映画「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」のDVDを三月中旬に見ました。
2006年のカナダ映画で、監督・脚本はサラ・ポーリー、原作はアリス・マンローです。
見た感想ですが「ガクブル」でした。
ジャンルとしては老年恋愛映画になるのでしょうが、これは怖いです。
何が怖いって、自分の意思とは関係なく、自分の置かれた状況に対して、何のコントロールも利かない状態になっていくところです。
この映画は、まずはネタバレを抑えた粗筋を書いた方が話がしやすいので、先に粗筋を書きます。
以下、粗筋です。(大きなネタバレはなし。中盤を少し過ぎた辺りまで書いています)
田舎の孤立した場所に住む老夫婦。夫はかつて大学教授で、多くの学生と関係を持っていた。だが、浮気を妻にとがめられ、以来田舎に引きこもり、よき夫として努めてきた。
二人は仲睦まじい夫婦として老年を迎える。その妻が、まだ六十歳ぐらいだというのにアルツハイマーの兆候を示してきた。
治療のために施設に入れるべきかどうか夫は悩む。妻は、入所する方がよいだろうと考え、夫もその案に従う。
二人は介護施設に向かう。
夫には不安があった。認知症は、最近のことをどんどん忘れ、昔の記憶は残るという。この数十年、夫婦は幸せに暮らしてきた。しかし、妻にとっての昔の記憶とは、自分の浮気に悩まされていた記憶である。
介護施設では、入所一ヵ月は家族は会えないと言い渡される。電話も駄目だという。
夫は一ヶ月我慢した後、施設に向かう。
夫は妻に声を掛ける。しかし、彼女は夫のことを全く覚えていなかった。それどころか、入所している他の患者に恋をしていた。相手は、子供時代に恋心を持っていた相手だという。
主人公は混乱する。そして密かに悩む。妻の認知症は本物なのだろうか? それとも、かつての自分を罰するために演技をしているのだろうか?
彼は妻の恋の行方を見守る。
恋はどんどん進展していく。それとともに夫の絶望は深まっていく。
しばらくして、妻の恋の相手が施設から消えた。退院したのだ。
主人公は、その家に行く。そして、退院した男の妻に会う。主人公は、男を施設に戻して欲しいと頼む。恋の相手を失った妻は、生きる気力が衰え、さらに認知症が進んでいた。
だが、男の妻はその話を断る。金がない。それが彼女の解答だった。
主人公はその日、失望とともに家路に就く。そして彼は、愛する妻のために、自分ができることを考える……。
展開もショッキングでしたが、結末はもっとショッキングでした。見ているのが辛いぐらいにダウナーになれる映画でした。
でも、よくできた映画でした。そして、目を背けられない現実がそこにはあります。
映画や小説が、自分が経験するかもしれないことを予め経験することで、人生の準備をするためのものだとすると、この映画はそういった用途に相応しい映画です。
非現実的なところも暴力的なところも一切ないのに、ひしひしと恐怖と苦悩が迫ってきます。
また、時折入る美しい映像がその切なさを増幅してくれます。
二回見たいと思う映画ではないですが、一回は見ておいた方がよいと思う映画でした。
この映画の物語のどこが辛い(内容ではなく、主人公の心情が)かというと、それは愛情とともに罪悪感があるところです。
愛しているというだけでなく、その相手に対する後ろめたさがある。そのために、主人公は、自分を責める方向にしか考えが向かいません。
また、主人公自身が孤独な生活を送っているために、一層その気持ちは先鋭化します。
物理的な壁は一切ないのですが、逃げ場のない迷宮に迷い込んでいると感じました。
こういった、心理的なラビリンスの構築は、うまく成功するとよい作品になるなと思いました。
さて、どうでもよい感想を一つ書きます。
介護施設で、主人公の妻が入った部屋の壁が、紫色でした。
それはありえんだろうと思いました。
以下、映画の後半に関する感想を書きます。
ネタバレが嫌な人は読まないで下さい。
映画の後半、精神的にボロボロになっている主人公に、介護施設の看護婦がある話をします。
「男性は、たいてい死ぬ時に、自分の人生は悪くなかったと言って死んでいく。女性は違う」
そう言って主人公に、「あんた後ろめたいところがあるんでしょ?」と暗に責めます。
うわあ、きっついなと思いました。
まあ、男性は、そういった生き物なのかもしれないなと思いました。
映画のラストについての感想です。
なんというか、「どうすればいいんだ、本当に全く」という感じでした。自分が立っている場所以外の全ての地面が崩れ、一歩も動けないような状態でした。
物凄いダウナーになれます。
現実は、ハリウッド映画と違ってこういった結末になったりするのでしょうが、あまりにも救いようがなくて、ちょっとぐったりしました。
精神的にボコスカに殴られた気分になりました。
ちなみに、映画のできはとてもよかったです。