映画「アポカリプト」のDVDを五月中旬に見ました。
2006年の作品で、監督はメル・ギブソン。脚本はメル・ギブソン他。主演はルディ・ヤングブラッドです。
マヤ文明での壮絶な追跡劇を描いたアクション映画。時代考証とかはまあ置いておいて、緊迫感が延々と続く、なかなかハードな映画でした。
● アクション映画としての緊迫感
この映画は、アクションとしての密度が非常に濃いです。逆に言うと、徹頭徹尾それだけで出来上がっている作品です。
この映画では、序盤の舞台説明と予兆のシーンを除くと、延々と主人公に負荷が与え続けられます。
主人公は絶えず追い立てられ、虐待を加えられていきます。そして終盤で覚醒してからは、追っ手を一人ずつ倒していきます。でもその間も、プレッシャーを掛け続けられます。
この映画の流れの中心を一本貫いているのは、主人公の妻子の存在です。
主人公は序盤、襲撃者から守るために、幼い子供と、臨月の妻を縦穴に隠します。その縦穴から脱出の手を断たれた妻子を救うことができるのか、というのが物語の大きな柱になっています。
まあ何というか、相当無理目のチャレンジなのですが、映像マジックでそれを実現します。
どこが映像マジックなのかと言うと、拉致されて数日掛けて連れて行かれた場所から、戻る時はかなり短時間で戻ってきます。
映画を見ている時には、緊迫感で気付きませんが、終わってから考えると物凄い脚力です。
まあ、アクション・メインの映画だし、これでいいのかなと思いました。
● 盛り上げポイントのずれ
この映画を見ている時に思ったのは、少しずつ盛り上げポイントをずらしてくるなということです。
たとえば映画の中盤の重要なシーンに「生贄のシーン」があります。このシーンで、少しカタルシスがあるのかなと思ったら、そこでは肩透かし的に主人公の爆発はなく、次のシーンに移行します。
この映画には、かなりこういったシーンが多く、「ここで何かが起きるだろう」と思ったら、何も起きずに次のシーンに持ち越しというパターンが多いです。
映画の総体としては面白かったのですが、こういった展開には、わずかに違和感を覚えました。
● 小さなドラマの主人公
だいたいこの手の映画だと、主人公は個人的な地点から出発して、世界(社会)の重要な部分に波及する出来事に首を突っ込みます。
この映画の中でも、そういったことを暗示させる予言のシーンが盛り込まれています。
しかし、映画を最後まで見てみると、そういった飛躍の展開はなく、主人公はあくまでも家族のためだけに戦い続けます。
最後に、社会全体に影響を与えるシーンが登場するのですが、それは主人公とは無関係に進みます。
こういった部分も、前述の「盛り上げポイントのずらし」と同様に、ちょっと肩透かしを覚えた部分でした。
まあアクションは、筋肉が緊張するようなハードなシーンが連続する映画でよかったのですが。
● ガントレット
折り返しの地点での、脱出シーンはガントレットです。
その内、ガントレット物でリストを作る時には、加えないといけない映画だなと思いました。
● 粗筋
以下、粗筋です。
主人公は森に住む若者。狩猟中心のこの村では、人々が和気藹々と暮らしていた。
そんな彼らの村の近くを、謎の一団が通り過ぎる。彼らは一様に暗い顔をして、何かから逃げているようだった。
数日後、主人公たちの村に襲撃者がやって来る。彼らは村を壊滅させ、男達を奴隷として連れ去る。主人公は父親を殺され、他の村人同様、奴隷にされた。彼は襲撃の際、身重の妻と幼い子供を縦穴に隠した。
主人公たちは遠方へと行軍させられる。その奴隷の列には、村を通過した暗い顔の一団もいた。主人公は妻子のことが気になる。彼らが穴から脱出するには、救出者が必要だった。彼らは雨が降れば溺死してしまう。
主人公たちは首都へと連行される。そこでは雨乞いのために毎日大量の生贄を捧げていた。彼らは生贄要員として連れてこられたのだ。
村人たちはピラミッドの上で一人ずつ殺される。だが主人公は死から免れることができた。皆既日食が起き、生贄の儀式が終わったからだ。
主人公たちは別の場所に連れていかれる。そして、軍隊の男達から一定の距離を逃げ切れば解放されると教えられる。
主人公は仲間たちとともに逃げようとする。だが、村人たちは弓矢や槍で次々と殺される。主人公も負傷して倒れる。そこに止めを刺すために、隊長の息子がやって来た。
主人公はその男を返り討ちにする。そして、怒りに狂った隊長とその部下たちに追いかけられることになる。
主人公は自らの命を永らえさすために、そして妻子を縦穴から救うために、一路故郷を目指す……。