演劇「破壊ランナー」のDVDを三月下旬に見ました。
演劇集団「惑星ピスタチオ」の作品です。
非常に魅力的で、面白かったです。そして、よいSFでした。
演劇が始まって最初の一分、いきなり冒頭で心を鷲掴みにされました。
人類の100m走の歴史とタイムを語りながら、いきなり「カール・ルイス、〜。試合後、心臓発作で死亡」とパラレルワールドに入ります。
以降は、様々な理論が登場して、人類が生身でマッハを越えだします。
そして、主人公は、1.71音速をマークした人類最速の男。
盛り上がらないはずがありません。
その主人公の許に、1.77音速を超えるための理論を持っているという、アロイという新興チームのオーナー(オカマ)が、メフィストのようにやって来ます。
骨太で王道の物語でありながら、背景美術一切なしで、少数で入れ代わり立ち代わり複数の役を演じ分ける手法を駆使し、圧倒的な面白さで、楽しませてくれました。
また、何気ないギャグが終盤の伏線に繋がったりしているのも上手かったです。
文句なしに面白い一作でした。
以下、参考URLです。
□惑星ピスタチオ「破壊ランナー」期間限定サイト
http://www.appricot-bus.com/stage/HR/index.html□惑星ピスタチオ「破壊ランナー」
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/3576/scrap/scrap019.html
以下、粗筋です。(ネタバレあり。終盤直前まで書いています)
人類はその肉体を駆使し、最速に挑み続けてきた。オリンピックの記録は、人類が自らの肉体で、どれだけ速く走れるかを競う記録でもあった。
そんな人類に転機が訪れる。科学の発達とともに、様々な理論が開発され、人間は音速を突破する。
高校生でも0.5音速を越えられるようになった時代、ソニック・ランという最速の人間を決める競技が世界ではもてはやされていた。
そのソニック・ランで99勝をマークしている男がいた。1.71音速の世界記録保持者、豹二郎ダイアモンドである。
彼は100勝に挑む勝負で棄権する。走ることの虚しさを感じたからだ。
人類の限界は俺の限界。これ以上走ることに何の意味があるのだろうか?
そう思い悩む彼の許に、アロイという新興チームのオーナーがやって来る。彼は最新の運動理論を開発した科学者を擁しているという。
その理論を使えば、主人公の肉体ならば1.77音速を達成できるという。
だが主人公はその提案をはね付ける。そして、アロイのオーナーの選手と、次の競技会で対決することになる。
その相手は主人公よりも速い瞬間最高速度をマークする。その走りに触発され、主人公は自らの限界を突破する。
だが、その無茶な走りがとんでもない事態を招く。筋肉内で核融合を行うという走法を限界まで使った主人公は、核融合爆発を起こしてしまう。
試合は多数の死者を出して終了する。
アロイのチームは天下を握り、主人公の恋人もアロイのチームに移籍する。だが、アロイのチームは中央防衛局と繋がっている軍事研究所だった。
アロイ旋風が吹き荒れる中、一人の男がアロイのチームを倒すことを狙っていた。豹二郎ダイアモンドだ。
主人公は死んではいなかった。脅威的な肉体を持っていた彼は、リハビリを重ねながら次の試合に参加することを決める。
主人公は先の爆発で余命半年と宣告されていた。彼は最後のレースに参加する。彼は自らの限界を突破するために、恋人をアロイのチームから救い出すために、人類の限界を突破した走りに挑む。
この演劇を見て思ったのは、「やっぱり掴みは大切だな」ということです。
ここまで魅力的なオープニングはなかなか作れないのですが、作れれば半分以上勝ったも同然です。
素晴らしいと思いました。
演劇は、パワーマイムと呼ばれる、背景一切なしで、説明台詞と肉体の演技を駆使した表現手法で進んでいきます。
勢いだけとも感じられる手法ですが、たまに見る分には盛り上がっていいなと思いました。
でも、役者は大変そうです。全員、凄い汗を掻いていました。
また、マンガやアニメのお約束を上手く取り入れた見せ方をしたり、効果音を肉声で言うなど、私たちの世代にはストライクゾーンの表現が多く、面白かったです。
役者では、アロイのオーナー(オカマ)がよかったです。
ともかく、怪しく、艶かしく、嬉しくてたまらなさそうでした。
演技の上手さで言えば、豹二郎ダイアモンド役の腹筋善之介がぴかいちだったのですが、役の面白さで言えば、アロイのオーナーがよかったです。
気持ち悪いほど、生き生きとしていました。
全体的に非常に優れた作品だったのですが、一点だけ瑕疵がありました。
中央防衛局を中央郵便局とわざと間違える部分です。これは、繰り返し過ぎだと思いました。
繰り返しギャグは、ギャグの中でやるのはいいのですが、物語の中で、物語を堰き止めてまでやるものではありません。
悪ふざけも度が過ぎるとむかつきます。
あれがなければ、作品の価値はもう少し上がったのにと思いました。
放送事故のレベルまで、物語を止めていましたので。