映画「情婦」のDVDを五月中旬に見ました。
1952年の作品で、原題は「WITNESS FOR THE PROSECUTION」(検察側の証人)。監督はビリー・ワイルダー、原作はアガサ・クリスティで、脚本はビリー・ワイルダー他。主演はチャールズ・ロートンで、タイロン・パワーやマレーネ・ディートリッヒが出ています。
裁判物で非常によくできていました。疑惑に対して、逆転に次ぐ逆転でした。いやあ、本当に面白かったです。傑作です。
● 法廷物
この映画は、法廷を舞台にしたミステリー物です。この映画の前に、演劇版があり、その映画化になっているようです。
演劇から映画化した作品の中でも、法廷物はよく出来ているものが多い気がします。
元々密室性の高いシナリオで、映画化に際して、そのまま密室設定を引き継いでも違和感がないのが理由だと思います。
普通の屋内物だと、「外に出ないのが謎」という感じになるのですが、法廷物だと「外に出ないのが普通」になりますので。
「十二人の怒れる男 」(1957)なんかも、この系統になるのかなと思います。
● 信用できない証人 背後の人間ドラマ
この映画の醍醐味は、殺人事件の「証人」となる「容疑者の妻」です。
この「女性」が、登場時点から「どこか抜き差しならない雰囲気」を持っており、そして「立場」がどんどん変遷していきます。
いったい彼女は何者なのか、そしてどんな裏があるのか。
弁護士や法廷関係者は、この「信用ならない証人」に振り回されて、やきもきさせられます。
また彼女の人生が一つのミステリになっており、そこに潜む人間ドラマを覗きたいという欲望を掻き立ててくれます。
こういった「期待される役目を果たしてくれない謎の人物」というのは、話をぐいぐいと引っ張ってくれるなあと思いました。
● 弁護士と看護婦の掛け合い
「証人」が映画の背骨なら、弁護士と看護婦の掛け合いは、この映画の肌触りになると思います。
健康を害して、直前まで入院していた「医者の言うことを聞かない弁護士」と、そのお目付け役的立場の「厳格な看護婦」の、ちょっとした掛け合い。
弁護士は、看護婦の目を盗んで煙草を吸ったり、酒を飲んだりしようとする。看護婦は目を光らせてそれを防ごうとする。でも、本当は弁護士の体を心配していたりする。
この呼吸が非常によかったです。
この二人は、プライベートでは本物の夫婦のようです。いい空気が作れているなと思いました。
● 逆転に次ぐ逆転
証人の女性の過去が明らかになっていくにつれて、どんどん前提が変わり、話が逆転していきます。
そして、この「逆転」こそが背後の陰謀の強烈な「誘導」だったりします。いいシナリオです。
単に「逆転」が起こるのではなく、登場人物の一人が意図的に「逆転」を仕組んでいる。そして、その「逆転」を利用して、本質を覆い隠そうとしている。
映画のラストでは、「あっ」と唸らされました。
● ラストの畳み掛けるような連続どんでん返し
映画のラストでは、「逆転」の謎が解き明かされます。でも、そこで話は終わりません。
その「真実」の前提の上で、「真のドラマ」が発生して、思いも寄らぬ結末に話が雪崩れ込みます。
これは、正直言ってやられました。最後の結末は「ロジック」ではなく「人間」に帰結する。
ミステリなのでネタバレは書けませんが、非常によくできた映画でした。
● 粗筋
以下、粗筋です(ネタバレを避けるために、序盤だけ書いています)。
主人公は弁護士。彼は心臓の病で入院したいた。退院した彼には、お目付け役として看護婦が付けられる。主人公は、病院で医者の目を盗んでばかりいた。そのため医者の信用がなかった。
主人公は静養を求められる。そんな彼の許に、一人の依頼人がやって来る。彼は殺人事件の容疑者として裁判に出廷しなければならない。主人公は彼の依頼を受ける。
主人公は、容疑者の事件当時のアリバイを知る妻と会う。だが彼女はただならぬ雰囲気を持っていた。彼女は夫に対する愛情がないように見えた。彼女は「妻」であるために、容疑者を守る証人としての効力はなかった。
裁判が始まった。裁判は容疑者不利のまま進んでいく。
そして検察側は一人の証人を呼んだ。それは容疑者の妻だった。彼女は容疑者の妻のために、容疑者を守る証人には成り得ない。それ以前に、そもそもなぜ検察側は彼女を呼んだのか?
宣誓をした彼女は、以外なことを周囲に向かって語り始めた。そしてその言葉は、弁護士を圧倒的な劣勢に追い込んでいった。