映画「レッド・ドラゴン」のDVDを11月の上旬に見たので感想です。
この「レッド・ドラゴン」は、「羊たちの沈黙」のレクター教授が出るシリーズの映画です。
時間軸で言えば、「レッド・ドラゴン」→「羊たちの沈黙」→「ハンニバル」となるのですが、発表順は「羊たちの沈黙」→「ハンニバル」→「レッド・ドラゴン」です。
「羊たちの沈黙」は大学時代にビデオで見て、「これは面白い」と思い、「ハンニバル」は映画館で見て「うーん、グロいだけじゃないか。羊たちの沈黙の路線の面白さじゃないし」「こんな感じなら、次のレッド・ドラゴンは見なくてもいいか」と思いました。
そういうわけで「レッド・ドラゴン」は未見だったのですが、最近友人から「レッド・ドラゴンは羊たちの沈黙の路線だよ」と聞いたので見てみました。
確かにその通りでした。正統的な「羊たちの沈黙」の続編(時間軸上は前)でした。楽しめました。
粗筋は以下の通り。
FBIの敏腕捜査官のウィルは、犯罪精神医学の権威であるハンニバル・レクターと懇意にし、ときには助言を仰ぎながら捜査を行なっていた。
しかし、ある事件の犯人が、レクター教授ではないかと気付き、死闘の末に彼を逮捕する。命の危険に晒されたウィルはFBIを退き、家族とともに隠棲生活に入る。
マスコミでは連日「人食い」レクター教授の報道がなされ、それもいつしか収まっていった。
それから数年後、FBIではある連続殺人犯の捜査に頭を悩ませていた。そこでFBIは隠棲中のウィルに協力を仰ぐ。それは、ウィルの力を借りるだけでなく、彼と懇意にしていたレクター教授の助力も引き出したいという目論みであった。
今度の殺人犯は、レクター教授の報道をスクラップして集め、彼を尊敬している男だった。彼はレクターと連絡を取り合おうとする。そして、FBIたちはこの2人の殺人犯に翻弄される。
殺人犯の背中には「レッド・ドラゴン」の刺青があった。彼は自分が「神」に変身したと考えている。
そしてレクターは、この弟子とも言える殺人犯に、ウィルの家族を殺せという天啓を授ける。ウィルは再び事件の渦中に巻き込まれ、殺人犯との死闘を繰り広げることになる。
演出として上手いなと思ったのは以下の2つ。
レッド・ドラゴンの意味と、作中での位置付けを、情報を追って順に明かにしていくところ。そして、そのビジュアル・インパクトをいかんなく利用しているところ。
そして、ホームビデオの意味を、少しずつ明かしていくところ。
ただし後者は、最初に出てきた時点でネタが割れてしまう内容です。
しかし前者は、この情報を明かしていくのと平行してストーリーが進むようになっていて、殺人犯の追跡と絡むように、物語の骨格を成しています。
このレッド・ドラゴンの存在感が非常に大きかったです。
レッド・ドラゴンの絵は、イギリスのロマン主義の画家ウィリアム・ブレイク(Blake, William)(1757〜1827)の作品です(情報は手元の西洋絵画の本調べ)。この人の絵は、M:tGの某カードのデザインのネタ(だと思う)にも使われているので、絵を見た瞬間に「あれか」と分かったりします。
□ God as an Architect, illustration from The Ancient of Days, 1794.
(M:tGの某カードのデザインのネタ(だと思う))
http://cgfa.dotsrc.org/blake/p-blake5.htm□ The Great Red Dragon and the Woman Clothed in Sun, c. 1806-1809
(映画中に使われていた絵)
http://www.artchive.com/artchive/B/blake/blake_great_red_dragon.jpg.html ウィリアム・ブレイクは、神秘主義的な詩人としても知られているらしく、その絵の存在感は圧倒的です。この人の絵が、本映画にビジュアル的説得力を持たせています。
正直言って「ずるいな」と思いました。このビジュアルだけで映画が成り立ってしまう。まあ、映画が面白くなれば何でもありなのですが。
本作「レッド・ドラゴン」は普通に面白かったです。そして最後に、「羊たちの沈黙」に繋がる台詞も用意されていて楽しめました。
「ハンニバル」よりも先にこちらが公開されていたらよかったなと思います。「ハンニバル」は、見終わったあとの印象としては「エグいシーンを羅列しただけ」の感じになっていたので。
「ハンニバル」のせいで、「レッド・ドラゴン」を見ていなかったのですが、こちらは「羊たちの沈黙」が面白かった人は、素直に楽しめる作品でした。
おまけ。mixiでやり取りしていて、興味深かったことです。
以下、原作のウィルが「直観像資質者」であるという話を聞いたあとの私の意見。
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「レッド・ドラゴン」の原作はたぶん、映画と違った構築がされているだろうなというのは、映画を見ながら思いました。
映画版はビジュアル・インパクトを有効に利用していますが、小説では同じ手法が使えません。違うところに、立脚点を置かないといけません。
なるほど、「直観像資質者の内面描写とその狂気」が牽引要素となっているのですね。ちょっと納得しました。
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この返答に対し、原作と映画の表現手法上の違いに関する意見を交換し合い、興味深かったです。
元々小説では、内面描写がしやすく、それが小説の表現上の特質になっています。対して映画では、映像を積み上げて内面を想像させるという表現手法です。
原作のウィルが「直観像資質者」であることは非常に小説的であり、映画で「レッド・ドラゴン」のビジュアルインパクトを全面に出して、それを軸に展開していくのは非常に映画的です。
脚本家は、うまく原作を映画にアレンジしたなと思いました。