・
[古今] 関係の記事・
[和歌] 関係の記事・
[古典] 関係の記事 今回から、数回にわたり、「古今和歌集」の感想を書きます。全部読み終わりましたので。
以下、感想です。
講談社学術文庫版の「古今和歌集 全訳注」(全四巻、久曾神 昇)の一巻を読みました。
「仮名序」から始まり、「巻第一 春歌上」「巻第二 春歌下「巻第三 夏歌」までです。「真名序」は文庫の四巻末に収録されています。
講談社学術文庫版は、以前読んだ「奥の細道」の編集がよく、同じような編集が行われていたので買ってきました。
本文と解説の読みやすさは、岩波よりも格段に上です。今のところ、古典を読むなら、講談社学術文庫だよなと思っています。
ちなみに、著者の「久曾神 昇」氏の名前は、「きゅうそじん ひたく」と読むそうです。普通、読めません。
久曾神昇氏は1909年生まれで、本が出たのは1979年だそうです。私が買ったのは、2008年4月の第29刷です。
一巻を読み終えて分かったことがいくつかあります。
まず一つ目は、「古今和歌集」は、和歌の羅列ではなく、編集に趣向が凝らされているということです。
例えば春の歌は、梅の咲き始めから始まり、梅を惜しむ歌へと時間の推移に沿ってならべられています。そして、その次は、桜の歌が続くといった具合になっています。
つまり、季節の移り変わりを楽しめるようになっています。また、同じ状況でも、見方・解釈の仕方が逆の歌を対比して並べたりもしています。
おかげで、ある程度読み進めていくと、古典文法が分からなくても、意味が“読める”ようになってきます。
二つ目は、掛け詞がほとんどないことです。
まだ一巻だけの印象ですが、新古今の時代の歌に比べて、圧倒的に掛け詞が少ない気がします。おかげで、パズルを解くようにして読む必要はないので、素直に読めます。
三つ目は、「五七五・七七」で切れる歌よりも「五七・五七七」で切れる歌の方が多い印象であることです。
ここら辺は、後に「五七五」の上句から俳諧に至る流れを考えると、時代の変遷があるのかもしれないと感じました。
でもまあ、まだ一巻だけしか読んでいないので、そのせいかもしれません。
四つ目は、「強意」の助詞「し」が多く出てくることです。
「歌」だから、というのもあるのかもしれませんが、やたら出てきます。
読んで、意味がすぐに推察できない歌で、歌中に「し」が入っている場合は、「し」を抜くとだいたい意味が分かりました。
五つ目は、全ての歌が同じレベルではないということです。
「よい」と思える歌もあれば、「うーん」と思える歌もあります。そして、「よい」と思える歌は、それほど多くはありません。
その中でも、百人一首などにも取り上げられている歌は、さすがにクオリティが高いと感じるものが多かったです。
六つ目は、「仮名序」に、選者の自負心が強く前面に出ていることです。
これは、当時と現在の文化の違いだなと思いました。
七つ目は、「古今和歌集」という定本があるわけではなく、書写されていた本なので、様々なバージョンがあるということです。
私が今読んでいるのは、藤原定家のバージョンだそうです。そして、「仮名序」には、定家の突込みがたくさん入っています。
「歌を、漢詩に沿って、そういう風に分けるのは無理があると思う」とか「その表現手法の歌のサンプルとしてこの歌を挙げるのは間違っている。こっちの歌の方が相応しい」とかです。
当時の「本」は、書写するものなので、プライベートなバージョンは、自分のメモなどを書き込んでいたみたいです。
とりあえず、四巻中の一巻を読んで、上記のようなことが分かりました。
以下、「古今和歌集 全訳注 一巻」の中から、これはと思った歌を抜き出しておきます。あくまで、私の趣味に適った作品ですので、世間の評価とは違うと思います。
また、漢字付加、歌意、感想は、本を参考にして、私が勝手に付けています。文法的に誤っている部分もあると思います。
古今和歌集 巻第一 春歌上
P65 歌8
「文屋(ふんやの)やすひで
春の日のひかりにあたる我なれどかしらの雪となるぞわびしき」
●漢字付加:
春の日の
光に当たる
我なれど
頭(かしら)の雪と
なるぞ侘びしき
●歌意:
