映画「ニューヨーク東8番街の奇跡」のDVDを七月中旬に見ました。
さてこの映画、原題は「*batteries not included」と言います。たぶん、この名前では、日本では誰も見たがらないだろうなと思いました。
そのままでは意味が分からない人が多そうですし、日本語訳すると「電池が入ってない」ですし。
映画は、まあこんなものかなという感じでした。非常に面白いわけでもないけど、駄作でもない。普通に楽しめる内容でした。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。終盤近くまで書いています)
地上げにあっている土地のなか、ただひとつだけ、住人たちが立ち退きを強固に反対しているビルがあった。
住人は老夫婦と、妊婦と、画家と、元ボクサー。
老夫婦はビルのオーナーであり、一階のハンバーガーショップも経営している。
妊婦はミュージシャンの恋人を待っており、画家は古びたビルに愛着を感じていた。
元ボクサーの黒人男性は、寡黙で何を考えているか分からない。
彼らは地上げ屋から数々の嫌がらせを受けながらもビルにしがみ付いていた。
そんなある日、老夫婦の許に不思議な物体がやってくる。それは手の平に乗るほどの大きさのUFOだ。彼らはつがいの機械生物で、金属を食べて子づくりに励む。
そしてこの“ミニUFO”たちは、地上げ屋に壊されたビルの各所を、まるで魔法でも使ったかのように直していった。
ビルの住人たちは、おっかなびっくりしながらこのUFOを観察し、次第に新しい住人として受け入れていく。そして、UFOのベイビーたちが誕生し、彼らはそのことを祝う。
しかしそんな心温まる話の影で、地上げ屋たちの行為はどんどんエスカレートしていく。
そして、買収を指揮している会社の社長は、「不法な手段を使い、ビルを強制的に排除するように」と命令をくだす。
住人たちはその企みに翻弄されるが、そこにUFOたちによる1つの奇跡が起こる……。
寄せ集めのパーツで作ったUFOが、なかなか可愛らしかったです。
映画自体の感想としてはそんなところ。
あとは、物語の構造上の感想になります。
この物語は民俗学系の解釈ができる話です。
まず、このミニUFOを最初に見るのがボケ老人。
こういった異界の使者を最初に見るのは、子供などの、現実世界での境界に住む人々と相場が決まっています。ボケ老人は子供と同じく、現実世界に生きていない存在です。
そして他の住人も、似たようなメタファーを持っています。
妊婦にしろ、画家にしろ、現実世界から離れた境界に住む人々です。
元ボクサーについては、“現役を引退した”という意味での選定なのでしょう。また、このボクサーは、“壊れたUFOを直す”という意味で、呪術師(呪医)の象徴としても描かれます。
ビルが建っている場所のシュールさ(周りは全て瓦礫。河原の象徴に見える)などを見ても、「異界との境界に住む人々の話」という雰囲気が濃厚でした。
機械生物という少しSF風なキャラクターを出していますが、これは完全なフェアリーテールです。
民俗学系の人が好きそうな設定だなと思いました。