映画「硫黄島からの手紙」を劇場で昨日見てきました。
□父親たちの星条旗 | 硫黄島からの手紙
http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/「父親たちの星条旗」がよかったので、足を運んだわけです。
よくできていました。とはいえ、事前に絶賛話ばかり聞かされていたので「こんなものか」という気持ちも少しありました。
前評判がよ過ぎるのも考え物です。その分期待値が上がり過ぎて、本編を見たときの評価が下がってしまいますので。
さて、本作を見て、前作との違いをまずは書こうと思います。
書くべきことは、以下の五点だと思います。
1.日本側からの視点
2.主人公視点は二つ
3.戦闘シーンの描写
4.時系列
5.善悪のバランス
●1.日本側からの視点
前作はアメリカ側からの視点で、今作は日本側からの視点です。
●2.主人公視点は二つ
本作では、主人公視点は、栗林中将(指揮側)と西郷(兵卒側)の二つの視点です。
これが分かりやすくて、よく出来ていました。このことに関しては後述します。
●3.戦闘シーンの描写
前作ほどの激しい描写はありません。
また、前作では、“人間の塊”が木端微塵に粉砕されていくという描き方をしていたのに対し、今作では“一人ずつの人間”が感情を持って死んでいくという描き方をされています。
前作の“死に対する恐怖”は、“無名性の死に追いやられる怖さ”でした。
対して今作の“死に対する恐怖”は、“周囲の圧力で自分が死に追いやられる怖さ”です。
本作では、圧倒的に“自死”のシーンが多いです。
自決も含めて、無駄な特攻や、無謀な突撃など、「自分で死ね!」と追い込まれて死んで行くケースが目立ちます。
同じ戦場を描いていますが、根本的に描写していることが違うので、戦闘シーンは大きく見え方が変わっています。
●4.時系列
前作では、フラッシュバックによる、二つの時間軸(硫黄島+アメリカ)の切り換え進行でした。
今作では、基本的に一本道の時間進行でした。
硫黄島での日本軍はほぼ全滅なので、この描き方の選択は正しいと思います。
そして、このおかげで、本作は前作に比べて、圧倒的に分かりやすい話になっていました。その分、感情移入がしやすくなっています。
これは、大いに評価できる点です。
●5.善悪のバランス
前作では、日本軍は「よく分からない怖いもの」として描かれていました。
今作では、日本軍は人間として描かれ、そのなかに、善の人間もいれば、悪の人間もいるという描かれ方をしています。
それだけではなく、敵としてのアメリカ人も、善悪きちんと描かれています。
例えば、日本軍が捕虜の命を必死に助けたシーンがあれば、アメリカ軍が捕虜を運ぶのを面倒臭がって射殺するシーンが入ったりします。
また、日本兵たちが米兵を鬼畜だと言うシーンがあるかと思えば、米兵が持っていた母親からの手紙を読んで、自分たちと同じだと知るシーンがあったりします。
このバランス感覚が非常によく、そこにいるのは同じ人間で、その同じ人間が理由も分からず殺し合っているという悪夢のような状況を上手く表現しています。
つまり、敵兵を殺しているあなたたちは、友人や隣人を殺しているのだと。
これは、栗林中将の回想シーンで如実に語られています。
アメリカに留学していた彼が、晩餐会で話をしているシーンがあります。「もし、日本とアメリカが戦争になったら、あなたは私の夫を殺すのですか?」
その問いを突き付けられた栗林が、必死に明言を避けようとするのです。
この、“誰も死なないシーン”が、“激戦を描いているシーン”と全く同じように、戦争の愚かさを物語っているのが印象的でした。
さて、以下、感想です。
本作は、指揮官である栗林中将と、一平卒の西郷の二重視点の映画です。
映画を見ているなかで一番驚いたのは、この西郷の視点の現代人への近さです。
西郷はパン屋さんです。しかし、商品を奪われ、材料を奪われ、道具まで奪われ、最後は妻子と引き離されて戦場に連れてこられます。
当時の日本では、この周囲の圧力から逃げることはできませんでした。
そんな彼は「戦争はアホらしい、馬鹿な上官にこき使われるのもアホらしい、こんなところで命を落とすのは何よりもアホらしい、俺はなんとかして生きて帰ってやる」と思っています。
