映画「草原の輝き」のDVDを十月下旬に見ました。
1961年の映画で、監督はエリア・カザン。脚本はウィリアム・インジ。
エリア・カザンの映画は、「紳士協定」(1947)「欲望という名の電車」(1951)「波止場」(1954)に続いて四本目。
うーん。「紳士協定」と「欲望という名の電車」はよかったのですが、「波止場」は「なるほど」と思ったけど、特に面白いわけではなく、「草原の輝き」は「微妙」と思いました。
まあ、「草原の輝き」が恋愛映画だからというのもあるのですが。
エリア・カザンの映画は、後期になると私の趣味に合わなくなるのかなと思いました。この四作では、「紳士協定」が群を抜いてよかったですので。
というわけで、今回の「草原の輝き」の「何」が「私にとって駄目だったのか」を考えました。
たぶん、主人公二人(恋人関係の二人)が、与えられた枠の中でしか動かない人物だからだと思います。
主人公たちは、「父親」や「母親」といった「倫理や価値観の枠を与える人物」の掌の上から出ようとしません。
そして、その中で、ネズミのようにぐるぐる回るだけで映画は進行していきます。
つまり、抑圧から抜け出すという解放感がないまま、ストレスだけがたまっていきます。
映画の時代設定的に「そういった生き方をする時代」だったのだろうと想像は付きます。
しかし、カタルシスがない(もしくはカタルシスの予感がない)と、観客としては辛いです。
たぶん、「アメリカの古い時代の人々の生き方の中での恋愛と成長」を描いているのだと思います。
しかし、それがいくらよくできていても、物語的爽快感がないと、見ている間辛いです。
そのせいで、この映画は一気に見ずに、三日にわたってぶつ切りで見ました。つまり、それだけ引き込まれなかったということです。
映画の進行的にも、なんだかテンポがゆっくりで、テレビドラマ程度の密度しか感じられませんでした。
たぶん、それは「時代の空気」なのだと思いますが、それでも、ちょっとどうかなと思いました。
私は、映画を見る時には、時間圧縮された爆弾をぶつけられるような爽快感や衝撃が欲しいです。
物語作品では、リアルな人生の速度では味わえない「密度」を体験したいからです。この映画からは、そういったものは感じられませんでした。
たぶん、私には、この映画のフックが引っ掛かる場所がなかったのだと思います。
そのフックとは「思春期の恋愛」と「生まれた家庭環境による抑圧」です。
私にはどちらも関係ない要素ですので。
とはいえ、同じ要素を描いた映画でも、心に引っ掛かるものもあります。
その違いは、たぶん「変化の方向性」だと思います。
この手の作品で、私の心に引っ掛かるタイプの映画は、「主人公の成長」を描いています。
「独立」であったり、「決別」であったり、過去を踏まえた上での前向きな変化です。
しかし、この映画では、そういったタイプの「主人公の成長」は描かれていません。
この映画で描かれているのは、「思春期は過ぎ、振り返ってみれば、そういった時代もあったなあ」という静的な変化です。
つまり、主人公たちは動的な変化をしません。
しかし、「年を取る」という、経年変化によって、自分の思春期に対する見え方が微妙に変化します。
角度で言うと、二度から三度。
この微妙な角度に感受性が反応するタイプの人にとっては、たぶん意味のある映画なのでしょう。
でも私は、もっと急角度の変化が好みです。
なので、私にはこの映画は全く面白くなかったです。
長々と書きましたが、この映画は、アカデミー賞の脚本賞を取っています。
私のストライクゾーンから遠い作品でしたが、こういった作品がストライクゾーンの人も結構いるのだと思います。
でも、私にとっては駄作です。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。最後まで書いています)
主人公の一人である女性は、雑貨屋の両親を持つ高校生。主人公の一人である男性は、石油会社の社長を父に持つ高校生。
彼らは恋人だったが、キスまでしかしていなかった。
男性はいつも悶々としていて、早くセックスをしたいと思っていた。しかし、女性は、母親に「結婚までは体を許すな」と言われており、セックスを拒み続けていた。
男性は「結婚すればセックスができる」と思い、そうしたいと思っていた。だが、父親はその結婚に反対だった。
父親は男性を大学に行かせようとしていた。しかし、男性は農業をしたいと思っていた。
男性は、卒業後の結婚を条件に、大学に行くことを父親と約束する。
しかし、大学を卒業するまでセックスができないと思うとさらに悶々として、手軽な女の子に手を出してセックスしてしまう。
二人の中は壊れ、女性はそのことで精神を病んで、精神病院送りになる。
男性は大学に行くが、やりたくない勉強なので、全く勉強せず、酒浸りの生活を続ける。そして、飲み屋の娘とできる。
男性の父親は、二人の仲を裂こうとするが、恐慌の煽りで破産して自殺する。
女性は精神病院で、一人の患者と仲よくなる。そして、退院後に婚約する。
女性は男性に会いに行く。男性は飲み屋の女と結婚して、農場の下働きになっていた。
基本的に、主人公二人の親にイライラさせられる映画でした。
そして、最後まで、そのイライラは物語的に解消されないまま、映画は終わります。
たぶん、そこが一番不満だった点だと思います。
作中、男性は父親と対立し、女性は母親と対立します。
この親たちですが、どこにイライラさせられるかというと、「自分の望みを子供に押し付ける」ことと「自分の体面しか考えていない」ことです。
子供を一切自立した人間として扱いません。
そして、主人公たちは、その立場に甘んじ続けます。
うーん。
基本的に全編そういった感じの映画なのですが、終盤に一点だけ、わずかに爽快感を与えるシーンがありました。
娘をコントロールし続けようとする女性の母親に対して、父親がわずかに助けの手を差し出すことです。
いつも寡黙で妻に逆らわなかった父親が、妻の考えと真逆のことをして娘に手を貸します。
そこだけは「いいな」と思いました。