2006年12月19日 00:27:18
Amazonに画像がまだ来ていないようなので、表題リンクのみ。
昨日、TSUTAYAにDVDを借りに行ったときに入り口に山積みされていたので購入。
いくつか気になったことがあったのでメモをしておきます。
● 気になったこと1:面白さ数割減
相変わらず面白いのですが、前の1〜5巻に比べて、面白さが2〜3割ほど減じています。
理由はたぶん、以下の通り。
「よつばと」の面白さの根源は、“よつば”とその他の人とのディスコミュニケーションにあります。
幼児ならではの反応の面白さに、周囲の人々が驚いたり、喜んだり、悪乗りするのがこのマンガの面白いところです。
その面白さをシステム的に作り出すために、作者は最初から意図的に人物配置を行なっています。それが最もよく分かるのが、お隣の綾瀬家です。
綾瀬家には、世代の違う四人の女性がいます。同じ「“よつば”とのディスコミュニケーション」でも、各世代によって反応が違い、その反応の違いを、他の世代の女性が突っ込むことで話が転がるようにしています。
「よつばと」では、そういったシステマティックな人物配置がされています。
この「綾瀬家の物語」は、完全に「女性的感性の柔らかい話」を意図して組まれています。
なので、綾瀬家絡みで出て来る友人は「ミウラ」「虎子」など女性です。
また「よつばと」には、そのカウンター的要素として、「男性的感性のダイナミックな話」を転がすシステムも用意されており、こちらは「小岩井家の物語」となっています。
こちらの側の物語の特徴としては、登場人物の誰もが家庭を作っていない独身男性なところです。
小岩井家の物語では、男性が集まったときの馬鹿話や、独身男性の適当なノリの生活に、異物としての幼女が混ざることで起こるコメディーを描いています。
今回の6巻では、この「作劇上の二つのシステム」(綾瀬家システム&小岩井家システム)以外の方法で物語を描こうとしている回が多いです。
また、使っていても、上手く稼動していない話が多いです。
稼動していない理由は、大人側(“よつば”以外のキャラ側)の馬鹿話が少ないことです。また、あっても上手く転がっていない。
この二つの理由のために、前の1〜5巻に比べて面白さが数割減になっています。
● 気になったこと2:「今日も世界はひろがっていく。」というキャッチフレーズ
まず、“よつば”が自転車を手に入れたことによって、行動範囲が広がり、自分の力で風香の学校まで行きました。
また、“よつば”は来年から学校に行くと書いてあります。
そうか、世界を広げていくのか。そして、学校が視野に入ってくるのか。
学校が始まったとき、今までのディスコミュニケーション型の作劇ではなく、同世代の視点間での作劇が必要になるので、物語は大きく質的な転換を起こします。
今までと同じクオリティーを保つのか、それともクオリティーを高めるのか、もしくは落とすのか。
作者の“あずまきよひこ”は、既に「あずまんが大王」で「同世代の視点間での作劇」の上手さを世間に示しています。
最初から世界をひろげることを視野に入れているようなので、どうなるのか興味のあるところです。