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2009年07月17日 14:00:34
万葉秀歌〈上巻〉
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 四月の下旬に、岩波新書の斎藤茂吉著の「万葉秀歌」上下巻を読み終わったので感想です。今回は上巻について主に書きます。



 さて、まずはこの本を買って、読み始めた後に気付いたことを書きます。

 ……この本、古い。

 本屋の店頭で、一番薄くて読みやすそうだったので買ったのですが、内容も文体も非常に古く、現代人の私には、正直言って辛かったです。

 それがよく分かるのが奥付です。

1938年11月20日 第1刷発行
1953年 7月31日 第22刷発行
1968年11月25日 第44刷発行
2008年11月14日 第100刷発行

 1938年……。七十年前の本です。

 さすがに、これは古い。

 この1938年が、どういった年かと言うと、日中戦争勃発(1937年)の一年前です。その翌年1938年の10月21日に、日本軍が広東を占領しています。この本は、この広東占領の約1ヵ月後に発行されています。

 そういった時代の本ですので、「万葉集の秀歌を集めた」この本自体が「古典」になりかけています。実際、文章も形式も古かったです。

 一応補足として、著者死後の第44刷の時点で、一部、現代向けにアレンジされたそうです。

 しかし、基本的には七十年前の本です。改変は最小限に留めているそうですので。

 まあ、大きな改変があったとしても、第44刷から四十年が経っていますし……。



 著者について少し書いておきます。以下、Wikipedia転載です。

斎藤茂吉(さいとう もきち、1882年5月14日(戸籍では7月27日) - 1953年2月25日)

・歌人、精神科医。
・1882年、出生。
・1910年、東京帝国大学医科大学医学科卒業。
・1938年、「万葉秀歌」第1刷発行。
・1940年、『柿本人麿』で帝国学士院賞受賞。
・1951年、文化勲章受章。
・1953年、死去。



 さて、本について、どういった点が古かったのかを書いておきます。

 以下、私が見て「古い」と感じた点です。

1.天皇やその血縁者に対する敬語が甚だしい。

2.参考にしている文献等が古い。

3.漢文の読みと訳が付いていない。

4.年号に西暦が付いていない。

5.訳が付いていない歌がある。

6.接続詞のいくつかが漢字。

7.文法の解説がほとんどない。

 以下、それぞれについて解説していきます。



1.天皇やその血縁者に対する敬語が甚だしい。

 だいぶ読みにくいです。特に序盤、敬語が激しすぎて本文を圧迫しています。削ると、だいぶ短くなると思います。

 まあ、そういう時代でしたので、仕方がないのだろうなと思います。

2.参考にしている文献等が古い。

 江戸時代の参考文献が多いです。万葉集はかなり研究されているはずなので、最新の研究成果が反映された本を読み直さないといけないと思いました。

3.漢文の読みと訳が付いていない。

 当時の知識人には必要なかったのかもしれませんが、今の人間が新書で読むにはハードルが高すぎです。

 意味は分かりますが、読み方については正しく読めていないはずです。

4.年号に西暦が付いていない。

 これはけっこう致命的です。現在の新書として売っているのなら、編集部が付けるべきだと思います。

5.訳が付いていない歌がある。

 「読めば分かるだろう」とばかりに、訳が付いていない歌がちらほらとあります。現代人には辛いです。

6.接続詞のいくつかが漢字。

 まあ、読めるのでこれはよいです。

7.文法の解説がほとんどない。

 この部分は、本の方向性だなと思いました。「万葉集の秀歌を読むための本」ではなく、「斎藤茂吉が読んで解釈する万葉集を拝聴する本」といった感じでした。

 なので、この本を読んでも、万葉集を読めるようにはなりません。

 万葉集の本というよりは、斎藤茂吉の本という感じでした。



 また、この本の著者特有の偏った点もありましたので、その点も書きます。

1.柿本人麿に近いか否かで評価の大半が決まっている。

2.音の響きがよいと言っている割には、読みが不確定であるという解説が多い。

 以下、それぞれについて解説します。



1.柿本人麿に近いか否かで評価の大半が決まっている。

 柿本人麿が好きで好きでたまらない斎藤茂吉さんなので、そこにどれだけ近いかが歌の評価基準になっています。

 なので、古今集、新古今集と、時代が下がるごとに、評価が下がります。また、同じ万葉集内でも、柿本人麿より後の時代の人は評価が下がります。

 この評価基準について、「さすがにそれはどうか」と思いました。

 個人的な感想ですが、柿本人麿の頃は、あまりにも言葉が、現代日本語から離れすぎていて、訳を読んで「ああ、そういう意味だったのか」と分かるぐらいにしか意味が伝わってきません。