そうして彼は、愚痴ばかり零し、作業に対して徹底的にやる気がありません。
このような視点は、普通、戦争映画では描かれません。しかし、この西郷の気分に、強い共感を覚えます。
映画の宣伝や紹介のされ方では、栗林中将が主役とされています。
しかし、映画を見れば分かりますが、栗林中将は主役の一人ではありますが、本当の主役は西郷です。
栗林は、人格者で英雄ではありますが、周囲の人々を最終的には死に導こうとする人間です。
対して西郷は、人間的には俗物ですが、自分のために、家族のために、必死に生きる道を探ろうとする人物です。
聞こえて来る映画の評価のなかには、西郷があまりにも現代の若者っぽく描かれているというものがありますが、それは老人の見方だと思います。
私が一番驚いたのは、既に老人であるクリント・イーストウッドが、若者にダイレクトに伝わる“俗物としての共感できる一兵卒”を主人公として描ききったことです。
これは、映画の善悪のバランス感覚のよさと相俟って、クリント・イーストウッドという監督が非常に平明で広い視点を映画に描くことができる人物だということを示しています。
栗林中将は確かによい人でしたが、自己のなかに矛盾を抱えながら殺戮者となることを選んだ人物です。
西郷は確かに俗物でしたが、周囲との温度差に苦しみながらも、必死に生を望んだ人物です。
私は、西郷の方に共感を覚えました。
映画では、さらに善悪と生死が無関係である戦争の不条理さが描かれています。
中村獅童演じる醜悪な精神を持った伊藤中尉や、高潔な精神を持ったバロン西、優し過ぎる心を持っていたために戦場に送られた元憲兵の清水。
彼らの運命がどうなるのか。その割り切れなさが、一旦起こった戦争がいかに暴力装置でしかないかを物語っています。
こういった様々な要素を一つの映画に結集させ、そして分かりやすく、ダイレクトに届く作品にした手腕は凄いなと思いました。
非常によい作品でした。
以下、粗筋です。といっても、感想を見れば、改めて書くこともないですが。
硫黄島の決戦間近、栗林中将が島にやってくる。
島で塹壕を掘っていた一平卒の西郷は、上官に責められていたが、栗林に助けられる。
栗林はアメリカ帰りの士官で、日本の士官のような精神主義の男ではなかった。彼は、島の上層部の作戦が、アメリカの物量の前には何の意味もないことを説く。
栗林は島を視察し、新たな作戦を立てる。それは、島を地下要塞化して、空爆や砲撃から兵を守り、一日でも長く戦うというものだった。
だがその考えは、古い頭の士官たちにはなかなか受け入れられない。古株の士官たちは玉砕や自決を望む。
「私の兵士を無駄に殺すことはまかりならん」
栗林は、無駄死にを厳しく諌める。そんな彼の考えを理解してくれるのは、世界を舞台に活躍して、馬術で金メダルを取ったことのあるバロン西ぐらいだった。
世界を見てきた二人は、既にこの戦争の行く末を予見していた。
そして遂にアメリカ軍がやって来る。戦艦は三十ぐらいだろうと思っていた兵士たちは、海を埋め尽くすばかりの敵兵の数に驚愕する。
米軍の上陸作戦が始まり、激戦が展開する。
栗林は、命令違反をして玉砕・自決を行なう士官たちに悩まされながら必死の防戦をする。
西郷は、集団自決・玉砕を声高に叫ぶ上官たちに振り回されながら必死に生きる道を探す。
擂鉢山は陥落し、西郷は栗林がいる北の本部に合流するために移動を始める。それは、地獄絵図のなかを進む苦難の行軍だった……。
さて、映画を見ていて思ったことを少し書きます。
西郷が若い。というか、幼く見える。
最初、十七〜十八ぐらいの年齢設定かと思っていました。あまりにも子供っぽかったので。
でも、パン屋を開店していて、妻子もいるということが明らかになって驚きました。
童顔以上に、挙動とかしゃべり方が非常に子供っぽかったので。
あと、バロン西が格好よかったです。別に顔はよくはないのですが、立居振る舞いや喋る内容が、いちいち男前でした。
そして、中村獅童がとことんまで格好悪かった。格好悪いどころか醜悪です。
あと、栗林中将の若い頃の姿は似合っていなかったです。渡辺謙に豊かな黒髪&ポマードは似合わないなと思いました。