映画「サイダーハウス・ルール」のDVDを三月中旬に見ました。
「ガープの世界 」や「ホテル・ニューハンプシャー 」のジョン・アーヴィングが原作・脚本で、「スパイダーマン」のトビー・マグワイアが主役、シャーリーズ・セロンがヒロインの1999年の作品です。
アカデミー賞七部門でノミネート、脚色賞などを取っています。
映画を見た感想は、「こういった、何がどうとは言えないけれども“豊饒ないい話”は、どうやって脚本を作るのだろう?」というものでした。
いい話だし、いい映画なのは間違いないのですが、いろんな要素があり過ぎて、どこで“よい”と感じているのか、見ていてもすぐにはぴんと来ません。
それに、“ロジックで組み立てた脚本”という雰囲気もありません。
なぜだろうと思っていたのですが、DVDに付いていたメイキング兼インタビューを見て、理由が何となく分かりました。
この映画は、「現代のディケンズ」とも称される、米国を代表する長編作家であるジョン・アーヴィングが原作と脚本を書いています。
□ジョン・アーヴィング 「私は芸術家でなく職人だ」
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20050630bk02.htm この映画の原作は、元々500〜600ページあるそうです。その原作を、原作者自らが換骨奪胎して、削りに削って映画用に作り直したそうです。
なるほど、原作者自らがそうやって作ったからこそ、無数の要素が破綻なく詰め込まれていて、作品の雰囲気というものを感じさせる豊かな作品になったのかと思いました。
このインタビューで面白かったのは、スティーヴン・キングです。
なぜか今回の映画と関係のないはずのスティーヴン・キングにもインタビューを行っており、その答えが突っ込み所満載でした。
(以下、だいたいこんな感じの話でした)
「小説家というものは、映画が作られる時は本当に苦痛なんだ。自分の文章が切り刻まれるかと思うと、相手を殺してやりたくなるんだ」
おいおい、滅茶苦茶沢山の作品が映画化されているあんたが言うなよと思いました。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。ただし、終盤の直前までしか書いていません。なので、決定的なネタバレにはなっていないと思います)
孤児院で育った主人公は、二度里親にもらわれたが、上手く受け入れられずに戻って来て大人になった。
彼は孤児院の医師の弟子として育てられる。彼はその医師から、産婦人科として必要なありとあらゆることを教えられる。
彼は本物の医者にひけを取らない知識と技術を身に付けたが、その学歴は高校すら卒業していないというものだった。
この孤児院で、医師は理事会から不評を買っていた。なぜならば、彼は望まぬ子供を妊娠してしまった女性のために、“適切な堕胎”を行っていたからだ。
だが彼は、キリスト教的に非難する理事たちに耳を貸さず、女性の命と人生を救うために堕胎を続けていた。
そんなある日、一組の若いカップルが現れる。軍人の男と、りんご園の跡取り娘だ。
彼女たちは堕胎を望んでいた。そして、医師と主人公の手で堕胎を施される。
そして二人が去る時、主人公は一緒に連れて行ってもらうように提案する。既に大人になっていた彼は、“医師”という親から離れ、自立しようと考えていた。
医師は反対する。「世間は恐ろしい場所だ。ここほど幸せな場所はない。そして、お前がいることが望まれている」医師は主人公を説得しようとする。
しかし主人公は、旅立つ時は今だと思い、二人の車に乗って孤児院を後にする。
彼は、二人と親友になる。そして、女性の家のりんご農園に付属したサイダーハウス(りんご酒の家)に住むことになる。
その家は、りんごの摘み取りの季節になると季節労働者たちが来て、寝起きをする場所だ。主人公は、そこの住人となり、果樹園労働者となる。
主人公と二人は親交を深める。だが、その三人の関係も終わりが近付く。休暇で戻っていた軍人が戦場に戻ることになったのだ。
