映画「パットン大戦車軍団」のDVDを四月中旬に見ました。
1970年の映画で、監督はフランクリン・J・シャフナー。脚本はフランシス・フォード・コッポラ他です。
172分の長い映画でした。
さて、感想です。
この映画は、冒頭のパットンの演説シーンが全てを物語っています。
なんというか、アメリカ軍というか、アメリカのイケイケの戦争好きは、この時代から全く変わっていないんだなと思わされます。
戦争描写は派手で大掛かりで一大スペクタクルで大変よかったですが、主人公のパットンには全く共感できず、一日で見終わらず数日掛かってしまいました。
(つまり、途中でDVDを止めても痛いとは感じない映画だった)
以下、どこらへんが主人公に共感できなかったか書いていこうと思います。
主人公のパットンは、戦争大好き人間です。ともかく戦争が好きで好きで仕方がなく、「政治的に戦えないなら、俺が開戦理由を作ってやる!」と叫ぶほどの戦争好きです。
さらに、自己の欲望に忠実です。ライバルとの競争に勝つためには、兵士がどれだけたくさん死んでも平気です。兵士の命よりも、自分が競争に勝つことを優先します。
さらに、精神主義です。兵士が戦場で神経衰弱なると、「気合いが足らん。最前線に送って殺してやる」と罵倒して殴ります。野戦病院で。
彼は歴史が好きで、戦史を研究しています。しかし彼自身が取る行動は、「攻めて攻めて攻めまくる! ただ前進あるのみ!」というものです。
彼は政治的配慮を持って台詞を吐くことができず、失言が多く、上層部を悩ませます。
こういった人物のため、上層部には不評で、部下には「死ねばいいのに」と罵られたりします。
何というか、これで共感しろというのは無理です。まあ、歴史上の人物を題材にした作品ですので、「この人はこういう人でした」という描き方なのでしょうが。
このように、上にも下にも人望が薄いパットンですが、戦争だけはやたら強いです。どれだけ被害を受けても精神的ダメージを受けずに攻め続けるので相手を圧倒します。
上層部は、パットンを使いたくないが、使わざるを得ない状況がたびたび発生します。
部下たちは、快進撃を続けている時はパットンを常勝将軍として褒め称えます。
でもまあ、この人の下に付いた人は不幸だよなと思います。被害を最小限に抑えるという概念がないので、湯水のように人命を消費していきますので。
実際の彼がどういった人物だったのかは分かりませんが、戦争が終わって二十年以上経ったことにより、当時の英雄の一人もこういう描き方ができるようになったのかなと思いました。
この映画がアカデミー賞をいろいろと取っているのは、そういったことも関係しているのではないかと思いました。
ちなみに、主役のジョージ・C・スコットの演技は非常によいです。「パットンってこういう人物なんだ」と本気で思わされます。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。というか、歴史をなぞった作品なので、そのまま書きます)
パットンはアフリカ戦線に赴任する。彼は兵士たちを徹底的に叩き直して成果を上げる。彼は戦史を研究するのが好きで、敵のロンメルに敬意を払っていた。
そんな彼にとって、自軍の中に我慢できない人物がいた。同じ連合軍の、イギリスの将軍モンゴメリーだ。
戦争には英雄が必要だ。連合軍の英雄として、モンゴメリーには華々しい活躍の場が与えられていた。その政治的配慮にパットンは憤り続けていた。
戦線はイタリアに移る。シチリア上陸作戦でもモンゴメリーが優先され、パットンはその援護に回される。そのことが許せなかったパットンは命令が届かなかった振りをして進撃し、上層部の不評を買う。
ノルマンディー上陸作戦の頃には、彼は上層部から憎まれていた。そして、主要な作戦から外され、囮として利用されることになった。
上陸後、戦場はヨーロッパの中心に移る。
そこで再びパットンに活躍の機会が与えられる。膠着した戦線を打破するには彼のような猛将が必要だった。
かつてパットンの部下だった男が、今や彼の上官になっていた。失言の多かったパットンと違い、彼は謙虚な男だったための昇進を重ねていた。
「先輩で、かつて上官だった人間は使いづらい」
「もう失言はしない。上層部にも逆らわない」
パットンはかつての部下に頭を下げ、再び戦場に入り快進撃を重ねる。しかし、再び失言をし、上層部に逆らおうとし、戦後は軍から追放される。
映画中、連合軍とは別にドイツ軍の参謀本部のシーンが随所に差し挟まれます。
そこで「なるほど、そう描くか」と思ったのは、ドイツ軍がパットンを異常に警戒していて、彼の動きに過剰に反応する様子です。
軍人の能力は、自軍よりも敵軍の方が評価する。
連合軍の中では厄介者扱いされていたパットンですが、敵軍からは恐れらていました。
敵に評価されるのは実力で、身内に評価されるのは実力よりも政治力なのかもしれないなと思いました。