映画「エルム街の悪夢」のDVDを十月下旬に見ました。
1984年の映画で、監督・脚本はウェス・クレイヴン。
この人は、後に「スクリーム」を撮っていますね。こちらは未見なのですが、「エルム街の悪夢」がよかったので、この映画も見てみようと思います。
さて、「『エルム街の悪夢』を今見ているのはどうなのか?」という、今更感はかなりあるのですが、こういった映画は、話題だけで見た気になり、実際は見ていなかったりするものです。
「『フレディVSジェイソン』を見ているくせに、こっちがまだというのはいかがな物か?」という話もあるのですが、「フレディVSジェイソン」が思ったよりも出来がよかったので、元の作品を見てみようと思いました。
「エルム街の悪夢」は、思った以上によくできていてびっくりしました。
DVDの解説を読んだのですが、この頃のホラーブームの中では割と後発だったようですね。
ちなみに、「13日の金曜日」は1980年で、四年前になります。
さて、予備知識ほとんどなしで見たのですが、他の映画とは違う、ちょっと変わった展開が興味深かったです。
映画には、二人の女性が出てきます。
ティナ(アマンダ・ワイス)とナンシー(へザー・ランゲンカンプ)です。
映画の序盤は、ティナが主役のように見えます。そして最初の展開は、このティナが追い詰められて、フレディに殺される話です。
しかし、これはプロローグに過ぎず、彼女が殺されたところから本編とでも言うべき話が始まります。
この、本編(フレディとの戦いと謎解き)の主人公が、ナンシーになります。
このナンシーなのですが、映画の冒頭では存在感が極めて薄いです。
ティナ役のアマンダ・ワイスは、かなり美少女で、可愛い女の子です。そして、ナンシー役のへザー・ランゲンカンプは、彼女に比べると二レベルほど外見的質が落ちます。
なので、序盤で主人公が交代した直後は、「えー、彼女が主人公なの?」と思います。
しかし、映画が進んでいくに従い、どんどんナンシーが魅力的になっていきます。
見慣れてくるせいか、彼女の演技のせいか、女優が映画の撮影に慣れてくるせいなのか分かりませんが、だんだん主人公としての存在感を増していき、最後には「よい女」に見えてきます。
これはなかなか面白い現象でした。
この映画には二つの魅力があります。
一つは、「眠ると襲われる」という、「誰しも抗えないこと」に恐怖を持ってきている部分です。
これは「私にも起こるかも」という、誰もが共感できる恐怖の発動条件で、脚本や映画の枠組み的な面白さになります。
それとともにもう一つ、前述の「主人公のナンシーが、危険にさらされる内に徐々に魅力的になっていく」という、俳優面の面白さがあります。
この二つが、いい具合にシンクロしているので、没入感が増し、映画の価値を押し上げているなと思いました。
そういった二つの要素が上手く絡み合い、「フレディが出てきて怖がらせる映画」ではなく、「フレディが出てくるまでがドキドキする映画」になっていました。
さて、ホラー映画といえば、魅力的な脇役です。
別名、やられ役。死亡フラグが立った人たち。
しかし、本作は、思ったほど人は死にません。
その代わりと言っては何ですが、「主人公は理解されない」という部分に焦点が当てられているように思いました。
主人公はフレディの存在を知り、その対策を必死にしているのに、周りの人たちは信じてくれなくて、片手間でしか助けてくれない。
そのせいで、周囲の人間がみなへたれに見えます。
その中でも、一番のへたれ役は、グレン(ジョニー・デップ)です(たぶん、ジョニー・デップのスクリーン・デビュー作)。
ナンシーの彼氏で、隣人なのですが、こいつが本当にへたれです。
「寝ないで、私を見ていてね」とナンシーが頼むと、豪快に寝ているし、「○○時に電話をちょうだいね」とナンシーが言うと、その時間には寝こけているし。
ともかく、役に立たないことこの上ないです。
何と言うか、ナンシーが立てた計画を、一人で台無しにしています。危機の三〜四割はこいつのせいです。
こいつが恋人でなければ、もう少し楽に、ナンシーはフレディと戦っています。
隣人というだけで恋人を選ぶと、危機の時に大変だなと思いました。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。終盤の最初まで書いています。まあ、有名な映画なので、よいでしょう)
高校生の何人かが、悪夢を見る。その夢は、「焼けただれた顔をして、ナイフの爪を手に持った、縞模様の服を着た男」に襲われるというものだった。
高校生たちは、その相手がフレディだと知っている。なぜならば、その町では、縄跳びの時の歌に、その男の名前が出てくるからだ。
そんな高校生の一人であるティナは、悪夢が現実になるという恐怖を感じ、恋人と、友人のカップルを家に呼んで、母親が留守の日を過ごす。
しかし、その対策は効かず、彼女は殺され、恋人は殺人犯として警察に捕まってしまう。
ティナの友人で、その日、家に一緒にいたナンシーは、ティナの恋人の無実を訴える。しかし、ティナの恋人は普段から素行が悪く、警察たちは耳を貸さなかった。
ナンシーもフレディの夢は見ていたが、それが現実になるという予感は持っていなかった。しかし、その事件の後から、ナンシーも夢が現実になるのではという恐れを感じ始める。
そして、夢に現れるフレディの攻撃で、ティナの恋人は殺される。
次は自分だ。そう怯えるティナは、恋人のグレンに協力してもらい、フレディを倒そうとする。
だが、グレンは役に立たず、彼女は追い詰められる。彼女は、フレディの帽子を現実世界に持ち帰っただけで、決着を付けることはできなかった。
彼女は、親の勧めで精神病院に通い始める。
ナンシーは親にフレディの夢の話をする。両親はその話を激しく否定する。しかし、母親がぽつぽつと語り始める。
彼女ら親の世代は、フレディを知っていた。変質者で殺人狂だった彼を、町の大人たちは、かつて追い詰め、焼き殺していた。
その、先代の惨劇は、縄跳びの歌として、町の住人たちの間に残っていた。
ナンシーは、フレディの正体を知る。彼女は、フレディを夢から引きずり出し、現実世界で決着を着けようと計画を立てる……。
粗筋を書いていて思いましたが、脚本もしっかりしていてよくできていると思います。伏線が無理なく話に絡んでいますし。
世間的な印象としては「フレディ」の映画ですが、私は主人公の「ナンシー」の方に魅力を感じました。
どちらにしろ、よくできた映画だと思いました。