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2007年02月09日 13:57:44
耳をすませば
 映画「耳をすませば」のDVDを十二月中旬に見ました。

 脚色・絵コンテ・製作プロデューサーが宮崎駿で、監督が近藤喜文のジブリ作品です。

 周囲の人間は驚くかもしれませんが、実は未見でした。それには理由があります。



 未見だった理由はいくつかありますが、その一つはこの映画のテーマにあります。

 この映画のテーマは初恋というか“恋”です。

 学生時代の私にとって、それは敵であり、人類を席巻する巨大な暴風であり、世界をいびつな形にしている因果律であり、ある意味無形の社会規則としての体制の象徴であったわけです。

 人間にとって最も崇高なことは、自己をコントロールすることであって、“恋”とはその対極にあります。

“恋”に対して、こういう悪感情を持っている人は特殊だと思いますので、私はこの映画を見るべき人間ではないとずっと思っていました。

 そして、見るときっと殺意を覚えるだろうなと予感していました。



 アニメは、マンガのように自分で見方をコントロールできるメディアではなく、作り手の見方に一方的に従うメディアです。

 特に、アニメのなかでも、アニメ映画はその傾向が強いです。

 なぜならば、普通のアニメは、何も語らないことが多いのですが、アニメ映画は、何かを語ることが多いからです。

 それは、アニメ映画は一時間半から二時間の尺を持つ“映画”だからです。

 三十分番組と違い、ある程度尺の長い“映画”では、その中心に語るべき何かがなければ、この時間観客を引き付けることは難しいです。

 そして、アニメ映画は普通の映画とはまた違います。

 アニメ映画は、“役者”というフィルターが通っていない分、作り手の思想をダイレクトに発する傾向が強いです。

 それはつまり、アニメ映画を見るときは、“思想の押し付け”を二時間じっと我慢して見続けなければならないということです。



 そういった“アニメ映画”というメディアで、こういった敵対思想の作品を見ると、自分の反社会的な部分を解放してしまい、破壊衝動に駆られそうだと考えていました。

 だから、見なかったわけです。

 そして、学生時代に見ないまま、月日が経ち、今になりました。

 まあ、そういった理由以前に、「アクションのない宮崎駿作品に魅力を感じなかった」というのが、ぶっちゃけたところなのですが。



 さて、そういった理由で今まで見ていなかった作品を、なぜ見てみる気になったかというと、「そろそろ自分も人間的に角が取れて丸くなってきたから見てもよい頃だろう」と思ったからです。

 とはいえ、学生時代に比べて、丸くなったか、先鋭化したかは、微妙なところではあります。ある部分は丸くなり、ある部分はとんがってきたので。

 ただ、“恋”という不可解な存在に対する煮えたぎるような内圧は現在はありません。そういう意味では丸くなりました。

 今、私のなかで渦巻いていることは、学生時代とは別の物なので。

 というわけで、「そろそろ見ても憤慨しないで済みそうだ」と思ったので見てみることにしました。



 以下、粗筋です。(ネタバレあり。最後まで書いています)

 少女は恋を意識し始める。

 少女は少年に出会う。

 少女と少年は、互いに恋をする。

 両思いになる。

 少女は、相手の少年が自分の夢を追っているのを知り、自分も何かに挑戦しようとする。

 挑戦をしたことで、恋人のことをより深く知る。

 これからの人生、障害は多いかもしれないが頑張ろうと、二人は将来を誓い合う。



 正直言うと、パッケージを見て、猫のバロンが動き出して、少女を異世界に引きずり込む話だと思っていました。

 全然違いました。

 そういった意味でのファンタジー的な要素は一切なく、現実世界だけを描いた、プリミティブな恋のお話でした。

 ただし、共感できる部分は“少女の創作に関する部分”だけで、恋のお話については「現実的にはそんな出会いはないよな」と思いました。

 昔から不思議でしょうがないのですが、世の中には恋の歌が山のようにあるのですが、現実世界でそういった現象を目撃することは稀です。

 歌だけではありません。ありとあらゆるメディアに乗ってくる情報は、私が見ている世界とは食い違っています。

 世界は奇妙に歪んでいます。自分の見ている世界こそが真実であり、メディアに乗ってやって来る世界は偽者です。

 だから、メディアに押し流されないように、世界を見る目を日々鍛え続けなければならない。



 話が飛んだので戻します。

 たぶん学生時代にこの作品を見たならば、その「理想的な恋物語」に憤慨していたと思います。

 こういう、純粋過ぎる恋のお話には、マンガでは“ファンタジー”として感動できるけど、アニメ映画では怒りを覚えることが昔から多かったので。

(理由は前述の通りです)



 今回、初めて見て、特に反発心を抱くこともなく最後まで見られたので「私も成長したな」と思いました。

 自分の成長(自分と世界との歪みを許容できる度量ができたこと。“恋”に対する敵対心というか悪感情がなくなったこと)を確認できただけでも、よかったです。



 しかしまあ、この映画を見ていると「カントリーロード〜♪」と口ずさんでしまいます。

 今でもリフレインしています。

 でも、「カントリーロード〜♪」の部分しか、歌詞を覚えていないのですが(汗



おまけ:

 mixiで感想を書いたとき、様々な「耳をすませば」トラウマ体験を教えてもらいました。

 罪作りな映画です。まあ、それだけ多くの人が、「理想から遠い自分」に敗北感を感じているのだと思います。

 あんな青春時代は自分の周りでは一切見たことがないので。
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