2005年12月27日 02:53:30
映画「トーク・トゥ・ハー」のDVDを11月中旬に見ました。
面白かったですが、難点もある映画でした。
本作はスペインの映画で、2003年アカデミー賞オリジナル脚本賞を取ったそうです。しかし、脚本(演出の方か?)には少々問題があります。
まあ、監督と脚本は同じペドロ・アルモドヴァルなので、脚本と演出、どちらが悪いと明確に分けることはできないと思いますが。
まず、脚本のよかったところです。
『「概念の上書き」により、「観客に“気付き”の驚きや楽しさ」を提供する』
これが非常にうまかったです。そういう意味では文学的。
たとえば、「机」という物体に「1人で孤独に本を読む場所」という概念を与えます。そして観客に、この文脈で物語を解釈させておきます。そのあとで「家族で食事を食べる場所」という概念を観客に提示し、物語の文脈を再解釈させる。
こういった手法を駆使して、観客の頭のなかで物語をもう1度考え直させて、「違う意味だった」と悟らせていく。
このような仕掛けがうまい具合に配置されており、「やるな」と思いました。
全編にこういったギミックが入っているので、ネタバレなしに粗筋を書くのが難しい作品になっています。
次に、よいとも言えるし、悪いとも言えるところです。
以下、少しだけ粗筋を書きます。(なるべくネタバレにならない範囲で書きます。難しいですが)
主人公は2人の男。1人は看護師、もう1人はフリーライター。
ある日、看護師は劇場に行き、隣の席で感激して涙を流しているフリーライターに気付く。
看護師は病院に帰ったあと、自分の受け持ちの患者に、劇場で見た男のことを告げる。患者は植物状態の美しく若い女性だ。
看護師は「意識はなくとも心は通じている」と信じている。そのため、彼女が好きだったバレエや白黒映画などを毎週見てきては、そのことを話していた。
同じ頃フリーライターは、取材の対象として女闘牛士に会い、彼女と恋に落ちる。しかし彼女は猛牛に倒され植物状態となる。
そして彼女の入院先で、フリーライターは看護師に出会う。
看護師はフリーライターに、「彼女に話し掛けてごらん(Talk to her.)。気持ちはきっと通じるから」と告げる。
2人は交流を深めていき、ある日看護師は「僕は彼女のことを愛しているんだ」と語り出す……。
粗筋はここまで。ここから先は、映画自体を見た方がいいです。
さて、先ほど書いた「よいとも言えるし、悪いとも言える」という部分です。それは、この映画で扱っている題材です。
「植物状態の相手に対する一方的思いは是か否か」
そういった問題を、性欲なども絡めて話を展開させていきます。高尚と俗悪の微妙なバランスの上に成り立っています。
この部分は、キャッチーなテーマなので、よい部分でもあります。
しかし、この映画を「よい」と言っている人の何割かは、インテリぶったり、サブカルぶったりしている、嫌な雰囲気の人たちだろうなという予感を抱かせます。
映画の出来とは無関係に、そういった一部の観客の反応が透けて見えるのは悪い部分だなと思いました。
最後に、悪いところです。
あっちゃこっちゃ飛びすぎ。
過去の回想シーンや、劇中劇などが挿入されながら、話は行きつ戻りつして進んでいきます。
この展開が分かり難い。
いや、きちんと分かるのですが、非常に不親切です。画面切り替わったあと、10数秒経って「ああ、やっぱり過去に戻っていたのね」と、分かるような展開が多いです。
ただでさえ、観客に考えさせる要素が多い脚本なのに、無駄なところで労力を使わせます。
分かる範囲だけど、決して誉められた展開ではない。
この部分も先ほどと同様に、「観客の反応が透けて見える」部分でした。
「こんな難解な映画のよさを分かる俺って素晴らしいよね」などと心で思っている評論家や映画人が何割かいるんだろうなと思って、嫌だなと感じました。
そういう個人的な感情を無視しても、「もう少し脚本の作りようはあっただろうに」と思わせる回想シーンや劇中劇の使い方でした。
この映画に対する個人的な評価は「難点はあるものの面白い映画」です。
話自体は非常に面白いですが、その表現方法に難ありという感じです。
おまけ:
本作を見ながら、「そういえば“闇のイージス”でも、同じようなことがあったな」と思い出しました。そういう話は嫌いじゃないので。