映画「アニー・ホール」のDVDを六月上旬に見ました。
ウディ・アレンの作品の中で、唯一名前を覚えていたものです。
ウディ・アレンというと、私の勝手なイメージとして「ハイソな自虐系ギャグの人」というものがあります(映画を見てもいないのに)。
なので、「ちょっとなあ」と思って今まで避けていました。
そんな状況で本作を見ました。そして見終わったあと、「ああ、なるほど。こういった芸風なのか」と思いました。
映画の中のウディ・アレンが、いきなり観客に問い掛けてきたりする語り口。
内容に関しては、たぶん中学生、高校生ぐらいの頃に見てもぴんと来なかったと思います。でも、今見るとなかなか面白いです。
以下、ネタバレあり。といっても、映画の冒頭三分ぐらいでウディ・アレン自身が結末を言ってしまいます。
物語は、女性と付き合い始めて分かれるまでの、何となく上手くいかなくなっていく様子を描いたものです。
しかしまあ、ウディ・アレンが冒頭に言う「ほら、こういう言葉があるだろう。『俺を入会させるようなクラブには入りたくない』というのが。僕の場合は、女性に関して同じことが……ね」という感じの語りが非常に面白かったです。
そして全てがこんな調子。世の中を斜めに見て、勝手にぶつぶつと悲劇ぶる。
でも、それが“嫌味”という感じではなく、“何となく分かる”という微妙な匙加減。
たぶん、二十代よりも三十代、三十代よりも四十代の方が楽しめる映画なのではないかと思いました。
以下、粗筋です。(最後まで書いています)
主人公はユダヤ人の二流コメディアン。仕事はそこそこにあるし、貧しくもない。結婚だって何度かしたことがある。
そんな彼の目下の悩みはちょっと前まで付き合っていたアニーと別れてしまったこと。
「なんで別れることになってしまったんだろう?」
悩む主人公。彼は、アニーに出会った頃にさかのぼって回想し始める。
最初は親友の紹介で彼女に会った。そして彼女の部屋に行き、恋の駆け引きをした。
やがて付き合うようになり、アニーの自立を助けるためにいろいろと世話を焼いた。
彼の影響か、それとも自我に目覚めたのか、彼女の関心は次第に主人公から離れだす。
一度は別れた。でも忘れられずにまた付き合った。
そして、互いの考え方や物事の捉え方の差から、再び疎遠になる。
最後は別れ、主人公は復縁を迫るが結果は前述の通り。
やがて時は経ち、二人は再会する。大人の男と女は、恋人ではなく友人として、相手が元気なことを喜び合う。
基本的には筋を明確にたどっていくタイプの映画ではなく、変則的な映画表現を駆使しながら進めていく作品です。
例えば、ウディ・アレンがいきなり観客に語り掛けたり、心のなかを台詞を被せて語らせたり、通行人にいきなり現在の悩みに関する意見を求めたり……。
反則技なのですが、それが小気味よい。
しかしこれはセンス次第だよなと思いました。一歩間違うと駄作です。
この映画に関しては成功しています。でも、他の作品でも同じように上手くいっているかどうかは不明です。まだ未見なので。
センスが前面に出てきているので、好きな人ははまるだろうなと思いました。ファンが一定層いるのも頷けます。
しかしまあ、大学生とかでウディ・アレンにはまっている人は、ちょっと背伸びしている感があるよなとも思いました。もしくは、格好を付けたがっている。
ラブロマンスは基本的にどうでもよい人間なのですが、この映画に関してはきっちりと楽しめました。