映画「天国と地獄」のDVDを三月下旬に見ました。
1963年の映画で、監督は黒澤明、脚本は小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明、原作はエド・マクベインの「キングの身代金」です。
いやあ、面白かったです。
● 主人公の人柄をよく表す冒頭のシークエンス
映画は、冒頭の緊密なシーンの連続で、主人公の人柄を一気に表現して、観客を引き付けます。
この映画の主人公は、父親が興した靴会社の重役です。そして、他の重役から、社長を追い出す話を持ちかけられます。
父親は、昔ながらの堅牢な靴作りをしていますが、現代の女性には受けないデザインを選びます。対して重役たちは、ファッショナブルな靴を作ろうとしています。またそれだけでなく、壊れやすく回転率のよい靴を作ろうと考えています。
主人公は、そのどちらにも与しません。彼は、ファッショナブルで堅牢な靴を作ろうと考えています。そして、そのために会社の実権を握ろうとして、全財産をつぎ込んで株の取得を行おうとしています。
この一連の流れで、主人公が職人気質であり、自分の考えを持っており、その考えを現実に移せる行動力を持っていると分かります。
これらの主人公の要素から分かることは、主人公が頑固だけど善良で強い人間だということです。
そして、人生の賭けに出るために、薄氷を踏むような状態で一点突破を行おうとしていることも判明します。
その主人公の許に一本の電話が入ります。
「お子さんを誘拐した……」
そして事件が始まります。
この冒頭から身代金の受け渡しまでは圧巻です。ともかく、一切の無駄がなく、密度濃く、話が進んでいく印象です。
これは本当に「流石だな」と思いました。
以下、ネタバレありの感想です。
● 主人公の精神的な苦境
さて、誘拐の電話が入った主人公ですが、そこから思いも寄らぬ苦境に立たされることになります。
ひょっこりと息子が帰宅するのです。
誘拐されたのは、息子の親友である、「主人公の運転手の息子」でした。
主人公は犯人に「身代金は払わん」と言います。しかし犯人は「いや払うね。あんたは払う」と予言します。
そして犯人は嘲笑うようにして言います。「これは怪我の功名だ。法律では、親族を誘拐した場合のみ営利誘拐と見なされる。無関係の子供を誘拐して脅迫しても、法では軽い罪にしかならない」と。
警察のやって来た家で、主人公は選択を突きつけられます。
彼に問われるのは良心だけです。自分の子供を守るという「止むに止まれぬ事情」は、そこには存在しません。
彼は、株の取得のために全財産をつぎ込もうとしています。彼が集めた金額は、買収の頭金です。その金で会社の実権を握り、残りの金を払おうとしています。つまり、その頭金を払えなければ、借金だけが残り、会社の実権を握れず、全財産を失います。
この「良心だけが基準」というのが、主人公に何の言い訳もできなくさせます。「自分の子供のために」という逃げ道は、そこにはありません。
奥さんや子供は、助けて欲しいと言います。奥さんはお嬢様で、貧乏を全く知りません。子供はまだ幼く、すべてを失うことの意味を理解していません。
そして、運転手も懇願します。
どんどん憔悴していく主人公が憐れでなりません。そして主人公は子供を救うために決心をします。
● 主人公の窮地と、奮起する警察
お金を払い、運転手の子供は戻ってきます。しかし、そこから主人公の転落人生は始まります。会社での地位を失い、家は差し押さえられ、持っているものを次々と失っていきます。
その窮地を見て、警察は奮起して、どうにかして犯人を探して追い詰めていこうとします。
そして、徐々に包囲の輪が縮まり、犯人が特定されていきます。
ここ以降のパートは、受け渡しまでのパートに比べると少しパワーダウンした感じを受けました。とはいえ、食い入る様にして見てしまう面白さは健在です。
あと、舞台が横浜なので、現在の住処の近くということもあり、なかなか興味深かったです。
● 警察の独走と、軽すぎる誘拐の罪
ここからは、ちょっと驚く展開になりました。
このまま逮捕しても刑は軽い。主人公の受けた苦しみに相当する罪を負わせなければならない。
と言い、警察は犯人をはめて、より重い刑、具体的には死刑、になるように罠を張ります。
これは流石に逸脱だろうと思いました。犯人は事前に殺人を犯しているので、その罪を負うこと自体は問題はないのですが、考え方は危険過ぎると思いました。
警察は報復機関ではなく、あくまでも法の範囲内で職務を遂行するのが任務です。
この映画を撮るにあたって黒澤明は、「当時の誘拐罪に対する刑の軽さに対する憤り」があったそうです。
その点はそうでしょうが、だからといって、逸脱が正義かと言うと、それは別の次元で、また問題だろうと思いました。
□Wikipedia - 天国と地獄 (映画)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4...