 少し下った大伴家持あたりの頃になると、だいぶ現代人でも意味が伝わってきて「なるほど、なるほど」と読めます。

 なのでまあ、この部分の評価に関しては、「斎藤茂吉さんだから」ということで、話半分に聞いておかないといけないのかなと思いました。



2.音の響きがよいと言っている割には、読みが不確定であるという解説が多い。

 この本では、歌について、二つの観点から評価しています。歌の内容や表現についてと、音の響きについてです。

 前者の内容や表現は、好みの問題なので、「この人は、こういったものが好きなのだな」という程度に見ておけばよいと思いました。

 後者の音の響きについては、ちょっと疑問に思いました。

 この本に書いてあることによると、万葉集の歌は、万葉仮名の解釈の仕方によって読みが人によって違うそうです。

 そして、この本には、「誰それはこう読む」といった解説が多く出ていて、著者はその中から、自分が好みのものを選び、その読みを基準に評価をくだしています。

 その様子を見て、「それって音の響きがよいのではなくて、自分の好みの音を選んでいるだけなんじゃ……」と思いました。

 私は、万葉集についても、歌についても専門家ではないです。なので個人的な感想なのですが、「あくまで一個人の感想を書いた本だよな」というのが、この本についての正直な印象でした。



 というわけで、この本を元に感想を書いてよいのかどうなのか甚だ疑問なのですが、以下「万葉秀歌」の上巻に掲載されている歌の中から、これはと思った歌を抜き出して書きます。

 あくまで、私の好みで選んだ作品ですので、世間の評価とは違うと思います。

 また、整理、歌意、感想は、本を参考にして、私が勝手に付けています。文法的に誤っている部分もあると思います。

 この「万葉秀歌」を元にして、個人の秀歌を選ぶのは、この本の冒頭で著者が推奨していた使い方です。なので、こういったことをするのは、本書の正しい使い方だと思います。

 それでは、以下私が選んだ秀歌です。



■巻第一



P8 歌巻1・18

「熟田津(にぎたづ)に船乗りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は榜(こ)ぎ出(い)でな

額田王(ぬかたのおおきみ)」

●整理:
熟田津に
船乗りせむと
月待てば

潮も適ひぬ
今は漕ぎ出でな

●歌意:
 伊勢の熟田津で、船を出そうとして月を待っていると、明月となり、潮も満ち、船出の条件が整った。さあ漕ぎ出そう。

●感想:
 するすると最後まで流れるような言葉の調子がよい。また、言葉とともに、情景が鮮明に浮かぶ歌。



P18 歌巻1・15

「渡津海(わたつみ)の豊旗雲(とよはたぐも)に入日(いりひ)さし今夜(こよひ)の月夜(つくよ)清明(あきら)けくこそ

天智天皇」

●整理:
わたつみの
豊旗雲に
入日射し

今宵の月夜
あきらけくこそ

●歌意:
 海の上に大きな旗のような雲があり、そこに夕日が射している。この様子では、今夜の月は明月だろう。

●感想:
 海の雄大な景色が眼前に広がる。豊旗雲という言葉も気持ちよい。



P31 歌巻1・28

「春過ぎて夏来(きた)るらし白妙(しろたへ)の衣ほしたり天の香具山(あまのかぐやま)

