映画「欲望という名の電車」のDVDを一月中旬に見ました。
エリア・カザンの映画です。カザン二本目。
演技は上手いなと思いましたが、映画としては「焦点がぼけていて、いまいちだな」と思いました。
といっても、アカデミー賞をとっているようなのですが。うーん。
まあ、白黒の古い映画ですので。古い映画の場合、当時の評価が高くても、今見るとそれほど面白くなかったりしますから。
見る時の同時代性というのは大切だと思います。
さて、本作ですが、電車の映画ではありません。
表題の「欲望という名の電車」は冒頭にしか出てきません。
ちょっとガッカリ。
どういった映画かというと、「現代社会の病理を描いた映画」の“はず”です。これは、映画を見たあと、DVDについていた解説を見てそう思いました。
しかし、映画自体を見たときにはそういった感想はまったく感じず、「焦点のぼけた映画だな」としか見えなかったです。
その理由は、解説を読んだあとにだいたい分かりました。以下、珍しいですが、二つの粗筋を紹介します。
一つ目は私が映画を見たときに読み取った粗筋。二つ目は、DVDの解説に書いてあった粗筋です。
(映画の最後まで書いているので、ネタバレといえばネタバレです。ただし、ミステリーではなく、また相当古い映画なので、よいとは思いますが)
以下、一つ目の粗筋です。私が見た限りの粗筋です。
ある日、主人公夫婦の許に一人の女性がやってきた、その女性は、主人公の妻の姉で、上流階級の人間で、教師をしていた。
その“姉”は、夫婦の許で生活を始める。
彼女は妹夫婦の貧しい生活や、夫の野性溢れる振るまいを見る。そして妹に、上流階級での生活を思い出し、こんな生活から脱するようにとけしかけたり、夫の出自の卑しさを攻撃したりする。
だが、妹は夫を愛していた。そして、彼女のお腹には赤ん坊がいた。
“姉”は、妹夫婦の家に居座り続ける。
主人公は、“姉”の到来によって不協和音を上げる家庭にいらつく。また、妻が相続すべき財産を“姉”が独占しているのではと疑いを抱く。赤ん坊の誕生で、彼の家庭にはお金が必要になるからだ。
主人公は、“姉”のことについて調べ始める。そして、驚くべき事実を知る。
彼女は、教師をしていた町では札付きの悪人だった。彼女の評判は「安宿に通い、男をとっかえひっかえする色情狂」「虚言癖の妄想狂」というものだった。
主人公は、“姉”のせいで、自分の家庭が、そして周囲が傷付けられるのを恐れる。“姉”の色情の魔の手は、主人公の親友にも向けられていたからだ。
彼は親友に全てを告げ、別れさせる。そして精神科医を呼び、彼女を追い出すことに決める。だが時は遅く、彼の家庭は崩壊を向かえる。
以下、二つ目の粗筋です。DVDの解説をベースにした粗筋です。
上流階級の女性である主人公は、「労働者階級の男に恋をして家を出た妹」の許を訪れる。
しかし、そこで見たのは驚くべき状況だった。貧しい生活、粗野な夫、教養とは無縁の人々、そして男たちのギャンブル、その間に繰り返される怒声。
彼女はそんな場所で生活をしている妹のことを救わなければと考える。
しかし、彼女は自分から何かをするほどの才覚も経験もなかった。彼女は、野蛮な妹の夫に様々な抵抗を試みる。だがそれはことごとく失敗する。
やがて逗留の期間は長くなり、邪魔者扱いされ始める。
彼女は帰る場所がなかった。そこで、誰かと結婚して養ってもらおうと考える。そして、妹の夫の友人に目を付ける。彼には、ある程度の教養と、優しさがあったからだ。
結婚してこの野蛮な家を早く出たい。彼女は相手に結婚を申し込ませるために、様々な策を弄する。
しかし、その作戦は妹の夫の邪魔で失敗する。彼は、主人公の過去を暴き、彼女を追い詰める。
全ての可能性を失った主人公は、とうとう精神に変調を来たす。彼女は「大富豪からの求愛を受けた」という妄想に身を落として、華麗な衣装を身にまとって妹夫婦の家で喜びにひたる。
主人公は精神病院に送られる。
DVDの解説を見る限り、当時の見られ方として、善人と悪人の関係が真逆になっていました。
私の目(現代人の目)から見ると、女性が悪人で、男性は被害者にしか見えません。
当時の見られ方では、男性が悪人で、女性が被害者として見られていたようです。
うーん。
どう考えても、この女性は害悪以外の何物でもないように思えるのですが……。
さて、DVDには、当時の映画化に当たって、いろいろと争いがあったことが書かれていました。
それは、倫理委員会とカザンの脚本に関しての争いです。
映画の脚本には、元々以下の二つの重要シーンがあったそうです。
・女性が色情狂になった経緯(別れた夫が同性愛者であり、彼女は不当に扱われ続けた)
・女性が、妹の夫によってレイプされる(夫の野蛮さと、女性が受ける被害)
つまり、女性が「被害者である」ということを描くプロットがあったわけです。
しかし、この倫理委員会との争いの結果、この二つのシーンが脚本から削られ、上記のような粗筋の映画になったそうです。
カザンは「このシーンを抜いたら、映画がまったく違う物になる」と強行に反対し、さらに「完全版と、倫理委員会向けの二つのバージョンを作るのはどうか」とまで言っていたそうです。
確かに、まったく違う物になっていると思います。
当時の状況を知らない人間(私)の目から見て、当時の見られ方と180度違う見られ方をしたわけですから。
ただ、上記の二つのシーンが入っていたとしても、男性側が被害者にしか見えないと思いました。
基本的に、秩序を乱す者は悪です。それも、偏見をもって、他人の秩序を乱そうとする闖入者は、外敵以外の何者でもないです。
「下層階級」「粗野」「貧乏」「無教養」などという理由で、相手を価値のない人間として非難する女性は、たとえ違う意味で被害者であっても、反撃を受けて当然の人間です。
この映画を見て思ったのは、「偏見を持った狂人に家庭を壊される男性」への同情でした。