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2007年04月13日 10:59:44
さびしんぼう
 映画「さびしんぼう」のDVDを三月上旬に見ました。

 大林宣彦監督の、尾道三部作(転校生(1982)、時をかける少女(1983)、さびしんぼう(1985))の最後の作品です。

□Wikipedia - 大林宣彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4...



 DVDには監督のインタビューや、原作者(山中恒。原作は「なんだかへんて子」)との対談が収録されていました。

 それによると、もともと尾道三部作を作るという考えはなく、二本撮ったあと、ファンからの希望で三部作が見たいという声が多数あったということでした。

 監督自身も、「ああ、三本撮ったら三部作になるな」と思い、スケジュールの都合で一年時間が空いた時に作ったそうです。



 尾道三部作は、「時をかける少女」しか見たことがないのですが、「時をかける少女」よりも落ち着いていて、きっちりとした作品だと思いました。

 監督自身も語っていましたが、前半はコメディー色をわざと強くして、後半はそこから一気にせつなさに持って行く作りです。

 そして、初恋のせつなさとはかなさを、ショパンの「別れの曲」を主軸に展開していくというお話です。

 監督自身に余裕があるのか、能力が高くなったのか、「時をかける少女」よりも、話をきっちりと展開しながら景色の美しさを巧みに映画に織り交ぜているなと思いました。



 少し、原作と映画の関係について書きます。

 大林監督と、原作者の山中恒の対談を聞く限り、原作は「母親の若い頃の姿が出て来るという話」のようでした。

 映画では、そちらの話をサイドストーリー(とはいえ、主題六に対して四ぐらいの強度を持つサイドストーリー)として、「初恋の話」を展開するという内容でした。

 中盤ぐらいまでは、どちらがメインストーリーか分からずに、どうなるのだろうかと思いながら見ていました。

 とはいえ、それで破綻しているという、どっち付かずではありませんでした。

 話運びは軽妙で、無駄な部分もほとんどなく、景色の美しさが際立つ映画でした。



 インタビューで語っていましたが、「さびしんぼう」という言葉は大林監督の造語だそうです。

 氏の故郷の尾道では、「頑坊(がんぼう)」(頑固者の坊やというほどの意)という言葉がもともとあったそうです。

 子供時代、「自分は頑坊というよりは“さびしんぼう”だ」と思い、この映画が成立するまでにも「さびしんぼう」の物語を何本も書いていたとのことでした。

 そういった思い入れが結実した作品だと語っていました。



 以下、粗筋です。(ネタバレあり。終盤間近まで書いています。)

 寺の息子の主人公は、カメラが好きな高校生。

 彼は望遠レンズで女子高を覗き、“さびしんぼう”と自らが名付けた美少女の姿を見ていた。

 彼女は、いつもピアノを弾いていた。そして主人公はその曲が何の曲か分かっていた。

 それはショパンの「別れの曲」。

 なぜ彼がその曲が分かったかというと、主人公の母親が彼に、その曲を弾けるようにとピアノを習わせていたからだ。

 主人公は、その“さびしんぼう”の写真を撮りたかった。だが、彼にはフィルムを買う金がなかった。レンズを買うために、親に借金をしていたからだ。

 ある日、彼は友人たちを誘って寺の大掃除を行う。

 そして、母親のアルバムを取り落とし、突風で写真を巻き上げてしまう。

 慌てて拾い集める主人公と友人たち。

 その数日後から、不思議な少女が主人公の許に現れるようになった。

「私の名前は“さびしんぼう”よ」

 化粧をして、不思議な服を着たその女の子は、主人公に自らをそう紹介する。

 主人公が恋をしている“さびしんぼう”、そして、どこからともなく現れた“さびしんぼう”。

 後者の“さびしんぼう”は、主人公の世話を焼きたがり、何かと母親に食って掛かる。

 不思議に思いながらも主人公は、その“さびしんぼう”の存在を次第に受け入れていく。

 そして、彼は恋している“さびしんぼう”と知り合うチャンスを得る。彼の恋は盛り上がる。

 主人公は、不思議な“さびしんぼう”と、恋について語り合う。その“さびしんぼう”は、若い頃の母親だった。

 彼は、母親の恋について考えながら、自らの初恋のせつなさとはかなさを知ることになる。



 ジャンルとしては、この映画は「ファンタジー」になります。

 しかし、映像的な不思議さはほとんどありません。

 人間劇だけで展開していき、その中でファンタジーを見せるという作品です。

 こういった話はきれいにはまると、多くの人の胸に長く残る作品になるだろうなと思いました。



 この映画で、一番面白かったのは、オウムに歌を教えるエピソードです。

 主人公と友人たちは、校長室の掃除を命じられます。その校長先生は、オウムに宮沢賢治の「雨にも負けず、風にも負けず〜」の詩を教えていました。

 そのオウムに対して、主人公たちは「たんたんたぬきのきんたまは〜」という歌を教えます。

 すると、翌日、校長先生とPTA会長がいるときに、オウムが歌いだすのです。

「雨にも負けず、風にも負けず、ぶ〜らぶら……」

「そんな金玉に私はなりたい……」

 こんな感じで、延々と“素敵マッシュアップ”した台詞をオウムが喋り続けます。

 そしてPTA会長が卒倒します。主人公たちは、親とともに呼び出されるのですが、その親たちも笑いを噛み殺します。

 このシーンがおかし過ぎて、おかし過ぎて、腹がよじれそうでした。



 また、個人的によかったと思うシーンは、主人公が父親と一緒に風呂に入るシーンです。

 これまでずっと無口で一言も喋らなかった父親が、饒舌に喋りだします。

 恋について、そして自分が主人公の母親をどれだけ愛しているかについてです。

 このシーンは非常によいです。

 父親の愛情が滲み出ている、いいシーンだと思いました。



 それにしても、この映画の富田靖子は非常に魅力的に見えます。彼女は二人の“さびしんぼう”を一人で演じ分けています。特に、主人公が恋する方の“さびしんぼう”の役は、清楚で美しく見えて秀逸です。

 写真で見ると、そうは見えないのですが、映画中では非常によい造形に見えました。

 静止画の印象と、動画の印象は大きく違うなと思いました。

 まあ、それだけでなく、どういった魅力を切り取るか、撮影した人の意図と腕も関係していると思います。

 静止画と動画のギャップに、非常に興味を覚えました。



 あと、どうでもよいのですが、DVDに収録されていた監督のインタビューや対談を見て、違和感を覚えました。

 大林監督が、やたら好々爺のような表情で喋っていて、少し気持ち悪かったです。

 受け手側の私の問題だと思いますが、やたらと“いい人”を振りまく人の姿を見ると反感を覚えます。

「内面は、もっとドロドロしているんじゃないのか?」

 そう思い、居心地が悪かったです。
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