原作はスティーヴン・ミルハウザー。主演はエドワード・ノートンです。
面白かったのですが、内容的にどうしても「プレステージ」(2006)と比較してしまいます。同年の映画ですし、主人公の職業が同じですし。
そして「プレステージ」と比べると少し劣ってしまいます。
そういう意味で、ちょっと惜しい映画だなと思いました。
● 奇術師が主人公
奇術師が主人公で、舞台が十九世紀ということで、映画の雰囲気が「プレステージ」に非常に似通っています。
「プレステージ」は「狂った二人の奇術師の戦い」という構図ですが、この映画は「奇術師V.S.皇太子」という構図です。その点が少し違います。
しかし時代が近く、主人公が同じ職業なら、描写面でも似たようなシーンが多くなってしまいます。
こういうネタ被りは、怖いなあと思いました。
● キャラクターの構成
この映画で面白いのは、主人公である奇術師と、敵対者である皇太子の間に入る、警部の存在です。
警部は皇太子の腹心であるので、主人公の対抗者になります。でも、彼はアマチュア手品愛好家であるために、主人公の腕前を尊敬していて、危機に陥らないようにアドバイスをする援助者でもあります。
この一人二役的な立場の警部が「観客の視点」になっており、「主人公と敵対者と、どちらを信用すればよいのか分からない」という状況を生み出しています。
ここらへんは、キャラクター構成の妙という感じで、面白かったです。
● エドワード・ノートンの持つ雰囲気と演出
エドワード・ノートンは、繊細な心と、強い意志を持つキャラという役どころがよく似合う人だと思います。
この映画でも、そういった役どころでした。
しかしまあ、エドワード・ノートンは、いつも泣きそうな顔に見えるなあと思います。
また、映画の繊細な雰囲気に寄与しているのは、出てくる手品の道具や、そのスケッチだと思いました。
凄いことを起こすけど、実はその仕掛けは凄い繊細だったり、華奢だったりする。
上手く隠せるようにするために、そうなのでしょうが、そういったギミックの雰囲気が、映画の雰囲気を盛り上げるのに役立っているなあと感じました。
● 粗筋
以下、粗筋です(終盤まで書いています)。
舞台はウィーン。主人公は奇術師。彼は家具職人の息子であった子供時代に、仲のよい少女がいた。彼女は貴族で、そのために仲を引き裂かれた。
主人公は東洋に渡り、魔術と奇術の境界の分からない秘術を身に付けて帰って来る。
彼は劇場で公演をおこない、人気を博する。
その場所に、かつての恋人である公爵令嬢がやって来た。彼女は皇太子と結婚する予定になっている。だがその皇太子は、野心家で、冷徹で頭が切れ、女を殺したことのある人物として悪評が高かった。
主人公は、その皇太子主催のパーティーの余興として招かれる。皇太子は手品の種を暴くと息巻いている。主人公はそこで、恋人への愛情と嫉妬から、皇太子に種を見抜かせず、やり込めてしまう。
そこから、主人公と皇太子の戦いが始まる。皇太子は、自分の腹心の警部に、主人公を見張るようにと命じる。警部は手品愛好家で、主人公への尊敬と、仕事の遂行という葛藤に悩まされる。
主人公と公爵令嬢の仲は深まり、その結果、皇太子は主人公と決定的に対立する。そして、事件が起き、公爵令嬢が死ぬ。犯人は皇太子ではないかという疑念が生まれる。
意気消沈のもと舞台を去った主人公だが、やがて彼は戻ってくる。そして、死んだ人間の霊を呼び出して会話するという、秘儀を始める。
主人公は、公爵令嬢を呼び出して会話を試みる。彼女は何かを語ろうとするが果たせない。
世間は騒然として、主人公の評価は上がる。その状況を無視できなくなった皇太子は、主人公の奇術の種を暴くために、変装して劇場に通うようになる。そして皇太子は主人公を逮捕させる。
警部の下に、少しずつ公爵令嬢殺害事件の情報が集まってくる。その情報は、皇太子が彼女を殺したというものだった。警部は皇太子の逮捕に踏み切る。
だが、それは大きな奇術の一つだった。警部は、主人公の仕掛けた、壮大な奇術の種を知ることになる。