映画「普通の人々」のDVDを九月中旬に見ました。
1980年の映画で、監督はロバート・レッドフォード。脚本はアルヴィン・サージェント。主演はドナルド・サザーランドです。
よい映画でした。
この映画は、非常にナイーブで、穏やかで、でも大きな問題を孕んでいます。
明確にどこがよいという部分を上げられないタイプの映画でが、終わった後に「よい映画だ」と心の底から思わされました。
家族のすれ違いだったり、どうにもならないもどかしさだったり、そういったものを上手く表現した作品でした。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。最後まで書いています)
高校に通い、水泳部に所属する主人公は、心に傷を負い、精神科医に通いだす。
切っ掛けは、彼の兄が、嵐の日の船の事故で死んだことだった。
明るく有能で誰からも愛されていた兄。母は彼を誰よりも愛しており、主人公のことは余り愛していなかった。
主人公はそんな母を嫌い、父を頼っていた。母は奔放で自己中心的な女性だった。対して父は、周囲に気を使う、優しい心の男性だった。
主人公は、これまで自分の心を抑圧することで生きていた。しかし、精神科医から自分の感情を解放することを学ぶ。
その主人公の心の変化により、家庭内のそれぞれの人間の問題が徐々に浮上してくる。彼らは、自分の心に、それぞれわだかまりを持って生活していた。
主人公は、母に愛されていないことを、そして兄を自分が救うことができなかったことを悩んでいた。
母親は、自分が主人公に嫌われていることを、そして自分が夫のように誰に対しても優しくなれないことを悩んでいた。
父親は、妻が息子の死に対して涙を流さなかったこと、そして、妻が息子を愛していないことを悩んでいた。
思春期の主人公は、精神科医との付き合いによって、そして恋人ができることによって、心を成長させ、自らの思いを表現できるようになっていく。
そして、成長した主人公は、母親に対して労りを、そして無償の愛情表現を見せられるようになる。
だが、そのことで、危ういバランスで保っていた家族がその均衡を崩す。父は、妻に自分の悩みを告げる。彼女はそのことで家を後にする。
父と息子は、二人で寂しく、家の庭で身を寄せ合う。
映画を見ている時に、「この母親はあまりにも狭量だな」と思っていました。
そして、「こんな女性は、出て行けばいいのに」と思いながら、映画を見ていました。
しかし、実際に映画の最後で、私が思っていたことを父親が母親に告げ、彼女が出て行く段になると、何とも言えない寂しさと虚しさが込み上げてきました。
観客として望んでいた結末なのに、それが実際に起こった時の寂寥感の大きさに、しばし呆然としました。
最後のシーンの詫びしさは、一つの言葉では上手く言い表せない、複雑な感情が絡み合ったものになっていました。
こういった感情を呼び起こすことは非常に難しいことです。
よくできた映画だなと思いました。
特に、観客にとって先が完全に読めていて、どうなって欲しいかも明確だったのにも関わらず、それが実際に起こった時に、理性では納得しても、感情では裏切られるというのは、かなりの離れ技だと思います。
派手さはないですが、非常によい映画でした。