持統天皇」

●整理:
春過ぎて
夏来るらし
白妙の

衣ほしたり
天の香具山

●歌意:
 春が過ぎて夏が来たようだ。天の香具山の辺りには、多くの白い衣が干してあるよ。

●感想:
 初夏の輝かしい空気と、白妙の衣の眩しさが、明るい光を伴って響いてくる感じ。

 よく知られた歌。百人一首にも採られている。読みは伝わる内に若干変化しているよう。



P42 歌巻1・48

「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ

柿本人麿」

●整理:
東の
野に陽炎の
立つ見えて

返り見すれば
月傾きぬ

●歌意:
 阿騎野に宿った翌朝のこと──。

 日の出前の東の空に、暁の光が見え、雪の降った野に照り映えている。振り返って見れば、西の空では月が落ちかけている。

●感想:
 空間的広がりを感じさせる歌。明け方の空気の清浄さと、その一瞬を捉えた切り取り方がよい。

 また、「かへり見すれば」とすることで、同時には見えない二つの事象を、レイヤーで重ね合わせたように見せる表現もよい。

 この表現は、「めぞん一刻」の、ラスト近くの告白に対する返事のシーンを思い出す。

 確か、この歌に関しては「白川静 漢字の世界観」(松岡 正剛)に言及があったと思う。最近の研究では、意味が変わっている可能性がある。



P53 歌巻1・64

「葦べ行く鴨の羽(は)がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ

志貴皇子(しきのみこ)」

●整理:
葦べ行く
鴨の羽がひに
霜降りて

寒き夕べは
大和し思ほゆ

●歌意:
 難波の地に旅した時──。

 葦原に飛びわたる鴨の翼に、霜が降るような寒い夜は、大和の家が思い出される。

●感想:
 「霜降りて」という表現が、寒い冬の情景を鮮烈に伝えてくる。



■巻第二



P71 歌巻2・95

「吾はもや安見児(やすみこ)得たり皆人(みなひと)の得(え)がてにすとふ安見児(やすみこ)得たり

藤原鎌足」

●整理:
吾はもや
安見児得たり

皆人の
得がてにすとふ
安見児得たり

●歌意:
 俺は今、美しい安見児を娶った! 世間の人々が容易には得がたい安見児を娶った!

