映画「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」を三月下旬に見ました。
ジム・キャリーの出ている2004年の映画です。
個人的に、「画面に出て来ると、人の目を奪う三俳優」は、ウィレム・デフォー、ジム・キャリー、スティーヴ・ブシェーミだと思っています。
そのジム・キャリーが出ているというわけで、少し期待していましたが、あまりジム。キャリーが活かされていない印象の作品でした。
また、いくつかの点で甘いところが多く、勿体無いなと思いました。以下、その点について書いていきます。
まず、この映画の主人公は三人の兄弟(姉、弟、妹)についてです。
この三人にはそれぞれ、発明、読書、噛み付きという特徴があるのですが、この設定があまり活かされていませんでした。
映画は、ジム・キャリーの作るピンチが次々と発生して、それを三人が突破していくといった内容になっています。
しかし、この突破の仕方に、うまく三人の設定が絡んでいません。せっかく設定を付けているのだから、勿体無いなと思いました。
次に悪役のジム・キャリーの使い方についてです。
様々な人に変装して、主人公の三人を罠にはめようとするのですが、もう少し登場シーンが多くてもよかったのにと思いました。
というのも、ジム・キャリーが出ている間は盛り上がるのですが、出ていないときはだいぶ単調に話が進んでいたからです。
せっかくジム・キャリーを使うんだから、徹底的に使い倒すようにした方がよかったと思います。
三つめは、脚本の構成です。
三人が孤児になったあと、まず最初にジム・キャリーのところに来て、「どうもジム・キャリーは悪巧みをしようとしている」ということで、他の人の家に移ります。
この、「家を移る話」が二回あり、同じ話の繰り返しになっています。
繰り返し部分はもう少し整理してカットして、十分ほど上映時間を削れば、もっといい映画になったのになと思いました。
さて、話の繰り返し構造について少し書きます。
こういった繰り返し構造による話の展開は、御伽噺の常道なのですが、映画でそのままその構造をなぞると間延びしたものになります。
語りで魅力的な話の構成と、映像で魅力的な話の構成は違います。
語りの場合、今話しているところが全体のどこら辺なのか捕らえにくいので、繰り返し構造を使うことは理解を助ける上で非常に有効です。
しかし映像ではそれは逆効果に働くことが少なくありません。映像表現は語りよりも見通しがよいので、同じことを何度も繰り返されればすぐに飽きてしまうからです。
甘い点の四つめは、脚本家の視点を入れていることの是非についてです。
映画中、タイプライターを打っている脚本家の視点で解説を差し挟むという演出が行われます。
「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」というタイトルだから、きっとあれはレモニー・スニケット氏なのでしょう。
しかし、その視点が映画の物語自体には全く絡まないので、不要な物になっていました。
原作物なので、それを知っている人向けのファンサービスなのでしょうが、蛇足な演出だなと思いました。
というわけで、全体的に、練り込みが甘い映画だなという印象を受けました。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。終盤まで書いています)
富豪の子供である三人──発明好きの姉、読書好きの弟、何にでも噛み付く赤ちゃんの住む家が焼け、両親が死んだ。
彼らは親戚の許に引き取られることになる。
その後見人になった男は、狡賢く、遺産にしか興味のない男だった。兄弟はそこで散々な目に遭うが、男の罠を見破ることで、彼から離れることに成功する。
新しい後見人は、爬虫類好きという変な特徴はあったが、心はいい人だった。
そこで、子供たちは幸せに暮らす。だが、それもほんの一瞬の間だけだった。最初の後見人が、変装して屋敷に乗り込んできたからだ。
彼は新しい後見人を殺して、兄弟を自分の許に取り戻そうとする。
しかし、兄弟はその企みを見破る。そして、男は逃げ、兄弟は新しい後見人の許に行く。
だが、そこにも最初の後見人の魔の手が伸びてきた。彼は変装して、兄弟と新しい後見人に近付く。
兄弟たちは、命からがら窮地を脱するが、男の策略にはまり、最初の後見人の許に戻されることになる。
男は、遺産を手に入れることを確実にするために、赤ん坊を人質に取り、姉に結婚を迫る。
そして、その当日、男の企みを打ち砕こうと赤ん坊を助けに行った弟は、両親の死に、この男が関係している事実を突き止めるのだった……。
映画中、話以外に気になったところがあります。それは映像表現です。
幻想的な雰囲気を作るために色味を弄ってあるのですが、画面に遠景が混じると違和感が生じていました。
画面は少しトーンを暗めに寄せ、明るいところを強調しつつ、彩度のコントラストを高めた表現になっていました。
近景だけが映るときには、この表現は気になりませんでしたが、遠景が入ると違和感を感じました。
原因は、近景も遠景も一様に同じ画面の処理を行なっているからです。
人間の目は、近景と遠景は同じようには見えません。その違いがあるからこそ、色遠近法など、様々な遠近法を使い、絵に奥行き感を出すことができます。
しかし、そういった遠近の違いを無視して、一律に特殊な映像表現を画面に適用すると、違和感が出てしまいます。
こういった問題を解消するためには、3Dのように、どのオブジェクトがどの距離にあるのかを正しく設定して、それぞれの距離に応じた処理を掛けてやらなければなりません。
画面を見た限り、そういった処理をしていないようで、そのせいか、近景と遠景が同時に映り込む画面では違和感を感じました。
自分がそういったことをする場合は気をつけないといけないなと思いました。