● 犯人の空虚さと、突き放される観客
映画のラストは、主人公と犯人が刑務所で対峙します。
その犯人の台詞と動機のあまりの空虚さは呆然としました。端的に言うと、理由は特にない、ということです。
実際の犯罪のうちのいくつかは、こういった物なのかもしれませんが、あまりにも空虚な犯人に、映画の主人公だけでなく、観客の私も呆然とさせられました。
理由は「部屋が暑かったから」だそうです。だから、丘の上で涼しそうな家に住む主人公の子供を誘拐しようと考えたそうです。
何というか、片付けようのない、嫌なしこりを残すラストでした。
● 特急のシーン
映画は、身代金の受け渡しに、特急第2こだま(新幹線の登場前の時代)を利用します。
この窓から見える建物が「邪魔だから」と、景色を変えさせたというエピソードを以前に読んでいたので、「これがそのシーンか」と思いました。
Wikipediaを見たら、「原作では身代金を持って移動中の被害者と犯人との接触は自動車電話を使う設定だった。しかし、日本では当時自動車電話が実用化されていなかったため、『電話を備えた陸上交通機関』であった『こだま』を利用することとなった」とありました。
なるほど、そういうわけで列車だったのかと思いました。
でも、映像的には、車よりも列車の方が映えるから、怪我の功名だったなと思いました。
● ルパート・マードックの事件
この映画を見て思い出したのは、イギリスで1969年に起こったルパート・マードックに関する事件です。
この事件は、最近読んだ「現代殺人百科」に「ジャーナリズム殺人事件」として掲載されていました。
どういった事件かと言うと、誘拐犯が、ルパート・マードックの奥さんを誘拐しようとして、間違えて運転手の奥さんを誘拐してしまうというものです。
何だかよく似ているなと思っていましたが、映画の原作の「キングの身代金」は1959年の作品で、映画自体も1963年の作品です。フィクションの方が先です。そして、犯人とこれらの作品の間には相関関係はないようです。
後で年代の前後関係を調べて、こういったこともあるのだなと思いました。
● 粗筋
以下、粗筋です(ネタバレあり。最後まで書いています)。
主人公は、靴会社の重役。彼は頑固で独善的な性格だったが、非常に良心的で物づくりに情熱を持っていて、現場の人間たちからは慕われていた。
彼は、堅牢な靴を作ろうとする社長の父親とも違い、ファッショナブルで壊れやすい靴を作ろうとする重役連中とも違い、堅牢でファッショナブルな靴を作ろうと考えている。
彼はその考えを現実のものにするために、全財産を担保にして会社の買収の準備を進めていた。しかし、その計画に突然の横槍が入る。
一本の電話が、彼の運命を変えた。それは、子供を誘拐したことを告げる電話だった。
だが、その誘拐は間違いだった。現実に誘拐されたのは、主人公の運転手の息子だった。
屋敷に警察を呼び、主人公は電話を待つ。犯人は、主人公が、自分の子供でなくてもお金を払うだろうと予言する。
そこには、良心による選択肢以外は何もない。主人公は、最終的にその金を払うことを決める。その決断は、彼から地位も金も全てを失わせるものだった。
主人公は、警察とともに特急に乗り込む。そして窓からカバンを投げて身代金を渡す。子供は戻ってきたが、犯人はまんまと逃げおおせる。
主人公は窮地に陥る。その様子を見て、警察は奮起して犯人を捜そうと全力を尽くす。
包囲の輪はなかなか縮まらない。しかし、カバンに仕掛けていた色つきの煙が上がった。そして、警察は犯人を特定する。
だが、警察は犯人をすぐには逮捕しなかった。その罪に応じた罰を受けさせるために、誘拐罪ではなく、殺人罪で起訴しようとする。そして、犯人が犯した殺人を再現させるように仕向けて、犯人を逮捕する。
主人公は犯人に呼ばれて刑務所に面会に行く、犯人は彼がなぜ誘拐を行ったかを告白する。