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2004年09月05日 23:49:17
実家のFAXが壊れたらしく、どうやれば直るかと電話がかかってきた。紙詰まりらしいので、手動の紙送り機構を探すか、ロールを回転させるか、ロールの周囲をばらして紙を抜くようにと伝えるがどうも要領を得ない。親はそんな機構はないという。
電話だけではそれが本当かどうか分からない。私が見て判断するから、携帯電話で写真を送ってくれと言うと、紙が詰まった様子を撮って送ってくれた。私が見たいのは周辺の機械構造の部分。でも、送ってきたのは直面している問題を訴える心情的な写真だ。そんな断片的な情報では何も分からない。
側面の機械構造がどうなっているか知りたいので、側面から見た図が欲しいと告げる。しかし、「そこには何もないから」と言って、同じ構図の写真しか送ってくれない。だから、それはさっきの写真と同じだ……。
そちらが判断して分からないのならば、その判断を元にした断片的な情報ではなく、こちらが判断するために必要な情報を送ってくれ、と訴えるのだが、その意味を理解してくれない。
むこうで当たり前に見えているFAXの状態は、電話を隔てた私には全く見えない。だからこちらが指示する写真を撮って一枚ずつ送ってくれ。そのことを何度言っても、言い方を様々に変えても、例を挙げても伝わらない。
分からなくてもいいので、言った通りの情報を送ってくれと言い続け、結局その写真を手にいれるために、三回も関係ない写真を送ってもらうことになった。
これは、ソフトのユーザーサポートと同じだ。
オンラインソフトのユーザーサポートは、大抵このような感じで始まる。半分ぐらいの人は“分かっている人”なので、個人の判断とともに、必要な情報を送ってくれる。その場合は、問題は割合すぐに解決する。残りの半分ぐらいの人は、非常に限られた情報だけを送り、自分の直面している問題だけを訴えてくる。ソフト名すら書いていない。十件に一件は、件名もなしで一行だけ文章が書かれているメールが届く。
こういうことはよくある。
なぜ、わざわざそういう迂遠なことをするのかと謎で仕方がないのだが、どうもそういう断片的な情報を渡すのが当然だと思っている人が世の中には多いらしい。
今までそういった人と、そうでない人の違いは、個人の物事に対する習熟度や、経験の差だと思っていた。だが、そうではなさそうだ。そういう人は、普段から、物事を理解することに興味がない人なのだ。つまり、習熟度や経験と関係なく、そういった人は一生そういう行動を取り続ける。
これは、性格の問題だ。つまり、いくらネチケットを訴えたり、ユーザーサポートの問題を理論的に説明しても、それらの人は改善する必然性を感じない。価値観がそもそも違うからだ。
ちょっと頭が痛くなった。人間というのは、個人個人で見えている世界も、思考方法もまったく違う。一人一人が完全に別個の生物だ。こういう時にはそう思ってしまう。