映画「野性の少年」のDVDを七月中旬に見ました。
1969年の白黒映画で、フランソワ・トリュフォーが監督、脚本、主演です。
内容は、アヴェロンの野生児の話です。
□Wikipedia - アヴェロンの野生児
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82... フランソワ・トリュフォーは、ヴィクトール少年に教育を施すイタール医師を演じています。
映画はなかなかよかったです。
周囲の人間とコミュニケーションの取れないヴィクトールに、イタール医師が手を替え品を替え、様々な方法で失敗もしつつ、コミュニケーションの方法を教えていきます。
イタール医師は基本的にはヴィクトールと距離を置いているのですが、「コミュニケーションの仕方を教える」という教育内容と相俟って、徐々に愛情を抱いていきます。
これは父性を感じさせる愛だなと思いました。
初めから全肯定で持っている愛ではなく、やり取りでもって芽生えていく父としての愛。
全力で少年を守るのではないが、自分ができる範囲で守って上げたい。そういった心の距離感を感じました。
少年も非常に魅力的でした。
しかしまあ、あんな演技をずっと続けていたら、子役本人にも何か精神に影響が出るんじゃないかと思いました。
かなり奇矯な少年ですので。
個人的には、イタール医師の教育が面白かったです。
「なるほど、そうやって教えるのか」
そう思うやり方が次々に出てきます。
特に、文字という概念がない少年に、段取りを踏ませて文字を教えていく様子は感心しました。
こういった詰め将棋みたいな話は好きです。
以下、粗筋です。(特にネタバレ的な話ではないので、そのまま書きます。)
アヴェロンの野生児と呼ばれる狼に育てられた少年が捕まった。
彼はパリに連れてこられて、医師に預けられる。
医師は少年に、人間としての教育を施すことになる。
しかし少年は意思疎通ができない。そこで、その教育はもっぱらコミュニケーションについてのものになる。
耳があまり聞こえず、しゃべることもできそうもない少年は、物を整理することが大好きだった。
医師は、少年のその性格を利用して、形と文字の対応、言葉の対応について教えていく。
さて、フランソワ・トリュフォーについて少し書きます。
フランスのヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人として有名です。
以前見た映画では「勝手にしやがれ」の脚本も書いています。
まだ、見ていないのですが「大人は判ってくれない」も見たいと思っています。
町山智浩氏の本に書いてあったのですが、初期のスピルバーグが敬愛していた監督だそうです。
「野性の少年」は、古い映画なので、もっと退屈かと思っていましたが、普通に面白かったです。
これなら、「大人は判ってくれない」も期待できそうだなと思いました。