2006年01月01日 03:09:23
映画「砂の器」のDVDを11月下旬に見たので感想です。
少し前に「脚本家・橋本忍の世界」という本を読んだので、その繋がりです。橋本忍脚本の映画を何本か見てみようと思いましたので。
というわけで、「砂の器」は、邦画のミステリ物(刑事物)の映画です。
ちょっと長めの映画でしたが楽しめました。
以下、粗筋です。ただし、ミステリなので、触りだけ書きます。
東京で身元不明の老人の遺体が見つかった。
警視庁の刑事と、所轄署の刑事の2人組は、その老人を殺した犯人を追っている。唯一の手掛かりは、老人が死亡前に、スナックで若い男と話していたところを目撃されたことだけだ。
しかし若い男が誰なのか分からない。その店の従業員は、2人の会話のなかから「カメダ」という言葉を聞いて覚えていた。
「カメダはどうだ」「カメダは変わらないか」
その言葉が東北弁だったという証言を元に、2人は東北の亀田に飛んだ。しかし手掛かりは何も得られない。
捜査が行き詰まっているなか、突如老人の身元が判明した。岡山に住んでいた息子が名乗り出て来たのだ。
しかし、老人と東北弁が繋がらない。犯人も謎のままだ。
刑事は捜査を進めていくうちに、ズーズー弁が東北だけのものではないことを知る。そして話は意外な方向へと動き出す。
以下、ネタばれありの感想です。
粗筋はほんの触りです。この刑事の捜査を主軸に、犯人の人物像やその生活、そして彼の生い立ちが徐々に明かされていきます。
そして最後は、犯人の悲惨な過去が物語全体を埋め尽くしてしまいます。
たぶん、脚本としてはかなり奇抜な手を使った脚本だと思います。
映画の終盤は、犯人である音楽家のコンサートと、捜査班のミーティングと、犯人の少年時代の悲惨な体験(癩病の父親との流浪)が、カット切り替えの同時進行で延々と続きます。
この終盤部分が圧巻でした。
その一連のシーンが始まったときには、「こんなシーン構成なら、途中でなかだれするだろう」と正直思いました。しかし、「癩病の父親との流浪のシーン」の映像的充実度が凄すぎるために、全くなかだれしませんでした。
日本の四季を描きながら、ひたすら流浪し、いじめられ、そして被害者(若い頃、正義感の強い駐在さんだった)に助けられるまでの話が展開します。
ともかく映像がきれい。そして力がある。
物凄い力技だなと思いました。
さて、終盤は上述の通りの構成になっていて驚いたのですが、序盤も少し面食らいました。
やたらテロップが多く、台詞が多かったからです。
凄い勢いでテロップがインサートされながら、刑事2人が会話をしていきます。ストレスになるか、ならないか、ぎりぎりのラインの多さです。「このままずっとこの調子だと疲れるな」と思っていたら、テロップ攻勢は最初だけでした。
序盤はかなり詰め込みすぎの感があったのですが、中盤は普通に進行していきました。そして後半はいっきに盛り上げてそれで終わり。
面白かったですが、凄い構成だなと思いました。決して教科書的ではないなと感じました。
次は、八甲田山あたりを借りてこないといけないですね。(数日前に見ましたので、そのうち感想がアップされます)
おまけ。
主人公の丹波哲郎が、いい味を出していました。
あと、渥美清が寅さん役以外で出てきて面食らいました。当たり前といえば当たり前なのですが。