2006年01月13日 04:02:09
映画「キング・コング」(ピーター・ジャクソン版)を2日前に映画館で見てきました。
先月にきちんとオリジナル版も見ていたので細部まで楽しめました。
感想は「馬鹿に大金を持たせるとこうなるのか。凄いな」です。(注:ほめ言葉です。馬鹿=映画馬鹿)
映画の出来は非常に素晴らしく、三時間近い長尺であるにもかかわらず、あっという間に時間が過ぎました。
全編手抜きなし、というか“過剰すぎる作り込み”は鬼気迫るものがありました。
さて、今回の感想は分量が多いので、章立てして書いていきます。
● 1.「ピーター・ジャクソンの溢れるリスペクト」
それにしても、ピーター・ジャクソンはオリジナル版の「キング・コング」が本当に好きなんだなと思いました。
今回、彼は共同脚本として脚本にもクレジットされています。そうやって作られた新版の設定は、完全に“オリジナル版リスペクト”になっていました。
そのことを以下解説していきます。
まず「主役3人の設定」が、旧版と新版で異なります。
◆ 旧版
・映画監督
・女優
・船員
◆ 新版
・映画監督
・女優
★脚本家
この「脚本家」の立ち位置が、ピーター・ジャクソンのオリジナル版への溢れる愛を如実に表わしています。
この「溢れる愛」を理解する前提条件として、旧版のストーリーの基本骨格を書きます。
◆ 旧版
・映画監督が骸骨島に猛獣映画を撮りに行く。
・映画のために、女優を雇って連れて行く。
・女優は船員と恋に落ちる。
・骸骨島に着いたあと、女優がキング・コングに連れ去られる。
・船員は女優を助ける。
・映画監督はキング・コングを生け捕りにする。
・キング・コングをアメリカに連れ帰り、ショーにする。
・キング・コングは暴走し、女優をビルの頂上に連れ去るが倒される。
◆ 新版
・映画監督が骸骨島に猛獣映画を撮りに行く。
・映画のために、女優を雇って連れて行く。
★映画監督は、脚本家も連れて行く。
★脚本家は、女優が船員と恋に落ちる脚本を書く。
★脚本家は女優と恋に落ちる。
・骸骨島に着いたあと、女優がキング・コングに連れ去られる。
★脚本家は女優を助ける。
・映画監督はキング・コングを生け捕りにする。
・キング・コングをアメリカに連れ帰り、ショーにする。
★ショーでは、船員役を演じた俳優がキング・コングを倒したことにされている。
・キング・コングは暴走し、女優をビルの頂上に連れ去るが倒される。
★マークが、新版での変更点です。
この変更がどういう意味を表わしているのか。つまり、こういうことです。
ピーター・ジャクソン版では、「映画のなかでオリジナル版のキング・コングを撮影している」。
オリジナル版の台詞を撮影しているシーンなどが実際に登場します。
「すげー、本気でオリジナル版が好きなんだ」と思いました。
そして映画の最後には「この作品をオリジナル版のスタッフに捧げます」という文面が。「この人はマジだ」と思いました。
● 2.「キング・コングを作り直す意味」
新版では「テーマの掘り下げ」と「そのための改良」が随所でなされていました。
整合性のつかない部分をきっちりと作り込んだり、現代人の常識を満足させる設定に変更したり、「そりゃ無理だろう」という部分を「それなら納得」という内容に作り直したり。
ぞして最も大きな変更は、前述の主役三人のうちの一人を「脚本家」に変えたことです。
しかし、映画の「テーマ」に対する最大の改良は、女優の設定をきっちりと作り込んだことにあります。
オリジナル版の女優は、「失職した女優」以上の設定は何もありませんでした。
そして、「キング・コングにさらわれ、救出され、再度さらわれる」という、いわば「アイテム扱い」のキャラクターでした。
「キング・コング」という映画は、「美女と野獣」的な側面が強い物語で、その観点から語られることが多い作品です。
しかし、オリジナル版では「コングと女優の恋愛」という要素は描かれていません。これはオリジナル版を見たときに一番意外だったことです。
このことは、ピーター・ジャクソンも問題だと考えたようで、この部分に大きな改良を加えています。そしてその変更は妥当で成功しています。
新版では、女優は以下の設定を持っています。
1.元々喜劇専門の女優で、肉体を使ったアクロバティックなパフォーマンスを売りにしていた。
2.劇場の閉鎖で、劇団員はばらばらになる。(オリジナル版の失職に相当する)
