映画「アミスタッド」のDVDを、二月上旬に見ました。
スティーヴン・スピルバーグが製作・監督の1998年の映画です。スタジオドリームワークスでの、氏自身の第一回監督作品だそうです。
スピルバーグだから外れは少ないだろうと思いつつ、結構長い映画なので、これまでずっと敬遠していました。
見た感想は、面白かったです。特に、脚本がよかったです。
原作付きの映画なので、原作のストーリーがよかったのかもしれませんが、物語の展開のさせ方が非常に上手いなと思いました。
どちらにしろ、実話を元にした話なので、複雑な話をとても上手くまとめたなといった印象を持ちました。
さて、話の展開が非常に上手いと書いたのですが、それが具体的にどういったものなのかを示します。
この映画は、小さな話から初めて、最終的に大きな話に持っていくといったシナリオ展開をしています。
スタートと中間とゴールだけを示すと、以下の通りです。
・スタート:奴隷船で反乱が起こる。
・中間:奴隷船についての裁判がアメリカで進行していく。
・ゴール:裁判の結果、南北戦争が勃発する。
この話の流れだけを見ると「なんで!?」となるかもしれませんが、これが非常に上手くスムーズに展開していきます。
その展開を上手く行っている手法に名前を与えるとしたら、「問題意識の駅伝方式」といった感じでしょうか。
さて、「問題意識の駅伝方式」と述べた手法の解説です。
この映画では、「あることを進めていくと、実は違う問題に突き当たる」といったことが何度も起こります。
例えば、「奴隷船の所有者問題を調べていくと、実はその船に乗っている人達は奴隷でなかった」とか、「奴隷の人権問題の線で活動していると、実は大統領の再選問題が絡んで来る」とか、「大統領の再選問題を進めていくと、南部が戦争の意思をちらつかせ始める」とか。
同じ人たちがストーリーを進めているのに、ある瞬間で、話の論点がバトンタッチされて、どんどん違う話になっていくのです。
そして、その話の区間が変わるごとに、主人公は考えを変え、意識の世界を広げ、成長していきます。
さらに、話の区間が変ることで、これまでコミュニケーションできなかった立場の人たちが、コミュニケーションできるようになっていきます。
例えば、主人公の一人である弁護士と、もう一人の主人公の、奴隷船の黒人シンケは、最初言葉が通じません。
しかし、「奴隷船に乗っていた相手は人間である」と、弁護士が目覚めることによって、通訳できる人を探して、コミュニケーションを始めます。
また、「今回の事件は、アメリカという国のあり方を問う事件だ」と、弁護士が目覚めることによって、元大統領を巻き込んで論陣を張るといった展開になっていきます。
この映画では、最初の時点で、ほぼ全ての登場人物が出ているのにも関わらず、その間を繋ぐ線がないところから話はスタートします。
そして、話が次の展開になるごとに、その間に次々と太い線が結ばれていくのです。
これは、とても分かりやすい表現方法です。こういった作劇法を使うことで、本作は、「内容的には複雑な話」を「非常にシンプルに見せる」ことに成功しています。
「話の内容をどんどん高度にしていくといった物語」を作る上で、本作のような手法は大変参考になるなと思いました。
同じことを行っている作品は多いのですが、この映画はそれが非常にきれいに成功していました。
以下、粗筋です。(終盤末期まで書いています)
嵐の日、アミスタッド号で奴隷の反乱が起こる。奴隷たちは、二人を残して白人を殺し、その船を占拠して陸地に向かう。
たどりついたのは米国。そこで、裁判が起こる。アミスタッド号の所有権を争う裁判だ。
この船の奴隷の所有権を主張するのは、以下のグループ。スペイン国王、船の生き残りの白人、米国海軍。
この裁判に割って入るように、奴隷解放を訴える人権団体が名乗りを上げる。「彼らは奴隷ではない」というのが、彼らの主張だ。
人権団体は、裁判を戦うために、一人の弁護士を雇う。自ら売り込んできたその弁護士は、所有権問題の専門家だ。
彼は、この裁判は単なる所有権問題の争いで、簡単にけりが着くものだと考えていた。
つまり、「彼らは奴隷でない」ということを証明すれば、「所有権は誰にもない」ということで、「反乱は拉致からの正当な逃亡」ということになって終わりというわけだ。
しかし、裁判は泥沼化する。
奴隷船に乗っていた黒人たちとは会話ができず、どうやらそれぞれの人々も使っている言葉が違いそうだと分かりだす。
状況証拠だけ見ると、アフリカの各地からさらわれて来た黒人のようだが、そのことを裏付ける証拠はない。
弁護士は調査を進め、ようやく証拠を突き止め、裁判に勝つ。
弁護士はアミスタッド号の黒人とともに喜ぶ。
しかし、その喜びは束の間だった。
大統領直々の命令により、裁判は再審に持ち込まれる。大統領選挙を控えた大統領は、南部の票を気にして、この裁判の結果を覆そうとしていた。
裁判は高度に政治的なものになってくる。アメリカの司法権の独立性の問題、大統領選挙の世論操作、南部と北部の対立、スペインとの外交問題。
そして、弁護士は一人の男を頼る。元大統領のアダムズだ。だが、彼は容易に立ち上がらない。
しかし、裁判が最高裁までもつれこむに及んで、ついにアダムズが立ち上がる。
弁護士と、アミスタッド号の黒人と、アダムズは、互いに協力し合い、裁判に臨む。
彼らは、人権とは、司法とは、アメリカとはということを問い、自分たちの先人たちに恥じない結果を出そうと、人々に正義の判定を求める……。
役者は、なかなかよかったです。
人権団体のモーガン・フリーマン、弁護士のマシュー・マコノヒー、アダムズのアンソニー・ホプキンス、そして、アミスタッド号の黒人の代表者シンケ役のジャイモン・ハンスゥ。
それぞれの勢力を、一人の人間を代表者(代弁者)として設定するのは映画の基本なのですが、アミスタッド号の代表者は、脚本上、設定するのが、なかなか難しかっただろうなと思いました。
なぜならば、それぞれ部族が違い、言葉が通じなかったりするので、団体の利益を代弁することが難しいからです。
しかし、「反乱を最初に起こした人物」と「部族内で尊敬されていた男」という、二つの理由付けを与えることで、シンケという人物に代表者としての意味付けを上手く与えていました。
このシンケ役のジャイモン・ハンスゥですが、なかなか変わった経歴を持っている人のようです。
DVDのメイキングに出ていたのですが、フランスに留学し、そこでホームレスをして、そこからスカウトされて七年俳優やモデルをやって経験を積んだそうです。
よく分からない人だなと思いました。
やる気がないのか、欲が少ないのか、鬱屈しているのか、自分を持て余しているのか、ともかく、普通の人ではなさそうな感じでした。
さて、このDVDにはメイキングが付いていました。
そこで、「この事件はアメリカの重要な歴史の一部であるのだが、ほとんど知られていない」と語られていました。
確かに、この裁判については、全く知りませんでした。
当時の意識や空気を知るという上でも、興味深い映画でした。
映画は、見ていても損のない、面白いものになっていました。