映画「オータム・イン・ニューヨーク」を十二月中旬に見ました。
2000年の映画で、監督はジョアン・チェン、脚本はアリソン・バーネット、主演はリチャード・ギアとウィノナ・ライダーです。
監督のジョアン・チェンは、普段は女優なのですね。
映画は「リチャード・ギアはいい男だなあ」というのが、一番の感想でした。
● リチャード・ギアのフェロモン
いやあ、この映画は、リチャード・ギアのフェロモンが全開ですよ。
別にリチャード・ギアは、造形的にすごい美形とかいうわけでもないのですが、このフェロモンは何なのでしょう。
内から溢れでる余裕と自信というか。そういったものが凄まじいです。
思えば、よく言われる非モテ系のオタク男子とは対極のような気がします。
リチャード・ギアは、余裕や自信を持っているというだけでなく、それを全方位に射出しています。なんというか、モテオーラを、太陽のように周囲に照射している。
こういう色男系のキャラには、ぴったりの俳優だなあと思いました。
この、リチャード・ギアが、愛した女性に謝罪をする時に言う台詞が凄かったです。
「許してくれ」ではなく「愛させてくれ」なのです。
こういう台詞が似合う俳優は少ないなあと思いました。
あと、どうでもいいですが、リチャード・ギアは、小泉元首相と同じ髪型でした。小泉元首相が、リチャード・ギアと同じと言うべきかもしれません。
もう一つ、どうでもいいですが、ウィノナ・ライダーはおっぱいが大きかったです。よく言われますが、やっぱり大きいよなあと思いました。
● 男性視点の映画
監督は女性です。でも、映画の視点は男性だなあと思いました。
男性視点の、男性主人公の、男性結末の映画。
たぶんデートムービーだと思うのですが、これは女性側としてはどうなのだろうと思いました。リチャード・ギアが色気があって、女性が恋をするからありなのでしょうか?
でも、男性にとって都合のよすぎる映画のように思えます。
女性は、男性を通り過ぎていくイベントでしかなく、女性が散ることによって男性が失うのは喪失感だけです。
あくまでも女性は、男性の心を動かすためのアイテムでしかない。
女性側のキャラに、生きるという明確な意思がないことも、アイテムとしての要素を強くしているのかなあと思いました。
演出としては、主人公の男性が、失いたくないものができて初めて、他人の痛みが分かるという演出はよかったです。
最初の時点で、主人公は「他人の痛みが分からない男」として描かれています。そして、自分の隠し子が見つかっても、特に感情を動かされません。
しかし、自分が本当に愛した相手を失うかもしれないという段になって初めて、周囲の人を今までどれだけ傷つけてきたか気づきます。
こういった変化は、説得力があり、分かりやすくてよかったです。
でもまあ、男性視点の映画だよなあと思いました。女性側の変化は、ほとんどありませんし。
● 男友達との関係
主人公は、料理店のオーナーです。そして、共同経営者(?)の友人がいます。
この友人は主人公と間逆の性格で、家庭的で落ち着いた性格です。
あまり登場機会は多くないですが、主人公の性格を強調するための、よい比較物になっているなあと思いました。
● 粗筋
以下、粗筋です(ネタバレあり。最後まで書いています)。
主人公は、有名料理店のオーナー。彼は女性遍歴が多く、一人の女性と長く付き合うことがない。
そんなある日、彼は若い女性に目を付ける。彼女に接近して、恋人にする。
その女性は、かつて付き合っていた女性の娘だった。そして、余命いくばくもないという事実を知る。
そのかつて付き合っていた女性は、主人公が深く愛した相手だった。
主人公は、若い恋人を失いたくないと思い、初めて人の痛みが分かるようになる。
そして、自分が周囲の人間たちに、どれだけ冷たくしていたかも気づく。
主人公は恋人を救おうと奔走する。しかし、恋人は寿命の通りに死んでしまう。
主人公は、深い喪失感を抱く。