春の日の光(東宮のご恩顧)にあたっている私ですが、頭に雪が降りかかり、髪も白くなっているのが、侘しいことです。
●感想:
しっとりとした、老いの侘びしさを感じる歌。それと共に、東宮への心の素直な暖かさも感じる。
P78 歌21
「仁和(にんな)のみかど
君がため春ののにいでてわかなつむわが衣手に雪はふりつつ」
●漢字付加:
君が為
春の野に出でて
若菜摘む
我が衣手に
雪は降りつつ
●歌意:
あなたに差し上げようと、春の野に出て若菜を摘む時に、私の袖には雪が降りかかっていましたよ。
●感想:
情景が美しい。当時は、物を贈る時に、その内容のよさや、努力をしたことを前面に押し出す文化だったらしい。
P82 歌24
「源むねゆきの朝臣
ときはなる松のみどりも春くれば今ひとしほの色まさりけり」
●漢字付加:
常盤なる
松の緑も
春来れば
今一入(ひとしほ)の
色勝りけり
※一入(ひとしほ):染め液に一度浸して染めること。
●歌意:
一年中変わらない松の葉の緑色も、春が来れば、もうひとたび染めたように、色が濃くなったことだなあ。
●感想:
春の鮮やかさを、はっと気付かせてくれる、新鮮な驚きを改めて与えてくれる歌。
P86 歌28
「よみ人しらず
ももちどりさへづる春は物ごとにあらたまれども我ぞふり行く」
●漢字付加:
百(もも)ち鳥
囀(さえず)る春は
物事に
改まれども
我ぞ古(ふり)行く
※百(もも)ち鳥:百(もも)つ鳥。様々な小鳥の意味。
●歌意:
多くの小鳥がさえずる春は、物事が新しく改まる季節だが、私は毎年古びていく。
●感想:
春の賑わいと、自分の老いの対比がよい。
P94 歌38
「とものり
君ならで誰(たれ)にか見せむ梅の花色をもかをもしる人ぞしる」
●漢字付加:
君ならで
誰(たれ)にか見せむ
梅の花
色をも香をも
知る人ぞ知る
●歌意:
あなた以外に誰に見せましょうか。この梅の花の、素晴らしい色や香りは、分かる人にしか分からないのですから。
●感想:
流れるような調べが美しい。
P98 歌42
「つらゆき
人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔のかににほひける」
●漢字付加:
人はいさ
心も知らず
故郷(ふるさと)は
花ぞ昔の
香に匂ひける
●歌意:
さあどうでしょうか。あなたは私の心を知らずにそうおっしゃる。しかし、昔なじみのこの宿では、花は昔のままの香りで、私を迎えてくれていますよ。
●感想:
「宿になかなか立ち寄ってくれない」と言われたことに対する、当意即妙の歌の意味がよい。
また、前半の「人」と、後半の「花」の対比がよく、さらに「にほひける」と柔らかい言葉で結ぶことで、宿の家主の心を和らげようとする意が酌める。
P109 歌53
「在原業平朝臣(ありはらのなりひらあそん)
世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし」
●漢字付加:
世の中に
絶えて桜の
無かりせば
春の心は
長閑(のどけ)からまし
●歌意:
世の中に桜が全くなかったのならば、あわただしく散る花はなく、春の心はさぞのどかなことであろうよ。
●感想:
のびやかで、おおらかで、歌を読んだ人の人柄のよさが、素直に出ている歌。傑作。
P112 歌56
「そせいほうし
みわたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の錦なりける」
●漢字付加:
見渡せば
柳、桜を
こき混ぜて
都ぞ春の
錦なりける
●歌意:
遠目より都を眺めわたしてみると、柳の緑と、桜の紅が混ぜ合わさって、都は春の錦となっている。
●感想:
緑と紅の対比が目に鮮やか(当時の桜は、今の桜とは違う)。ゴージャスな雰囲気を持った歌。
P112 歌57
「きのとものり
いろもかもおなじむかしにさくらめど年ふる人ぞあらたまりける」
●漢字付加:
色も香も
同じ昔に
咲くらめど
年齢(とし)古(ふる)人ぞ
改まりける
●歌意:
桜の花は、色も香りも昔と同じように咲いている。だが、年を取った私は、色も香りも徐々に失っている。
●感想:
調べがよい。桜との対比で老いを表している。
