2009年07月26日 00:03:48
映画「消されたヘッドライン」を劇場で六月上旬に見てきました。
2009年の作品で、監督はケヴィン・マクドナルド。脚本はマシュー・マイケル・カーナハン、トニー・ギルロイ、ビリー・レイです。
主演はラッセル・クロウ、競演はベン・アフレックです。
原題は「STATE OF PLAY」。
イギリスBBCのテレビドラマ「ステート・オブ・プレイ〜陰謀の構図〜」をハリウッドでリメイクした作品で、オリジナル脚本はポール・アボットです。
監督のケヴィン・マクドナルドは、「ラストキング・オブ・スコットランド」(2006)を撮っています。
脚本の三人の代表作、というか、私が名前を知っている作品は、以下の通りです。
・マシュー・マイケル・カーナハン→「キングダム/見えざる敵」(2007)、「大いなる陰謀」(2007)。
・トニー・ギルロイ→「ボーン・アイデンティティー」(2002)他、このシリーズ。
・ビリー・レイ→「ニュースの天才」(2003)。
さて、映画ですが、基本的には面白かったのですが、ラストはちょっと微妙という感じでした。
以下、まずは感想を箇条書きにして、そこから詳しい感想を書いていきます。
人によっては、少しネタバレになるかもしれないので、その点は注意してください。
・主人公のラッセル・クロウがデブで古いタイプの新聞記者を演じているが、存在感があってよかった。
・軍事産業を追っていく調査部分の展開が、社会派でよかった。
・ラストのどんでん返しで、話のスケールが小さくなって、個人レベルの展開になったのが残念だった。
・新聞社の女性上司が、ジャーナリスト的根性のないへたれで残念だった。
・新聞社の面々は、主人公以外は、まともにキャラとして機能していなかったのが勿体ないと思った。
・緩急の「緩」の部分がないと思った。
以下、詳しい感想です。
● 主人公のラッセル・クロウ
今回、体重を増やしてデブになり、ロンゲで髭をまともに剃らない、もっさりとしたおっさんの役を演じていました。
でも、やっぱりこの人は存在感があります。
そして、サイのような頑強さと、突進力があるように見える。
主役が張れる俳優だなと思いました。
● 社会派の展開
この部分は非常によかったです。
過去の映画だと、ダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードが主演の「大統領の陰謀」(1976)を思い出しました。
また、新聞記者が調査するという展開としては、「カプリコン・1」(1977)も頭に浮かびました。
ごりごりと陰謀に迫っていく様は、なかなかよかったです。
そして、その中で描かれる「それ、実際に起こっていることだよね」という、アメリカでの軍の民間化に絡む、金と人の動きのえげつなさ。
この展開がよくできていました。
● ラストのどんでん返し
映画なので、ラストにどんでん返しがあるのは当然なのですが、それで話が小さくなるのは、どういうことかと思いました。
話が大きくなるどんでん返しの方が面白いのに。たとえば、「ロード・オブ・ウォー」(2005)のような展開が。
そこらへんが、ちょっと勿体ないというか、映画の満足度が下がる原因だなと思いました。
まあ、伏線を全部解決すると、ああなるのは分かるのですが、伏線を解決することと、満足度を上げることは、別次元の話なんだなと、この映画を見て思いました。
● 新聞社の女性上司
単に、株主の話で右往左往するだけの人になっていました。残念。
以下、映画を離れて、個人的に私が思っていることです。
資本主義経済で、株主に利益を還元することが極端に進んでいる昨今の風潮は、はっきり言って問題だと思っています。
企業が利益を優先する→企業が無税の地に本社を置く→そこで上げた利益を、金持ちに還元→金持ちは、無税の地経由で、その金を得る→その金で、企業の株を買う。
これって、吸い上げられた金が、どんどんブラックホールの中に消えていき、社会に還元されず、社会を疲弊させていくだけの仕組みです。
公共の利益を考えずに、焼畑的経済で、一部の人たちが、どんどん世界の富を吸い上げる。
この人たちの金を凍結するだけで、世界の社会問題のかなりの部分が解決するような状況になってしまっている。
頭のおかしな人(吸い上げる側のトップにいて、還元することを正義と考える人)が複数出ない限り、この問題は解決しないと思います。世界の未来は暗いです。
● 新聞社の面々
尺の都合でしょうが、かなりあっさりと描かれていて、あまり活躍の機会がなかったです。
一応、ラッセル・クロウの相方になる女性のブログ記者もいるのですが、この人もそれほど掘り下げられていなかったですし。
単なる主人公の対比として置かれているだけでしたし。
● 緩急の「緩」の部分がない
これは、この映画自体の問題ではなく、最近の映画の傾向かもしれませんが、映画の途中で、一休み的に情緒を膨らます「緩」に当たるシーンがなかったです。
主人公の感情を確認し、そこを掘り下げるようなシーンというのは、最近は流行らないのでしょうか?
この映画では、過去の人間関係などが描かれるシーンもあるのですが、すぐに携帯電話で連絡が入ったりして、次の展開に移ります。
スピーディーでテンポがよいと言えば、そうなのでしょうが、溜めというか、緩に当たるシーンがないのは気になりました。
おかげで、記憶に残る絵面がなかったです。
以下、粗筋です(ネタバレが重要な映画なので、ネタバレ的なものに入る直前ぐらいまでで留めておきます)。
主人公は、昔ながらの新聞記者。彼は学生時代に、ある男とルームメイトだった。その男は、現在、国会議員となり、軍事産業の弾劾を進めている。
その議員の女性秘書が、地下鉄でホームから落ちて死んだ。その直後から、議員と秘書の不倫疑惑が大々的に報道され始める。彼女が死んだのは、不倫の結果の自殺ではないかと人々は疑ったからだ。
主人公は、友人を守るように動こうとする。しかし、社の方針は、新聞を売るために、そのスキャンダルを書きたてることだった。
主人公は独自の調査を始める。そして、スキャンダルの直前まで調べていた殺人事件との、奇妙な繋がりを発見する。
主人公は、その関係を糸口として、女性秘書について調べ始める。すると、その背後に、議員を狙い打ちした、軍事産業の陰謀があったことが分かり出す。
個人的に、今時で上手いなと思ったのは、関係ない二つの事件の結びつきが発生するシーンのギミックです。
「スキャンダル直前まで調べていた殺人事件」の「被害者が持っていた携帯電話」。警察のモルグに潜り込み、その着信履歴をメモして、片っ端から電話をしていたら、女性秘書の留守電にぶつかってしまってハテナが飛びまくる。
「何これ? 関係あるの?」
そこから話がゴリゴリと掘り下げられていきます。
まあ、昔なら、手紙や電話の履歴を調べて、結びつきが発覚という感じなのでしょうが、携帯電話の履歴というスマートな方法を使っているためにテンポがいい。
ここは個人的に印象に残りました。