映画「戦艦ポチョムキン」のDVDを一月上旬に見ました。
映画史上、非常に有名な一作です。なので、前から見なければと思っていました。
借りてきたのは、「淀川長治総監修クラシック名画100撰集」。
このシリーズはいいですね。淀長さんが冒頭で熱く解説してくれます。そして、映画の背景や見所、関連作品や、抑えておく作品を教えてくれます。
同じ監督が撮った「ストライキ」(1925年)や、「イワン雷帝」(1946)も見てみたいです。特に、「イワン雷帝」は絶賛でしたので。
あと、今回の淀長さんは「自分が見た最もよい映画と聞かれたら、『戦艦ポチョムキン』と、チャップリンの『黄金狂時代』と答えます」と話していました。
「黄金狂時代」も見ないといけないですね。淀長さんの言葉を、この目で確かめないといけないです。
というわけで、「戦艦ポチョムキン」の話です。
1925年のソ連の白黒映画です。
監督はセルゲイ・M・エイゼンシュテイン。この作品と監督は、映画の本を読むと、必ずといっていいほど出てきます。
モンタージュ理論の人です。
個々の映像をどのように並べるかにより文脈が生じて、映画の作り手側からの意味伝達ができるという理論だと、私は理解しています。
つまり、「単語」を並べることで、「文章」という一段高い表現を行えるように、映画でも「カット」を適切に並べることで「映画」という一段高い表現を行えるようになる。
きちんと元の論文を読んでいないので、外している可能性もありますが、大意において、そういった意味だと思っています。
□Wikipedia - セルゲイ・エイゼンシュテイン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82...□Wikipedia - 戦艦ポチョムキン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88...
さて、映画です。白黒の無声映画です。
見る前は、もっと難解で理解不能な作品かもと思っていたのですが、そんなことはなかったです。
一言で言うと「煽る、煽る」といった感じです。
無駄なシーンをガリガリと削って、映像密度を上げて緊迫感を高めて、「来る! 来る!」と思わせるプレッシャーを観客にどんどん与えていって、それが爆発するように映像を展開させていく。
特に上手いなと思ったのは、群集シーンの描き方です。
緊張が極度に上がっていき、それが爆発して暴徒になったように物語が動いていくのですが、カット割りを細かくすることで、暴発シーンの間に次の暴発シーンの高まりを用意していき、次から次にシーンを展開していきます。
まるで、鍋の中の沸騰したお湯が、次から次に泡となって破裂するように、間断なく緊迫のシーンが続きます。
なるほど、今見ても勉強になるなと思いました。
最高の作品かどうかは分かりませんが、非常によくできた作品なのは確かです。
そして、当時としては画期的だったのだろうなと思いました。
以下粗筋です。(ネタバレあり。最後まで書いています)
ロシア海軍の戦艦ポチョムキンでは、士官と兵士の対立が深まっていた。
船に詰まれた兵士用の肉は全て腐っており、うじが湧いていた。そして、その肉で作ったスープを食べさせられる兵士たちは次第に上官たちに殺意を抱きだす。
緊張が高まる中、抗議のために腐った肉のスープを拒絶した兵士たちの死刑が決まった。
そして、いよいよ刑が執行される時になり、仲間を救うために兵士たちが立ち上がった。
彼らは士官たちと死闘を繰り広げて、戦艦ポチョムキンを自分たちの手中に収める。
兵士たちは港に入った。
圧政に苦しんでいた民衆はポチョムキンの兵士たちを喜んで迎えた。だが、陸軍がやってきて、その民衆を蹴散らし出す。
人々は、追い落とされるように階段を転がりながら逃げ、虐殺されていく。
乳母車を押していた母親も殺され、赤ん坊を乗せた乳母車が階段を落ちていく。
ポチョムキンの兵士たちは、司令部に艦砲を打ち込む。そんな彼らの許に、黒海艦隊がやって来たという報せが入る。
彼らは緊張とともに海に出て、艦隊へと向かっていく。
兵士たちは死を覚悟しながら進み続ける。いよいよ砲弾が届く距離になった時、驚くべき言葉が発せられた。
「同士!」
そう、黒海艦隊も、ポチョムキン同様、革命を経ていたのだ。ポチョムキンの兵士たちは、喜びとともに艦隊に合流する。
この映画を見て思ったのは、「徹底的に情報密度を高めるカット割り」と「手に汗握るシーンの構成」が上手いなということです。
声はないですが、映像だけで意味が通じるようになっています。
序盤は、字幕(無声映画の間に入る文字)で説明が入りますが、中盤以降はそういった物は必要ない展開になります。
もうそろそろ一世紀が経つ映画ですが、今でも学ぶべきところが多いなと思いました。