3.素直でよい子だが、運命を受け入れやすい気質を持っている。
最も大きな変更点は1です。そしてこのことは、映画全体のテーマを浮き彫りにすることに多大な貢献をしています。
この設定が付加されたことで、女優はコングと「言葉に頼らないコミュニケーション」を取ることが可能になりました。
女優はコングに食べられないように、「自分は価値があるものだ」と判断させようと考え、コングを楽しませるために「笑いを取るパフォーマンス」をします。
アラビアン・ナイトのシェラザードが、王様に殺されないために「面白い物語」を話し続けるのと同じです。
このやり取りや、コングが女優を救うことが交互に繰り返されることで、二人のあいだに恋愛感情にも似た愛情が芽生えます。
「なるほど、これはきっちりとオリジナル版の最大の問題点を改善してきたな」
そう思いました。
世間ではきっと「映像の密度や、画面の作り込みの凄まじさ」が取り沙汰されると思います。確かにその部分は圧倒的でした。
しかし、この映画の本当の価値は「不完全な部分があったオリジナル版」に、「最後の眼を入れた」ことだと思います。
ピーター・ジャクソン版の「キング・コング」は、オリジナル版の単なるリメイクではありません。
最大限の敬意を払いながら、この時代の最高水準の映像技術を使い、“バグを取って、メジャー・バージョン・アップした”ものです。
いわば、「キング・コング Ver.2.0」。
「いい仕事をしたな」と、本当に思いました。
● 3.「素晴らしき映画馬鹿」
この映画の魅力の一つとして絶対にはずせないのが「素晴らしき映画馬鹿」という要素です。
カール・デナム監督を含め、その周りにいる人たちが、揃いも揃ってみんな映画馬鹿です。映画のために命を賭けることを当然と思っている馬鹿者揃いです。(注:ほめ言葉です)
仲間が命を落とすたびに「○○のためにも、この映画を完成させねばならない!」「カール! この映写機を頼む〜!」みんなそんな感じ。
なんだか、「アレゲな部活動のノリ」で、おっさんや爺さんたちが命を賭けて映画を撮ろうと奮闘します。
見ていて楽しい。というか、こういうノリが大好きな人にはたまりません。
たぶん、この監督は、ピーター・ジャクソン自身なんだろうなと思いました。
● 4.「キャラクターの魅力」
登場人物や俳優がみんな素晴らしいです。
監督を演じているジャック・ブラックは、もうこれ以上ないっていうぐらいのはまり役。
脚本家を演じているエイドリアン・ブロディもいい。
そして、アン・ダロウ嬢を演じているナオミ・ワッツが凄い。状況に応じて、どんどん姿や立居振る舞いが変わっていく。
彼女は身体能力が高くて、演技力があり、可愛くて、美人。
何よりも強烈だったのは、これ以上ないってほどのグリーン・アイズ。色を塗ったのか、地の色なのかは知りませんが、目を離せないほどの強い緑色をしていました。
しかし、映画の序盤ではこのことには気付きません。この緑色が気になり出すのは、キング・コングと出会ったあとです。
アンが特別な人間なんだということを、視覚的にも表現したのではないかと思います。
ジャングルの緑の世界のなかに、抜けるようにきれいな白い肌の女性。そしてその顔には、ジャングルより深い緑の眼が。
かなりくらくら来ました。
その他、脇役も一切手抜きなし。それぞれのキャラクターが生き生きと描かれ、愛すべき人物になり、十二分に活躍していました。
あと、最後に書いておかないといけないのは、コングの造形です。これはやはりよかったですね。
女優につれなくされて拗ねてみせる表情や、自分の力を誇示したあと、拗ねながらも自慢げな感じなど、素晴らしい演技と表情をしていました。
よくこれだけの演技を作れたなと関心しました。
ピーター・ジャクソン版の「キング・コング」は、このように素晴らしい出来映えでした。
「こりゃあ、映画好きがみんな騒ぐわ」と思いました。
最後に一言。
「この映画は、劇場で見るべき映画です」
テレビのように小さなサイズで見ると魅力が激減します。テレビで見ても、きっと素晴らしく楽しめると思いますが、映画館で見たほうがその何十倍も楽しめます。
暇がある人は見に行くべきだと思います。
……さて、プログラムを読まないと。
今回は二種類のプログラム(600円の通常版と、メイキングの絵が大量に収録されている1800円の特別版)が売っていました。
さすがに二冊も買えなかったので、安い方を買ってきました。