何かはてな辺りで話題になっているようで、ちょっと思うところがあったので少し文章を書きます。
以下のところを読んで、書こうと思いました。
□「彼女がいない」より、「惚れない」ことのほうが深刻なのでは?
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080908/p1□彼女が欲しい、っておかしい事なんですか
http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20080908/1220866568
以下、ずらずらと個人的に思っていることを書きます。
元々私は「恋」と「愛」は別物だと思っているので、「恋愛」という熟語で「恋」を語ることは語弊があると思っています。
確かに同時進行することもあるでしょうが、別に同時進行する必要性はないです。
そもそも私は、「恋は冷めるもの」で「愛は深まるもの」だと思っています。
「恋」というものは、心の温度が短期間で急速に上昇して、時間を掛けて冷却していく現象です。
「愛」というものは、最初は浅かった関係が、時間を経ることによって相手を重要な人間だと認識して関係性を強化していく現象です。
つまり、「恋愛」とは、急速な精神的な加熱によって「恋」の状態になり、その後時間を掛けて「恋」が冷めつつ互いの関係性を深めながら「愛」の状態に移行していくものだと私は考えています。
言い換えるのならば、「恋愛」とは、恋が始まり、恋が終わり、その過程の中で愛が強化されることで、ようやくひとつの熟語として成立する現象だと言えます。
上記のように、私は「恋」と「愛」は異なる現象だと捉えています。
そして、人類の歴史において、交際や結婚に至る過程で「恋」を経る必要があると社会通念として考えられていた時期は全てではありません。
現代社会において「恋」の重要度が高まったは、以下の二つの要因が大きいと思います。
1.「恋愛資本主義」などと言われることもある、「恋」の重要性を主張する情報の氾濫。
2.人間関係が地縁・血縁から解放されつつある社会情勢の変化。
先ほども書きましたが、「恋」は温度なので、人によってはその変化率が低かったり、「恋」と認識する閾値が高かったりします。
ある意味、冷静で理性的な人は「恋」から遠い位置に立っているとも言えます。
そして、「恋」がなければ交際や結婚をしてはいけないという理由はないですし、「恋」だけがそういった人間関係を始める切っ掛けでもないです。
以下、完全に個人的な見解ですが、人間関係の密度が高く、視界の中の社会の範囲が狭いほど、「恋」の発火点は低くなると思います。
逆に、人間関係よりも情報や物品に時間を割き、相対的に人間に掛ける時間が少なく、身内以外の場所を見ている場合は、「恋」に至る可能性は低くなると思います。
さて、この「恋」に至らないことですが、別に悪いことではないです。
精神が「恋」の状態になりやすいからと言って、別に偉いわけでもありません。「怒りやすいから偉い」というわけでもないのと同じです。
それは単なる気質の問題です。
そして、そこに価値を置くかどうかは、本人の意識の問題です。その人の価値観にしか過ぎません。
結局は、「彼女」や「恋」が重要かどうかは、自分の欲しい物が何なのかということだと思います。
みんなと同じでなければならない理由はどこにもないです。
本当に欲しい物を手に入れるように、人生をデザインすればよいだけです。
「彼女が欲しい」というのは、個人的な印象として、「漠然とした不安」なのではないかと思います。
自分の今の人生が正しいのかどうなのか分からないという不安です。
「恋」は別に絶対的な価値観でないです。それに上記のURLの意見のような「恋をしないで相手を探すことが悪い」という考え方は、一つの価値観に過ぎません。
そういった考え方があるのと同様に、「恋は置いておいて、誰でもいいから彼女を作ってから考えろ」という価値観もあると思います。
当然、「作らずに、己を貫け」という価値観もあるでしょう。
人によっては、「恋こそ人類を堕落させる悪魔の考えだ」という考え方もあるでしょう。
また、上記の「誰でもいいから」といった言葉に「相手に対して失礼だろう」という考え方もあるかもしれません。
しかし、この話を、「彼女が欲しい」ではなく、「彼氏が欲しい」にしてみて下さい。それは理不尽な考え方でしょうか? よく聞く言葉です。
また、そういった人同士が付き合うことは悪いことでしょうか?
別に悪くはないでしょう。
そしてそれは、そこに「恋」がなくても、成立することだと思います。
生物の雄と雌が出会って交接するのに「恋」は必ずしも必要ではありません。
結婚紹介ビジネスや、恋人探しビジネスが成立するのも、そういった理由からだと思います。
個人的には、「恋」という価値観は、現代社会で過大評価され過ぎていると思います。
そして、そのことにより、その価値観のいびつさに気付かない多くの若い人が悩まされていると思います。
別に「恋」は全ての人にとって必要な心理的な現象ではありません。
それに、彼女が欲しいという感情に「恋」は必ずしも必要ではありません。
世の中で流布している「恋愛関係」の状態を体験したいという欲求、漠然とした不安を解消したいという欲求、そういったものからも生じることだと思います。
そして、それは悪いことではありません。
なんだか、話が散漫になりました。
学生時代、邦楽のほとんどが恋愛ソングで、聞くに堪えないと思っていた人間ですので、少し書いておくことにしました。