本日、「冷泉家 王朝の和歌守展」に行ってきました。
http://www.tobikan.jp/museum/reizei.htmlhttp://www.asahi.com/reizei/ 今回の展示会は、冷泉家の「冷泉家時雨亭叢書」全84巻(写真版)が、18年かけて刊行が終わった記念だそうです。全部揃えると凄い量で、かなりのお値段なのですが、研究者垂涎のものだと思います。
http://publications.asahi.com/original/shoseki/reizeike/ というわけで、貴重な文献の数々が展示されていました。
でもまあ、書に関しては基礎知識がないので、芸術的な方面の価値はいまいち分かりませんでした。そのため、雰囲気だけ味わうといったレベルでしか見ることはできませんでした。
これはあと数年経って、勉強が何周かしたら、もう少し味わえるようになるのかなと思います。
というわけで、以下メモ・レベルの感想です。
● 定家自筆
特徴のある筆跡というのは知っていましたし写真では見ていましたが、実物を見ると非常に個性的な文字だというのがよく分かりました。
水滴マークを連ねたような形で、入りが小さく、その後えらく太く止める筆跡です。説明を見なくても、一見して「これは定家筆」と分かりました。
たぶん、この時代の書の美意識とは、かけ離れていると思います。本人が「悪筆」と言っていたのも頷けます。
でも、文字を分解して拾うのは便利かなと思いました。
今まで写真で見ても、いまいちピンと来ていなかったのですが、実物を見ると雰囲気がつかめました。収穫でした。今回の一番の目的でしたので。
● 料紙と私家集
和歌が書いてある紙は、さすがに数百年を経ているので色あせていました。
なるほどと思ったのは、文庫よりちょっと大きいサイズの、様々な歌人の私家集(自選や他選の歌集)が大量にあったことです。
それぞれの本(冊子状に綴じてある)には、どの勅撰集で使ったのか、歌の頭にメモが書き込まれていました。
基本的に勅撰集は、過去に収録されていない歌を採るのが基本なので、こういったことで検索性をアップしていたのかと思いました。
● 明月記
これも、実物を見たかったものの一つです。
通常は「めいげつき」と読むのですが、冷泉家では「めいげっき」と呼びならわしているそうです。
巻物状になっていて、書式は、日付と天気を書き、字下げして本文という構成でした。この字下げ位置が分かるように、日付の場所と本文の場所に、ガイドラインも引いてありました。
展示場の最後の方には、和歌や物語を書写する際のガイドラインを引くための器具も展示してありました。厚紙の枠の中に、糸で線を作っていました。また、罫線を引いた下敷きもありました。
こういったもので、行を揃えていたのかと、今回初めて知りました。
明月記に話を戻します。
有名な、超新星のくだりが展示されていました。和歌に興味がなくても、天文に興味があれば、明月記と超新星の話は、だいたい聞いたことがあると思います。
この下りで面白かったのは、巻物の紙の一部が、漏刻博士からの返書を、そのまま繋いだ(貼り付けた?)ものになっていたことです。
返書の内容自体は、過去にあった超新星現象の時期と内容の列挙でした。
巻物って、こういった繋ぎ方もするんだと思い、「えらいコピー&ペースト チックだな」と思いました。
● 当主夫人冷泉貴実子さんの読み上げる和歌
音声ガイドでは、当主夫人の冷泉貴実子氏が、和歌を読み上げる実演がありました。
これを聞いて思い出したのは、中学校時代に学校の授業で聞いた「平家物語の朗読」でした。
基本的に同じ方向性ですね。あと、現代で近いのは、ゆっくりと読むお経です。
さすがに現代の時間の流れには合いませんが、昔の時間の流れでは、これぐらいの速度が、一番気持ちよく聞こえたのでしょう。
個人的には、美術館などに行って、音声ガイドを借りない人は、展示を40%ぐらいは損していると思います。
● 冷泉貴実子さんのお話
音声ガイドにところどころ挿入される、冷泉貴実子氏の語るエピソードには、興味深いものが多かったです。
その中でいくつか、記憶に残っているものを、書き留めておこうと思います。
「小さい頃から、定家卿と俊成卿は神様だと教えられていた。学校に行くようになって、定家が実在の人物だと知ってショックを受けた。その後も、神様の定家と、歴史上の定家が結びつかなかった」
こういう感覚は、普通の家にはないだろうなと思いました。本人だけが持ちえるエピソードだと思いました。
次に記憶に残ったのは、現代の短歌と、昔の和歌の違いについて語っていたくだりです。
「現代の短歌は読む物。昔の和歌は歌う物。声に出して歌うことが前提になっている」
「現代の短歌は、私とあなたが違うものだという前提に立つ文学。昔の和歌は、私とあなたが同じだということで、互いに共有するためのものだった。そして、儀式や人の集まりの場で歌うものだった。そこで、個人を大いに出すことは求められていなかった」
この話を聞いて、前から疑問に思っていたことに、少し答えが出たように思えました。
その疑問とは「他人への恋文を、周囲の人に公開するという王朝人の意識が謎」ということです。
冷泉貴実子氏の解説の視点に立てば、そもそも和歌は公で共有するのが前提であり、現代的な意味での私的な文章ではないということになります。
なので、「公開するのが謎」という私の疑問は、そもそも疑問の前提が違う可能性がある。
この点については、まだ明確な答えは本などで発見していませんが、少し見方を改める必要がありそうだなと思いました。
● まとめ
個人的には、得るものがあったのでよかったです。
書については、よく分からなかったので、口惜しかったです。「とめはね」を読んでいる程度では、ついていけません。
あと、さすがに草書の仮名は読めませんでした。横に置いてある説明を見て、文字がかろうじて分かる程度でした。これは、勉強をあと何周かしないと駄目だなと思いました。
また、3時に着いて、閉館の5時まで見ていたのですが、最後はかなり駆け足でした。全部回るには、2時間半から3時間は欲しいところでした。
最後に。
終わったあとに、整骨院に行ったのですが、本展の話をしたところ「冷泉家って何ですか?」と言われました。
まあ興味がないと、名前すら知らないのだろうなと思いました。私も興味を持って、情報を追い始めたのは、ここ数年ですし。
というわけで、行く予定だった展示会に行ってきました。