映画「群衆」のDVDを五月上旬に見ました。
原題は「MEET JOHN DOE」(ジョン・ドーに会いに行こう)で、1941年の白黒作品です。
監督はフランク・キャプラ、主演はゲイリー・クーパー。
淀川長治総監修「世界クラシック名画100撰集」の中の一本です。「カリガリ博士」に続いて二本目です。
「カリガリ博士」では、いろいろと歴史的価値を語っていた淀川長治さんですが、この映画では素直に「面白い」を連呼していました。
なるほど、面白かったです。
最初の出だしは、「ちょっとどうかな」と思うのですが、終盤に行くに従い、どんどん面白さが加速度的に増していきます。
最初は「まあこんなものだろう」と思っていた漫画が、連載が進んで行くに従い、化けて滅茶苦茶面白くなるような感じです。
本作を見ながら、漫画の「キマイラ」(星野という浮浪者が選挙に出る漫画)を思い出しました。
途中から化けて、ぐいぐい面白くなっていく様がよく似ているのと、それ以前に内容が被っている部分があるのとで、かなり彷彿とさせられました。
以下、簡単な内容の被り具合です。
漫画「キマイラ」:浮浪者の星野という男を洗脳して、カリスマ的政治家としてデビューさせる。
映画「群集」:浮浪者の男をジョン・ドーという名前でマスコミに露出させ、カリスマ的人物として全国組織を作らせる。
浮浪者、カリスマ、政治への参入という流れがよく似ています。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。最後の直前まで書いています)
ある新聞社の大規模リストラで、女性記者が首を切られる。
「売り上げ部数を伸ばす、パンチを聞いた記事が、うちには必要なんだよ!」
そう言われた女性記者は、頭に来て、会社を去る前に、最後の記事を書き上げ、印刷に回す。
──市長にいきなり首を切られて無職になった男から手紙が来た。彼は、そういった横暴を批判するために、クリスマスイブの日に市庁舎から飛び降り自殺をする予定だという。彼の名は、ジョン・ドーだそうだ。
そのでっち上げ記事は、社会的な大反響を巻き起こす。
そして、市庁舎には抗議の電話や手紙が殺到し、「我こそはジョン・ドーだ」と名乗る人が続出した。新聞の売り上げも当然伸びた。
女性記者は呼び戻され、復職する。
ジョン・ドーという男は、実在しない。女性記者は、このでっち上げの記事を本物にするべく暗躍する。
彼女は、元プロ野球選手の浮浪者を雇い、ジョン・ドーに仕立て上げる。そして、彼についての記事を捏造していく。
新聞の部数は急激に伸びる。
そういった中、一人の富豪がこの現象に目を付ける。
そして、女性記者にスピーチの原稿を書かせ、ジョン・ドーをラジオに出し、アメリカ中にジョン・ドー旋風を巻き起こしていく。
ジョン・ドーは、「隣人を愛そう!」という、至極単純なメッセージを発信する。
しかし、その単純さが受けた。各地にジョン・ドー・クラブが作られ、その設立に富豪は惜しみなく金を出し続ける。
ジョン・ドー役の元浮浪者は、次第に自分がジョン・ドーであることを自覚し、与えられたメッセージを自分の血肉にしていく。女性記者とジョン・ドーは次第に引かれあっていく。
そして、いよいよ、ジョン・ドー・クラブの全国大会が開かれることになる。
だが、その直前に渡された原稿を見て、ジョン・ドーは激怒する。
全国大会のスピーチの原稿は、非常に政治的なものだった。
富豪は、大統領選挙に出馬するために、ジョン・ドー・クラブに金を出し続けていたのだ。
ジョン・ドーは反発し、彼を愛し始めていた女性記者も、富豪から離れる。
だが、そのことはジョン・ドーの破滅を意味していた。使えなくなった男を葬るために、富豪はジョン・ドーを詐欺師として告発する。
全国大会は、ジョン・ドー逮捕の舞台と変わる。
証拠は十分過ぎるほどあった。元々彼は偽者だったのだ。ジョン・ドーは、名声も金も全てをなくす。
だが、彼は今やジョン・ドーだった。クリスマスイブの夜。市庁舎の屋上には一人の男の姿があった。
彼は自分がジョン・ドーであることを証明するために、自殺しに来たのだ。
女性記者は、男の自殺を防ぐために、富豪やその取り巻きたちは、本物のジョン・ドーが誕生することを防ぐために、その場所で待機していた。
ジョン・ドーと、彼らは、雪の降る屋上で、会話を始める……。
ジョン・ドーが化け始めてから、物語は加速度的に面白くなっていきました。
そして、最後の全国大会は、非常に盛り上がりました。
こういった風に、最高潮の見せ場になる場所に向けて話を進めていくのは、やっぱり王道だなと思いました。
こういった感じの、寓話的な映画は、最近はあまり見ないので、たまに古い映画を見た時に出会うと嬉しくなります。
こういった話は好きなので。
フランク・キャプラ監督の他の作品も見たくなったので、淀川長治さんが勧めていた作品を何作か、ツタヤ ディスカスで予約しておきました。
さて、終盤に行くに従い面白くなっていくこの映画なのですが、序盤はけっこう首をひねるような内容でした。
首になった女性記者が、腹いせででっち上げ記事を書く辺りがもう──。
「新聞のでっち上げ」は、悪以外の何物でもないです。
後半社会派な作品の序盤部分で、コメディー風にこういった話が入るのは、いかがなものかと思いました。
そういう意味では、ちぐはぐな印象のある映画です。
「コメディー風」と書いたので、少し補足しておこうと思います。
この映画は、かなりコメディー風の演出が多いです。
淀川長治さんの解説では、どうも、この演出の方向性は監督のカラーのようです。
重い感じになりがちな話の中で、ちょっとしたアクセントになっており、なかなか微笑ましかったです。
映画中、いい味を出していたのが、浮浪者仲間のジョン・ドーの親友です。
「金を得ると亡者がよってくるから、止めた方がいいぞ──」
など、ジョン・ドーの未来が破滅的になることを予想して、様々な苦言を呈します。
そして、要所要所で、ジョン・ドーに救いの手を差し伸べます。
このキャラクターがいるために、主人公がジョン・ドーとして破滅に向かうこの話に、救いがあるなと思いました。
こういった友人は大切だと思います。