●感想:
 歓喜の声がそのまま歌になったような歌。こみ上げる嬉しさがそのまま伝わって来る。



P82 歌巻2・133

「小竹(ささ)の葉はみ山(やま)もさやに乱れども吾は妹(いも)おもふ別れ来ぬれば

柿本人麿」

●整理:
小竹の葉は
御山もさやに
乱れども

吾は妹思ふ
別れ来ぬれば

●歌意:
 妻と離れて山中にある時──。

 笹の葉が、風に吹かれてざわめき乱れている。しかし、私の心は乱れることなく、別れてきた妻を一心に思っている。

●感想:
 サ音、ミ音のリズムがよく、実際に山の中で笹の葉が乱れ騒いでいる音を聞く印象を持つ。



P87 歌巻2・42

「家(いへ)にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る

有馬皇子」

●整理:
家にあれば
笥に盛る飯を

(草枕)
旅にしあれば
椎の葉に盛る

●歌意:
 家にいれば銀器(食器)に盛る飯を、旅の間であるので椎の葉に盛る。

●感想:
 野を行く旅の様子を感じる歌。

 けの意味に関しては、最近の研究では変わっている可能性もあると思った。



P93 歌巻2・158

「山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行(ゆ)かめど道の知らなく

高市皇子(たけちのみこ)」

●整理:
山吹の
立ちよそひたる
山清水

汲みに行かめど
道の知らなく

●歌意:
 十市皇女(とおちのひめみこ)が急逝した時──。

 山吹がほとりに咲いている山の泉に、水を汲みに行こうとするが、どう行けばよいのか道が分からない。

 山吹の花にも似た、姉の十市皇女が急逝して、どうしたらよいのか分からない。

 黄泉まで姉を訪ねて行きたいが、どう行けばよいのか分からない。

●感想:
 「山吹の立ちよそひたる山清水」で、「黄」「泉」で「黄泉」。こういう使い方は覚えておこうと思ったのでメモ。



P97 歌巻2・163

「神風(かみかぜ)の伊勢の国にもあらましを何しか来(き)けむ君も有(あ)らなくに

大来皇女」

●整理:
(神風の)
伊勢の国にも
あらましを

何しか来けむ
君も有らなくに

●歌意:
 大津皇子(弟)が死に、大来(おおく)(大伯)皇女(姉)が伊勢の斎宮から京に来た時──。

 伊勢の国にいればよかった。君がいないのに、私は何をしに帰って来たのだろう。

●感想:
 弟が死んだことに対する虚脱した様子がよく伝わってくる歌。



P105 歌巻2・208

「秋山の黄葉(もみぢ)を茂(しげ)み迷(まど)はせる妹(いも)を求めむ山道(やまぢ)知らずも

柿本人麿」

●整理:
秋山の
黄葉を茂み
迷はせる

妹を求めむ
山道知らずも

●歌意:
 人麻呂の妻が死んだ時──。

 秋山の紅葉が深いために、その中に迷い入ってしまった妻。その妻の許に行こうとするが、私には道が分からない。

●感想:
 意味としてはそれほど響いて来ないが、繰り返し口ずさんでしまう調べを持っている。丸い印象を与えるのはマ行の音が多いからだと思う。



■巻第三



P111 歌巻3・235

「大君は神にしませば天雲(あまぐも)の雷(いかづち)のうへに蘆(いほり)せるかも

柿本人麿」

●整理:
大君は
神にしませば

天雲の
雷の上に
蘆せるかも

●歌意:
 天皇は神であるから、天に轟く雷(いかづち)の名を持つ山の上に、行宮(あんぐう)を作られた。

●感想:
 するっと読める。「天雲」「雷」「上」と、するすると進み、絵が浮かんでくる。張りのある力を感じる歌。



P121 歌巻3・255

「天(あま)ざかる夷(ひな)の長路(ながぢ)ゆ恋(こ)ひ来れば明石の門(あかしのと)より倭島(やまとしま)見ゆ

柿本人麿」

●整理:
天ざかる
夷の長路ゆ
恋ひ来れば

明石の門より
倭島見ゆ

●歌意:
 西方よりの長い海路の間、故郷を恋しく思い続けていた。そして今明石の門に来た。そこより大和の陸が見える。

●感想:
 遠路の末に見えてきた故郷への喜びが、じわじわと伝わって来る。



P136 歌巻3・318

「田児(たご)の浦ゆうち出でて見れば真白(ましろ)にぞ不尽(ふじ)の高嶺(たかね)に雪は降りける

山部赤人」

●整理:
田児の浦ゆ
うち出でて見れば
真白にぞ

不尽の高嶺に
雪は降りける

●歌意:
 田児の浦より出て見れば、ああ白い。富士山の高い峰に雪が降っている。

●感想:
 「真白にぞ」という部分が、感動を大きく膨らませてくれる。



P143 歌巻3・337

「憶良(おくら)等(ら)は今は罷(まか)らむ子(こ)哭(な)くらむその彼(か)の母も吾(わ)を待つらむぞ

山上憶良」

●整理:
憶良等は
今は罷らむ
子哭くらむ

その彼の母も
吾を待つらむぞ

●歌意:
 宴席にて──。

 この憶良はもう退出しよう。うちでは子供が泣いているだろうし、その子の母も私を待っているだろうから。

●感想:
 「ら」で重ねたリズムがいい。ユーモアがあって「仕方がないなあ」という気にさせる歌。



P146 歌巻3・345

「価(あたい)無き宝といふとも一坏(ひとつき)の濁れる酒に豈(あに)まさらめや

大伴旅人」

●整理:
価無き
宝と言ふとも

一坏の
濁れる酒に
豈まさらめや

●歌意:
 値を付けられないような宝と言えども、一杯の酒に勝るであろうか、いや勝らないだろう。

●感想:
 大伴旅人「酒を讃(ほ)むる歌」十三首の内の一首。どれも酒好きにはニヤリとさせられる。その中で気に入ったものを選んでおいた。



■巻第四



P160 歌巻4・486

「山の端(は)に味鳧(あぢ)群騒(むらさわ)ぎ行(ゆ)くなれど吾(われ)はさぶしゑ君(きみ)にしあらねば

舒明天皇」

●整理:
山の端に
味鳧群騒ぎ
行くなれど

吾はさぶしゑ
君にしあらねば

●歌意:
 山の端に味鴨(あじがも)が群れ鳴き騒ぎ飛んで行くように、多くの人が通っていく。しかし、私は悲しい。それはあなたではないのですから。

●感想:
 調子がよく、適度な緊張感が背筋を伸ばさせる。そして最後に、すっと寂しさが残り、涙を浮かべた女性の情景が浮かぶ。その寂しさは「群騒ぎ」との対比で、非常に深くなる。