主人公と女性だけが、その地に残る。
彼女は「私はさみしがり屋なの。それが分かっているのに、あの人は」と言葉を零す。
主人公は果樹園での労働を楽しんだ。彼にとっては全てが新しい経験だった。
その頃、孤児院では、医師の後継者問題で揉めていた。理事会は医師を引退させて、堕胎をしない新しい医者を雇おうと考えていた。
医師は一計を案じ、主人公を偽の医者に仕立てて後継者にしようと考える。そして、そのための書類や経歴を用意する。
主人公はその提案を書いた手紙を受け取る。しかし彼は、断わりの返事を書いた。
彼は今の暮らしを楽しんでいた。そして、女性にほのかな恋心を抱いていた。
そして時が経つ内に二人は親密になる。「私はさみしがり屋なの」女性はその言葉の通り、欠けた心を埋める誰かを望んでいた。
二人は恋に落ち、肌を重ね合わせる。最初は密かに会っていた二人だが、次第にその逢引きは大胆になっていく。
そして、一冬を越し、次のりんご摘みの季節になった。
季節労働者たちが再びサイダーハウスに戻って来た。果樹園の仕事を再開する主人公。その仕事の中、彼は黒人労働者の女性の様子がおかしいことに気付く。
彼女は妊娠している。それも、望まぬ妊娠だ。
その相手が誰かを主人公は問い質す。そして、付き合っている女性にも相談して、二人で相手を聞き出そうとする。
その相手を聞いたとき、彼らは大きなショックを受ける。そして主人公は、自分が手放した道、産婦人科の技を彼女に使うことを考える……。
ざっと終盤直前まで粗筋を書きましたが、非常に要素が多いです。
実際にはもっといろんな話、いろいろな人のエピソードがたくさん描かれています。
映画を見終わったあと、テーマは「堕胎」かなと私は思いました。
しかし、これは違っていました。
原作者の話では、テーマは「父と子の物語」だそうです。
医師と孤児。二人は実際の親子ではない。
原作者は、そういった二人を使って、「本物の親子以上の親と子による、親子の物語」を描きたかったそうです。
さらに、この物語は、青年の成長の話だとも言っていました。
堕胎や孤児院というのは、映画の主題を展開する上でのギミックでしかなく、テーマは他の部分にあったということです。
私は、きちんとテーマを読み取ることができなかったようです。
さて、私は、「堕胎」がテーマと思っていたので、どうやって話を膨らませて組み立てたのかさっぱり分かりませんでした。
しかし「本物以上の父と子の話」と聞けば、なるほどなと思い当たるところが色々とありました。
父と子という概念を抽象化する上での孤児院という舞台設定であり、そこから付随して出て来た“堕胎”という「読者をキャッチーに引き込む道具立て」というわけです。
もっと見る目を肥やさなければならないなと思いました。
さて、映画中、思ったのは、二人の役者についてです。
一人はトビー・マグワイア。
「スパイダーマン」でもそうだったのですが、純粋ないい人なんだけど、どこか抜けている気がする好青年(というか田舎っぽい純真な青年)という役に非常に適していますね。
現実にいるとちょっとむかつきそうですが、ある種のファンタジーな映画の世界では魅力的な俳優だと思います。
もう一人はシャーリーズ・セロン。滅茶苦茶美人です。
「アメリカ的な美人」という形容がぴったり来るような、写真から抜け出てきたような美人でした。
そりゃあ、こんな女性が寂しそうに近付いて来たら、どんな男だっていちころだろうと思いました。
あの容姿は反則です。
でも、この美人のシャーリーズ・セロンが、「モンスター」のアイリーン役も演じているというのは驚嘆です。
凄い化けたなと思います。
私は、醜いシャーリーズ・セロンよりも、美人のシャーリーズ・セロンの方が好きです。
どうせ見るなら美しい物を見る方がいいですから。
映画を見て、りんご農園の話が出て来るまで、サイダーハウスの意味を全く気付いていませんでした。
「ああ、サイダー(りんご酒)のハウスなのね」
タイトルを見た時点で、気付かなかったので、駄目だなあと思いました。