映画「シド・アンド・ナンシー」のDVDを四月下旬に見ました。
1986年のイギリス映画で、セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスと、彼の恋人ナンシー・スパンゲンの愛を描いた作品です。
感想は「馬鹿二人」という感じでした。
水平線の下にいた二人が、一度も浮上することなく海底まで沈んでいって終わり。そんな映画でした。
たぶん、この映画は、評価的には「演技が素晴らしい映画」となるのでしょう。
しかし「演技が素晴らしい映画」には、得てして落とし穴があります。
こういった映画は、「映画自体の面白さ」よりも「演技」の感想しか残っていないということが多いです。
つまり、映画自体は面白くない。
この映画は、そういったタイプの典型だなと思いました。
また、この映画を見るには、同時代性が必要になると感じました。
映画では、一度もよいところのないシドですが、公開当時はセックス・ピストルズの栄光という社会的背景がありました。
この作品では、映画内で通常は描くはずの「アップ」と「ダウン」のうち、「アップ」を社会的背景に頼っています。
つまり、その当時、有名だったセックス・ピストルズの人間を描くことで、映画内で本来描かないといけない「アップ」の部分を省略して、「ダウン」から始めているのです。
そのため、映画公開から二十年近く経った今日の冷めた視点で見ると、いきなり「ダウン」から始まって、「ダウン」しか描いてない、何のメリハリもない映画になっています。
こういった作り方をすると、時代とともに作品は急速に劣化します。この作品は、そういった悪い見本の典型だと思いました。
“短期売り抜け”的に興行を考えるのでない限り、こういったことをしてはいけないという反面教師的な作品でした。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。最後まで書いています)
セックス・ピストルズのベーシストであるシドは、酒と麻薬に溺れていた。彼は、麻薬を買おうとして知り合った女ナンシーと深い仲になり、互いに依存しあうようになる。
周囲は、シドがナンシーとともにいることに批判的だったが、彼ら二人は行動をともにする。
やがてシドが原因でセックス・ピストルズは解散する。食い扶持がなくなったシドはさらに麻薬に溺れる。
二人は堕落の一途をたどる。シドは、麻薬のせいで前後不覚になり、ナンシーを殺してしまう。
何というか、見ていて痛い(精神的な意味での痛い)映画でした。
この映画を見て、観客が感じることは、「麻薬はやっぱり駄目だよな」ぐらいかなと思いました。
もう一つは、「人間は似た者に引かれ合う」ということでしょうか。同じ程度の駄目人間が二人、引力で引かれ合って合体したという印象でした。
あと、映画中気になったことは、ナンシー役の女優がブスだったことです。
これでは、シドが惚れる説得力がないなと思いました。
しかし、前述のように「似た者同士が引かれ合う」という意味では、「外見は関係ないんだ」ということを強調しているのかもしれないなとも思いました。
もう一つ気になったことは、映画中、シド役の俳優が、一度もまともにベースを演奏していないことです。
まあ、麻薬でまともに引けなかったという設定のようなので、よいのかもしれませんが、せっかくベーシストなので、一度ぐらいは凄いプレイをして欲しかったです。
しかし、セックス・ピストルズ自体が、演奏が上手くて人気があったバンドではないので、それでもよいのかなとも思いました。
(おまけ)
シドは、実際にベースをまともに演奏できない人だったと、この文章を書いたあとに教わりました。
「だから、弾けなさがリアルなんだよ」と。
それは、ベーシストとしてどうなんだと思いました。