映画「柔道龍虎房」のDVDを五月下旬に見ました。
2004年の香港映画で、監督はジョニー・トー。脚本はヤウ・ナイホイ他です。
黒澤明の「姿三四郎」にオマージュを捧げている作品です。
映画は、何か不思議な感じの映画でした。
ハリウッド映画的なシナリオの厳格さはないのですが、何かじんわりと響いてくる青春映画という感じでした。
たぶん、そういった部分を強く感じるのは、「柔道」という「打ち込むもの」を持った人間の「ただただ楽しむところに至る精神」というものが、どこかに秘められているからだと思います。
主人公達は、世間的には敗残者なのですが、「柔道」があるから輝きを手に入れる。別に柔道で勝つとかそういったことではなく「ただただ、そこに打ち込むものがある幸福」がある。
なんというか、「じんわりと響く前向きさ」を感じました。
また、そう思う部分の底には、「この映画に、悪人が一切出てこない」というのもあります。
ヤクザや敵でさえ、銃を使わずに、全員柔道で戦います。そして、柔道を通して心を通わせる。
これはもう完全にファンタジーの世界なのですが、それが一切嫌味になっていない。
不思議なものを全く出さないで成功するファンタジーというのが時々あるのですが、この映画は、そういったたぐいの映画だなと思いました。
DVDには、監督の四十分にわたるインタビューが付いていました。
それを見ると、監督は、昔はあった、前向きな活気というものを若者に伝えたいという思いがあったそうです。
映画には、確かにそういうものがありました。
勝つ、負けるではなく、チャレンジし続ける人生の楽しみ方。言葉ではうまく書けないのですが、そういったものがありました。
あと、監督のインタビューで印象に残ったことがあります。
それは、若い頃は、黒澤明の作品の凄さが分からなかったという話です。年を取り、経験を積んでいくことで、その時々に見返した際に、その凄さがだんだん分かってきたということでした。
普通の人は、同じ作品を人生において何度も見るという機会はほとんどないです。なので、作品に出会うタイミングは大切だなと思いました。
さて、映画です。柔道です。
この映画を見て、最初驚いたのは、「柔道がしっかりしている」ということでした。
「柔道っぽい何か」をしているのではなく、きちんと柔道をしています。
やはりアクションのある映画には、こういったリアリティは必要だなと思いました。
主人公達がアクション俳優というのもあるのでしょうが、きちんと投げて、受身をとってとやっているのは、映画の世界に入るために必要な要素だと思いました。
映画は、基本的に面白かったのですが、中盤少し「うんっ? どっちだ?」と混乱したところがありました。
そういう意味では、少し勘違いさせるような表現があったのかもしれません。
以下、粗筋です(少しネタバレあり。大きなネタバレはなし。中盤を少し過ぎた辺りまで書いています)。
主人公は、かつて柔道の世界では有名な選手だった。しかし今では柔道をやめ、酒場の雇われマスター兼ギター奏者となっていた。
そのバーに二人の人間がやって来る。一人は柔道の武者修行をしていて、辻柔道を仕掛けている青年。彼は、主人公に勝負を挑むが、主人公は柔道をする気がまるでない。
もう一人は、大陸から渡ってきて、歌手を目指して各地を転々としている女性だ。彼女は、酒場で歌手として雇ってくれという。
この三人は、奇妙な友情に結ばれて、バーで一緒に仕事を始める。
そんな中、主人公の許には、かつてのライバルや師匠が訪れたりする。しかし、主人公は柔道を避け続け、破滅的な生活を送る。
青年は主人公に、柔道を再び始めさせようとする。歌手の女性も、その後押しをしようとする。
そんな中、かつての師匠が、道場を背負って試合に出ることになる。道場には、師匠の息子の知的障害の男性しかいなかったためである。
主人公は、老齢の師匠の身を案じる。試合の日、彼は会場まで足を運ぶが、中には入れず、外から見守り続ける。その彼の前に救急車が来て、師匠が運ばれていく。
主人公が柔道を避けているのには理由があった……。
奇妙な映画で、内容的にはトンデモなのですが、漂う哀愁と、人間に対する喜びがあり、この映画は不思議な味わいがありました。
たぶん、十人見たら、何人かは「何これ?」と言いそうな気もします。
でも、私はけっこう好きでした。見た後に、すがすがしい前向きさを感じる映画でしたので。
ちょっと変わった映画ですが、見る価値のある映画だと思いました。