映画「我が道を往く」のDVDを五月の中旬に見ました。
1946年の白黒映画で、監督、原作はレオ・マッケリー。脚色はフランク・バトラーとフランク・キャヴェットです。
相当古い作品なので、見ていて凄い面白いというわけではなかったですが、いくつか“はっとするシーン”はありました。
その“はっとするシーン”について書いておこうと思います。
この映画は、教会の牧師の話です。ニューヨークの下町の教会の引継ぎにやってきた新しい牧師が主人公です。
教会は借金だらけで、町の子供たちは悪ガキたちで、その荒れた地区を立て直すという話です。とはいえ、前任者が悪人なわけではないですが。
その新任牧師は、過去に音楽家を目指していました。
つまり、娯楽映画としてのミュージカル的側面を持った映画というわけです。
でも、映画自体はミュージカルではありません。音楽シーンはけっこうありますが。
さて、件の“はっとするシーン”についてです。
先ほどの設定から予想が付くと思いますが、悪ガキたちを聖歌隊に組織して更生させるというエピソードが出てきます。
このシーンが秀逸です。
子供たちを声の高さでいくつかのグループに分け、それぞれに出す音を教えて一斉に声を出させます。
当然、狙ったように和音になり、その音の精妙さに少年たちは驚きます。
まるで魔術です。
これは名シーンだなと思いました。
音楽が数学だというのも分かるような気になりました。そして、音楽=数学=魔術だと思わされました。
悪ガキたちは、この和音が出た瞬間に価値観が変わります。自分たちが、これほど美しい音を出せることを“発見”します。
そして「今日はこれぐらいしておこう」という牧師に対して「もっとやろう」とせがみます。
百の言葉よりも説得力のある方法だなと思いました。
宗教が異文化の中に侵入する際、新しい価値観を物質的なもので認識させるという手法がいつの時代も行われてきました。
キリスト教が日本にやって来た時も、その教義よりも、まずは珍しい舶来物などに人々は目を奪われました。
音楽もその中の一つだったはずです。
ハーモニーというものは、人の心を揺り動かす魔術的な力を持っているなと、改めて思わされました。
以下、粗筋です。
ニューヨークのある教会。その教会の年老いた牧師は、苦労の末に、ゼロから教会を立てて教区を確立した人物だった。
その教会に、新しい牧師がやって来る。彼は司教より、後任者として派遣された人物だった。
彼は前任者である老牧師に敬意を表して、自分が彼の職を奪う立場にあることを最初は隠す。
そして、借金にまみれた教会を建て直し、地域の子供たちを更生する方法を実践する。
だが、その手法は老牧師とは違っていた。祖父と孫ほど年の離れている二人は、目的は同じでも考え方が大きく異なっていた。
老牧師は司教に若い牧師の苦情を言いに行く。だが司教が後任者として若い牧師を送ったことに気付き、そのまま返ってくる。教会は新任の牧師に引き継がれ、彼は再建を始めることになる。
新任牧師は、かつて音楽の道を志していた。彼は、その時の経験と人脈を生かして再建に乗り出す。
子供たちを聖歌隊にする方法は成功した。彼は借金の返済にも乗り出す。
若い牧師は、借金の返済を曲を売ることで行おうとする。だが、彼が作った歌は“美し過ぎる”と拒まれた。時代は、陽気で低俗な音楽を求めていた。
牧師は挫折する。その姿を見て、彼の音楽に心を動かされた仲間たちが動き出した……。
俳優についても書いておきます。
主役はビング・クロスビーです。
少し前に見た「喝采」(1954)の主役です。映画に出てきてすぐに気付きました。
物腰穏やかでありながら、内に秘めた精神の力を感じさせるよい演技をしていました。
映画の面白さとしては普通に面白かったです。
逆に言うと、突き抜けた面白さはなかったです。
映画も時代が遡ってくるとだんだんテンポが緩やかになります。
時代なのでしょうが、ある程度テンポが現代に近い方が楽しめるなと思いました。