映画「フィッシャー・キング」のDVDを二月上旬に見ました。
テリー・ギリアム監督の1991年の作品です。
なかなか面白かったです。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。終盤近くまで書いています)
DJのジャックは毒舌で有名な人気者だ。彼は視聴者からの電話に暴言で答えて番組を盛り上げる。だが、そのことが不幸を引き起こす。
友人がおらず、ラジオだけが友達の独身男性が、ジャックの言葉を電話で聞いて事件を起こす。
バーに行って、ショットガンを乱射して、多くの人を殺したのだ。
ジャックはそのことにショックを受けて、仕事ができなくなる。
それから数年。ジャックは、ビデオレンタル店を経営している女のところで生活していた。
ある日、彼は一人の浮浪者に出会い、命を救われる。
その浮浪者は、どこか頭がおかしかった。そして、その理由を知ったジャックは衝撃を受ける。
浮浪者は元大学教授で、ショットガンの事件の時に、たまたまバーにいたのだ。そして彼の目の前で妻は撃たれた。頭を吹っ飛ばされていた。
それ以来、彼は頭がおかしくなってしまったという。
ジャックは、その浮浪者ペリーのために、何かをしたいと思う。そうすることで、自分の罪の意識が消えるのではないかと考える。
ペリーはジャックとともに聖杯を手に入れたいと言う。それは、ある富豪の家にあるただのカップのことだった。だが、それは窃盗なので、当然ジャックは断わる。
他に何か手助けできることはないかと探すジャック。
ペリーは一人の女性に惚れていた。ジャックは、ペリーとその女性の仲を取り持つことで、自分も救われようと思う。
奮戦するジャック。そして、ジャックに後押しされて頑張るペリー。
その途中、ペリーはジャックにある話をする。「フィッシャー・キングの伝説」だ。
それは、聖杯を求める王の物語である。
若い頃、権力を求めていた王の前に、聖杯が現れる。その聖杯は、人々を癒す物だという。だが王は権力を求めていたために、聖杯を手に入れられなかった。
それから時が経ち、王は老いる。そして城にたまたま入って来た漁師が王の姿を見る。
彼は相手が王とは気付かない。そして、喉が乾いてふらふらになっている王を見て、手近なカップで水を汲んできて王に渡す。
王は驚く。そのカップが聖杯だったのだ。「どうやってこれを見つけた」王は漁師に聞く。「いや、ただ、あなたに水を飲ませたかっただけで」と漁師は答える。
相手のことを、ただ思いやってやる行為、それこそが聖杯を手に入れる方法だったのだ。
そして、ジャックはペリーの恋を成就させる。
ジャックは女から「今日、あなたはとてもいいことをやったわ」と褒められる。彼は過去を振り切り、仕事を再開させる。
しかし、ペリーは不良たちに襲われて意識不明の重体になる。
ジャックは苦悩する。
彼は自分のためではなく、ただペリーのためだけに、富豪の家に入り、聖杯を手に入れる決意をする……。
映画を見て思ったのは、「こういった柔らかい脚本を書くのは難しいな」ということです。
柔らかい、硬いの区別は適当なのですが、敢えて言うならば、硬い脚本とはマーケティング的手法で作れる脚本です。
つまり、スポーツとかレースとかの話の舞台となる題材があって、そこに親子物、恋愛物などのテーマを当てはめ、それに物語上必要な人数を配置して、教科書的な手法で仕上げていくのが“ハードな脚本”。
対して“ソフトな脚本”とは、「何となくこういった話」があって、特にコアとなる題材もなく、人間関係の機微などを膨らませて出来あがっている脚本。
今回の「フィッシャー・キング」を見ていて、この手の脚本は作るのが難しそうだなと感じました。
というわけで、今回の映画の脚本家が、どういった作品を書いているのか調べてみました。
脚本家:リチャード・ラグラヴェネス
・ フィッシャー・キング(1991)
・ マディソン郡の橋(1995)
・ リトル・プリンセス(1995)
・ マンハッタン・ラプソディ(1997)
・ モンタナの風に抱かれて(1998)
結構有名なのを書いていますね。未見の映画ばかりなので、そのうち見てみようと思います。
さて、この映画の役者についてです。
ペリー役はロビン・ウィリアムズです。うう、痛い。いや、こういった「変な人」の演技が得意な人だというのは重々承知しているのですが、それでも痛く見えます。
そういう役なので、これだけはどうしようもないなと思いました。
あと、主役のジャック役のジェフ・ブリッジスをどこかで見たことがあるなと思っていたら、「ビッグ・リボウスキ」の主役の人でした。
どっちも、周囲に振り回される役だなと思いました。
個人的に台詞でよかったなと思ったのは、ジャックの彼女が言った台詞です。
「今日、あなたはとてもいいことをやったわ」
何となく記憶に残るよい台詞でした。
映画は普通に面白かったです。