P163 歌巻

「君待つと吾(わ)が恋ひ居(を)れば吾(わ)が屋戸(やど)の簾(すだれ)うごかし秋の風吹く

額田王」

●整理:
君待つと
吾が恋ひ居れば

吾が屋戸の
簾動かし
秋の風吹く

●歌意:
 あなたを待ち、慕わしく思っておりますと、私の家の簾を動かして秋の風が訪れてまいります。

●感想:
 女性の心の細やかさと、浮き立つ心が伝わって来るような、よい歌。

 機知に富んだ、可愛い女性が連想される。これは、もてるだろうなと思った。



■巻第五



P185 歌巻5・893

「世間(よのなか)を憂(う)しと恥(やさ)しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

山上憶良」

●整理:
世の中を
憂しと恥しと
思へども

飛び立ちかねつ
鳥にしあらねば

●歌意:
 世間を辛いだの、恥ずかしいだのと言ったところで、飛び去るわけにはいかない。鳥ではないのだから。

●感想:
 「貧窮問答の歌一首ならびに短歌」の短歌。口をへの字に曲げてそうな印象を受ける。



P188 歌巻5・905

「稚(わか)ければ道行き(みちゆき)知らじ幣(まひ)はせむ黄泉(したべ)の使(つかひ)負(お)ひて通らせ

山上憶良」

●整理:
稚ければ
道行き知らじ

幣はせむ
黄泉の使
負ひて通らせ

●歌意:
 この子はまだ若いので、冥土の道などよく分かっていない。贈り物をするから、冥土の番人よ、この子を背負って通してやってくれ。

●感想:
 切実さが伝わってくる。



■巻第六



P193 歌巻6・919

「若の浦(わかのうら)に潮満ち来れば潟(かた)を無(な)み葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る

山部赤人」

●整理:
若の浦に
潮満ち来れば
潟を無み

葦辺をさして
鶴鳴き渡る

●歌意:
 若の浦に潮が満ちてきて干潟が無くなっていく。干潟に集まっていた鶴が、葦の生えている陸へと飛んでいく。

●感想:
 「葦辺をさして鶴鳴き渡る」が鮮明でよい。



P203 歌巻6・978

「士(をのこ)やも空(むな)しかるべき万代(よろづよ)に語りつぐべき名は立てずして

山上憶良」

●整理:
士やも
空しかるべき

万代に
語り継ぐべき
名は立てずして

●歌意:
 大丈夫たる者は、空しくこの世を終えるべきだろうか。万代の後まで語り継がれるような功名も立てずして。

 名も遂げずに、このまま死ぬのは残念だ。

●感想:
 男たるもの、名を立てて死にたいものである。



P204 歌巻6・994

「振仰(ふりさ)けて若月(わかづき)見れば一目(ひとめ)見し人の眉引き(まよびき)おもほゆるかも

大伴家持」

●整理:
振仰けて
若月見れば

一目見し
人の眉引き
思ほゆるかも

●歌意:
 振り仰いで三日月を見れば、ただ一目見た美しい人の眉引のようであった。

●感想:
 匂い立つような美しい若さを感じる歌。家持十六歳の頃の歌。



■巻第七



P225 歌巻7・1411

「福(さきはひ)のいかなる人か黒髪の白くなるまで妹(いも)が音(こえ)を聞く

作者不詳」

●整理:
福の
いかなる人か

黒髪の
白くなるまで
妹が声を聞く

●歌意:
 何と幸せな人なのだろうか、白髪になるまで妻の声を聞ける人は。

 私は恋しい妻を亡くしてしまった。

●感想:
 妻を亡くした悲しさが伝わって来る。



P226 歌巻7・1412

「吾背子(わがせこ)を何処(いづく)行(ゆ)かめとさき竹の背向(そがひ)に宿(ね)しく今し悔(くや)しも

作者不詳」

●整理:
吾背子を
何処行かめと

(割き竹の)
背向に寝しく
今し悔しも

●歌意:
 私の夫がこのように死んで行くとは思いもしなかった。生前に、割いた竹のように背を向けて寝ていたのが、今になって悔しく思える。

●感想:
 死別の悲しさと悔恨が伝わって来る。



 というわけで上巻は以上です。

 上巻に載っていた歌は239首。その内、私が選んだのは25首です。約10%。

 とはいえ、秀歌として絞り込んだ本の中での10%です。万葉集自体は4500首ぐらいあるので、本に載っている歌は10%程度です。なので、実際は私が選んだ歌は1%程度なのだと思います。

 そういう意味では、万葉集は玉石混淆なのでしょう。

 でもまあ、その時代の歌をできるだけ多く集めるということには大きな意味があったはずです。なので、これはこれでありなのだと思います。

 では次は、下巻の感想を書きます。
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