古今和歌集 巻第二 春歌下
P133 歌80
「藤原よるかの朝臣
たれこめて春のゆくへもしらぬまにまちし桜もうつろひにけり」
●漢字付加:
垂れ篭めて
春の行方も
知らぬ間に
待ちし桜も
移ろひにけり
●歌意:
(病気に掛かり、)御簾を垂れて、その中に引き篭もり、春の過ぎ行くことも知らないでいた間に、待ち詫びていた桜は時期が過ぎ、散り行く季節になってしまった。
●感想:
病気で桜の季節を逃してしまったことへの物悲しさが、影のある歌の調子と相俟って、よく表現されている。
P138 歌84
「きのとものり
久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」
●漢字付加:
[久方の]→
光 長閑(のどけ)き
春の日に
静(しづ)心無く
花の散るらむ
●歌意:
日の光も長閑な春の日であるのに、落ち着いた心もなく、花が散っているようだ。
●感想:
広がりを持ち暖かい、光溢れる光景を想像させる上の句に続き、紙にすっと鋏を入れたような音色の下の句が続く。
その上の句から下の句への移行が、緊張を持って行われており、柔らかい情景の中に一本筋の通った、凛とした美しさを伝えてくる。傑作。
P143 歌90
「ならのみかどの御うた
ふるさととなりにしならのみやこにも色はかはらず花はさきけり」
●漢字付加:
旧都(ふるさと)と
成りにし奈良の
都にも
色は変はらず
花は咲きけり
●歌意:
旧都となってしまった奈良の都にも、かつてと同じように花は咲いたことだろう。
●感想:
素直な述懐の歌だが、調べが美しく、すっと心に入ってくる。
P164 歌113
「小野小町
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」
●漢字付加:
花の色は
移りにけりな
徒(いたづら)に
[我が身世に降る]→
長雨(ながめ)せし間に
●歌意:
意味1:花の色は褪せてしまった。いたずらに長雨が続いている間に。
意味2:私の容色も衰えてしまった。なずべきこともなく、物思いをしていた間に。
●感想
才気を感じる理知的な歌。
P168 歌117
「つらゆき
やどりして春の山辺にねたる夜は夢の内にも花ぞちりける」
●漢字付加:
宿りして
春の山辺に
寝たる夜は
夢の内にも
花ぞ散りける
●歌意:
宿を取って、春の山辺に寝た夜は、夢の中にも花が散っていたことよ。
●感想
夢の中にも花が散っているという趣向が面白い。絵的にも華やか。
P181 歌131
「おきかぜ
こゑたえずなけやうぐひすひととせにふたたびとだにくべき春かは」
●漢字付加:
声絶えず
鳴けや鶯
一年(ひととせ)に
再びとだに
来べき春かは
●歌意:
声が絶えないように鳴けよ鶯。一年にもう一度春は来ないのであるから。
●感想
鶯に呼び掛ける調子に、力強さと伸びやかさを感じる。歌う人の背筋の張りと、晴れやかさを感じる歌。
古今和歌集 巻第三 夏歌
P213 歌166
「深養父(ふかやぶ)
夏の夜はまだよひながらあけぬるを雲のいづこに月やどるらむ」
●漢字付加:
夏の夜は
まだ宵ながら
明けぬるを
雲の何処に
月宿るらむ
●歌意:
夏なので、まだ宵であると思っている内に、夜が明けてしまった。西に沈む間もなかったであろう月は、雲のどこらへんに宿を取っているのだろうか。
●感想:
夏の夜が明けるのが早いという事実を元に、月を擬人化している歌。その趣向のおもしろさと共に、夏の朝の早さを、はっと思い出させてくれるのがよい。
P215 歌168
「みつね
夏と秋と行きかふそらのかよひぢはかたへすずしき風やふくらむ」
●漢字付加:
夏と秋と
行き交う空の
通い路は
片辺涼しき
風や吹くらむ
●歌意:
季節が移り変わる時期。夏と秋とが行き交う空の通路の片方では、秋からやって来る涼しい風が吹いているのだろうか。
●感想:
夏も終わりになってくると、空の情景が秋めいてくる。その様子を、空に二つの季節が行き来する通路があると見立てた歌。絵的な美しさを感じる。
というわけで、「古今和歌集 全訳注 一巻」の中から、これはと思った歌を抜き出しておきました。
抜き出した歌の数は、百六十八首中、十七首、約十%でした。